小説5

□生は血の色
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「おいアンタ、大丈夫か?」
「え…?」



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生はの色


長い階段を昇り、大きな鳥居を抜ける。そして彼は、社の前に立った。彼の名前は角館洋藻といい、歳は18で、高校に通っていた。

「ペコ」

洋藻は社に向かって言う。するとゆっくりと扉が開いて中から女が顔を出した。見た目は20歳前後で髪の長い、大和撫子という言葉の似合う女だ。女は洋藻であること確認すると、微笑んで扉を全部開けた。

「洋藻さん」

呼びながらペコは社から駆け降り、抱きついた。

「来てくださったのですね」
「契約したからな」
「契約って…いえ、そうですね。すみません」
「別に謝る必要ないだろ」
「はい…」
「じゃ、中入るか」

言って洋藻は社に歩みを進める。ペコは慌てて振り返る。

「えっあ、あの!」
「? なんだ」

洋藻は足を止め、振り返って言った。

「本当に、いいんでしょうか…?」
「俺がいいって言ってんだからいいだろ」
「ですが…」
「なんだよ。じゃあ要らないのか?」
「いっいいえ! それは…」
「だったら早くしろ」
「は、はい…」

ペコは申し訳なさそうについてくる。ペコが中に入ると、洋藻は扉を閉めた。そしておもむろに上着を脱ぎ出す。

「ほら」

上半身裸になった洋藻は、ペコを見て言った。ペコは躊躇うように視線を逸らす。すると洋藻はペコに近付き、抱え上げた。

「ちょっ…」

抱き上げられたペコは抵抗したが、洋藻の首筋を見て黙る。そしてゴクリと唾を飲み込んだ。

「いいから」

それが分かった洋藻は言う。ペコはゆっくりと口を開き、洋藻の首筋に噛み付いた。洋藻はふらりと床に膝をつく。ペコが口を離した。

「もういいのか?」

洋藻が訊ねると、ペコは頷いた。

「ありがとうございます」
「もっと飲んでもいいんだぞ?」
「いえ…大丈夫です」
「…なんなら飲み尽くしてくれていい」
「! それは…嫌です」

ペコは顔を上げ、洋藻の顔を見て言った。

「私…洋藻さんを死なせたくはありません」
「…そうだな。俺が死んだら、お前食料が無くなるしな」
「そういうことでは…!」
「どっちでもいいよ。じゃ、また明日来る」

言って洋藻は上着を着て出て行った。ペコは洋藻が出て行ったあとの扉を、しばらく見つめていた。





洋藻とペコが出会ったのは、3日前のことだった。下校中の洋藻が、倒れている和装の女――彼女を見つけたのだ。聞けば、空腹であると言う。しかし洋藻は食べ物を持ち歩くような人間ではない為、彼女にあげられるものは何もなかった。すると彼女が自分は吸血鬼だと言い、「少しでいいので血を」と懇願した。そんな彼女に洋藻は、ほとんど躊躇わずに自分の首筋を差し出したのだった。それは彼女を助けたいと思ったからではない。洋藻にとって自分の命など、どうでもよかったからだ。だから洋藻は、あっさりと彼女と契約した。契約と言ってもそれほどしっかりしたものではなく、ただ単に洋藻が「毎日来る」と約束しただけのことだ。彼女は学校の近くの神社に住んでいた。神主ももういない、寂れた神社だ。洋藻は名前を訊ねたが、「名前はありません」と彼女は言った。だから洋藻が適当につけたのだ。腹ペコのペコ。腹ペコで倒れていたから、というのが理由だった。そんな適当な名前でも、ペコは嬉しそうにしていた。






「おーい、角館ー! 起きろ!」

午後の教室。洋藻は窓際の席で眠っていた。担当の教師が呼ぶが洋藻は起きない。教師は洋藻に近付いた。

「角館! 起きろと言ってるだろ!」

近くで呼んでも洋藻はやはり起きない。教師は教科書で頭を叩いた。するとようやく洋藻が起き上がる。

「全くお前は、受験生としての自覚が足りないんだ!」

怒りながら、教師は黒板の方へ戻っていった。

「角館、お前寝てないのか?」

前の席の男子が振り返って洋藻に訊ねる。

「…いや」
「の割に最近授業中よく寝てんな。なんかあった?」
「…なんか、眠い」

呟いて、洋藻は再び机に伏せた。






「ペコ」

その日の放課後、洋藻は再び神社を訪れた。昼間は外に出られないペコは、洋藻が来るとき以外はずっとここに篭もりきりだ。ペコはいつものように少しだけ戸を開け、相手を確認して出てきた。

「洋藻さん」

ペコはトコトコと歩いてきて洋藻に抱きつく。洋藻はペコの頭を撫で、頬に触れた。

「だいぶ元気になったな」
「…洋藻さんのお陰です。本当に何とお礼をしてよいやら…」
「お礼なんて別に…」

言いかけて、洋藻は言葉を止める。ペコは洋藻をジッと見つめた。

「洋藻さん?」
「お礼…1つある」
「えっ? 本当ですか? 何ですか? 何でも仰って下さい!」
「本当に何でもいいか?」
「はい! あ…ですが私にできないことは…」
「大丈夫だ。お前にもできる。いや、むしろお前にしかできない」

