小説

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僕と彼女と誰かの事情 5



「クリスマス?」

12月も中旬、僕は再び浴室の美愛子と会話していた。今月下旬にはクリスマスがやってくる。今年の24日は月曜日、振替休日。僕の職場も休みだ。歌子も休みになったらしく、共に過ごすことになっている。同棲を始めてから、一緒に過ごせるのは初めてだ。

「ああ、僕も歌子も休みだから今年は一緒に過ごすんだ。美愛子は誰かと過ごす?」
「クリスマスねぇ…もうそんな時期なのか。私は今のところ予定はないわ。独り身だし」
「友達とかとも?」
「生憎友達は彼氏持ちか結婚してる子ばっかりなの。フリーの子も1人いるけど仕事だって言ってたし」
「そっか…大変だな」
「…ねぇ」

美愛子が少し寂しげな声音で言う。そうだ。美愛子は昔の男が忘れられなくて、今まで独り身だったんだ。

「ん?」
「…いや、何でもない。クリスマス楽しみね」
「ああ。美愛子も誰か…できるといいな。一緒に過ごせる人」
「…うん」

美愛子はやはり少し寂しげだ。以前僕が昔の男なんて忘れろと言ったときは、すっきりしたような声でそうすると言っていたが、あれからまだ1ヶ月経っていない。ずっと引きずっている男をそう簡単には忘れられないのだろう。それからあっという間に24日になった。クリスマスイブだ。折角なのでと飾り付けも用意し、夜はオードブルを予約している。勿論ケーキも予約済だ。ツリーの飾り付けをしているとき、歌子の携帯が鳴った。

「はい。あ、お疲れ様です。はい…え? そう、なんですか…分かりました。はい。失礼します」

段々下がっていく声のトーンに、何だか嫌な予感がする。電話が終わると、歌子は長い溜め息を吐いた。

「…誰から?」
「…職場の人。ごめんあるく。今日仕事入った」

電話の内容は大方予想通りで、休日出勤していた職場の先輩からのヘルプ要請だった。

「…そうか。仕方ないな」

本当は納得できていなかった。今日は休みだって、絶対仕事入らないって言ってたのにとか、折角初めて一緒に過ごせるクリスマスなのにとか、責めるようなことを言いたい気持ちもあった。だが歌子は悪くない。歌子のせいでそうなったわけじゃない。だから必死で抑え込んだ。

「…ごめん。早く帰ってくるから! 帰ってきてから食べよう!」
「…ああ」

慌ただしく仕度をして家を出る歌子を見送ると、部屋の中は一気に静まり返った。僕しかいないのだから当たり前なのだが。途中だった飾り付けもやる気をなくし、持っていた飾りは元々入っていた箱に戻した。テレビをつけ、ボーッと見始める。そのまま夜までボーッとしていた。


暗くなってしばらくしても、歌子は帰ってこなかった。"何時ぐらいに帰ってくる?"とメールしてみたが、返事もない。そうしていると、洗面所の方からシャワーの音が聞こえ出した。僕は立ち上がり、洗面所へ向かう。浴室の電気がついて、【入浴中】のプレートがかかっていた。勿論まだ歌子は帰ってきていない。

「美愛子?」

僕は中に呼びかける。するとシャワーの音が止んだ。

「あるく? …久しぶり」
「ああ…そうだな」
「…どうしたの? 今日、クリスマスイブよ。歌子と一緒じゃないの?」
「…歌子は、仕事」
「……」
「急に仕事が、入って」
「…そう」
「…絶対仕事入らないって言ってたのに」

歌子を前に我慢していた言葉が口から零れる。どうしても胸にしまっておけなくなって、タイミングよく現れた美愛子に不満をぶつけてしまった。美愛子はただ黙ってそれを聞き、僕が黙ったあと、静かに「…ごめん」と呟いた。

「…何で美愛子が謝るんだよ」
「歌子の代わりに」
「……」
「でも、それを歌子には言わなかったんでしょう? それって偉いと思うわ」
「…偉くなんてないよ。歌子が悪いわけじゃないし…それに結局、関係ない美愛子に八つ当たりしちまったし…」
「私はいいわよ。別に」

美愛子はドアの向こう、笑っているようだった。相変わらず影も見えないが。

「なあ…こっちきて一緒にオードブル食べてくれよ」
「……」
「歌子と食べるために買ったやつが無駄になる」

無理なことは分かっているが、ついついそんな言葉が口から漏れていた。今のこの部屋と、美愛子が4年後に住んでいるここは浴室しか繋がっていない。美愛子が浴室を出てこちらに来ることはできないのだ。こちらでは影さえ見えないのがその証拠だろう。

「…そんなこと言わないで」

美愛子は少し黙ったあとそう言った。その声は酷く寂しげだった。

「歌子はきっとまだ諦めてないわ。早く帰ってあるくとクリスマスを過ごすために、今頑張って仕事を片付けてるはずよ。だからもうちょっと、待ってあげて」
「…分かったよ」
「ありがとう」

美愛子はやはり笑っているようだった。意味が分からない。お礼を言われるようなことは何もしていないのに。
それから美愛子に言われた通り、僕はテレビを見ながら歌子を待った。クリスマスの特番をやっていたが、中継で映る街中のカップルに思わずチャンネルを替えた。しばらくテレビを見ていると、玄関から音がする。時計を見ると、20時過ぎだった。立ち上がり、玄関へ走る。歌子がブーツを脱ぎかけた手を止めて顔を上げた。

「…ただいま」
「…おかえり」
「ごめんね。遅くなって」
「いや…もっと遅くなるかと思った」
「そう…」

歌子は再び手を動かし、ブーツを脱ぐ。何だか微妙な空気のまま、2人でリビングへ歩いた。リビングに入ると、歌子は立ち止まる。歌子の後ろを歩いていた僕も同時に立ち止まった。

「歌子?」
「オードブルは?」
「あ? いや、まだ冷蔵庫の中だけど…」

歌子は黙る。そりゃあまだ食べないものは冷やしておくだろう。何だって言うんだ。

「先に食べてるかと思った」

しばらくして、歌子がポツリと呟いた。その言葉に若干イラッとしてしまう。美愛子に言われなけりゃ、恐らくそうしていただろうが。

「何だよ。先に1人で食ってりゃよかったのかよ」
「ううん。嬉しい」

"歌子はきっとまだ諦めてないわ"。美愛子の言葉を思い出す。先に食べてると思っていた、ということは諦めていたということのような気もするが、事実待っていたことで、歌子が喜んでくれた。それならどちらでもいい。クリスマスはまだこれからだ。


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