言うとペコは目を輝かせた。

「何ですか!? 早く仰って下さい!」
「ああ…ペコ、俺を殺してくれるか?」
「え…?」

その瞬間、ペコの顔から表情が消えた。洋藻は無表情でペコを見ている。いつものことだが。ペコは洋藻から視線を逸らした。

「洋藻さんは嘘吐きです」
「え?」
「やはり私にはできないことじゃないですか」

ペコは悲しげに呟く。

「ペコは俺が殺せないの?」
「殺せませんよ! 殺せるんだったらとっくに殺してます!」
「なんで? 飲み尽くす前にお腹いっぱいになる?」
「違います! 私はそういう話をしてるんじゃないんです!」
「じゃあなんで?」
「…殺せません、私には。貴方を殺したくないんです」
「…吸血鬼が人を殺したくないなんて、可笑しな話だ」
「私だって、なりたくて吸血鬼になったんじゃありません!!」

ペコが必死に叫ぶので、洋藻は少し驚いたようだった。

「…最初から吸血鬼だった訳じゃないのか」
「違います。私も最初は、人間でした」
「じゃあなんで?」
「…生贄にされたんです」
「……生贄」

洋藻が呟くと、ペコは頷いた。

「村で不作が続いて…日照りが多かった訳でも、雨が続いた訳でもない。ちゃんと作物が育つ環境で例年通りに育てていたのに、3年も不作で…村の人達は祟りだって、贄を捧げて神様にお祈りすれば救って下さるって…」
「それで、なんでペコが?」
「私が村で1番美しいからと、人々は言っていました。ですが実際には、私なんかより美しい人なんて数え切れぬ程いた。ただ、村の人達は厄介払いをしたかっただけなのです」
「厄介払い? ペコは村の厄介者だったのか?」

洋藻が訊ねると、ペコは再び頷いた。

「私が産まれてすぐ父と母は病気で死に、村の人達は“神の忌み子”だと。私は親戚の家に預けられましたが、其処では腫れ物のように扱われていました。家の外へ出ても当然同じような扱い。挙げ句の果てに儀式の贄にされ、私はこんな化け物になってしまった」
「…村はどうなったの?」
「……」
「ペコ?」

洋藻は呼びかける。ペコは視線を逸らしていた。

「…村はなくなりました」
「なくなった?」
「はい」
「…もしかして」

洋藻が呟く。ペコは洋藻を見た。

「私が滅ぼしたんです」
「…化け物にした復讐?」
「どうでしょう。あのときどういう感情で動いていたのか、自分でも分からないのですよ。でもそうですね、確かに、そこには憎しみがあったように思います。ずっと、疎まれるだけの人生でしたから」
「…ペコ」
「私に親切にしてくれたのは、人間だった頃も含めて貴方だけです」

最後にそう言って、ペコは笑った。






「――館くん、角館くん!」

誰かに揺り起こされて、洋藻は目を開ける。体を起こすと、隣の席の女子だった。

「…何」
「いや、何って…また先生に怒られるかなと思って…」
「…ああ、サンキュ」

洋藻は寝ぼけ眼で言う。隣の女子はそれを心配そうに見ていた。

「なんで最近そんなに眠いの? なんかあった?」
「……」
「…角館くん?」
「……」
「え? もしかして寝てる!? ちょっと角館くん!」
「日枝! うるさいぞ!」
「はいっ! すみません!」
「あっ角館はまた寝てるのか! おい! 角館! 起きろ!」



「…日枝」

しばらく静かに授業を聞いていた女子――日枝はパッと横を見る。いつの間にか洋藻が起きて前を向いていた。

「…どうしたの?」

日枝は洋藻に訊ねる。

「俺は親切か?」
「え?」
「優しいか?」

眉をひそめる日枝に、洋藻はもう一度言った。

「…さあ…? 私にはちょっと判断できないけど…」
「それは優しいとは言えないってことだな」
「…それがどうかしたの?」
「いや…俺を親切だとか言う変な奴がいてな…」
「…へえ」

静かになったので洋藻の方を見ると、洋藻はまた寝ているようだった。

「そいつ角館のこと好きなんじゃね?」

前から声がする。洋藻の前の席の男子が振り返って日枝を見ていた。

「…角館くんを?」
「まあ信じがたいけど…この角館が優しいって、好きとしか思えないだろ」
「まあねぇ…てか私隣の席になって初めて角館くんとまともに喋ったんだけど」
「だろうな。なんつーか…取っつきにくいよな、角館」
「うん…」






放課後。また洋藻はペコのもとを訪れる。

「ペコ」
「洋藻さん!」

ペコは社の中ではなく、外に座って待っていた。「今晩は」と笑う。洋藻はペコに近付いた。

「どうした?」
「いえ、特には」
「そうか?」
「はい」
「ならいい」

洋藻はペコの横を通り過ぎ、中へ入ろうとする。

「あっあの!」

するとそれをペコが止めた。洋藻は振り返る。

「何?」
「あの…今日は、いいです」
「…なんで?」
「毎日だと…その、洋藻さんが」
「俺ならいいって言ってんじゃん」
「よくないです! 死んでしまうかもしれないんですよ!?」
「だからいいって!」

ペコは悲しそうな目をして黙った。洋藻はペコを、吸血鬼を怖がらない。死ぬことも怖がらない。自分が死ぬかもしれないと聞かされても、冷静だった。

「…なんでそんなに、自分に無頓着なんですか」

ペコは悲しそうな表情のままで言った。洋藻は喋らない。

「どうして…自分のことはどうでもいいんですか。大切じゃないんですか」
「…なんで、だろうな」

洋藻がようやく口にした言葉は、ペコの問いの答えにはならなかった。ペコは社に入り、戸を閉める。

「ペコ」
「帰って下さい」

扉に呼びかけた洋藻に、ペコは言い放った。仕方なく洋藻は社に背を向ける。

「また明日な」

そう言って洋藻は神社をあとにした。扉越しの足音が聞こえなくなると、ペコはその場に座り込む。そして手で顔を覆った。

「ペコ、さん…?」

すると突然、外から声が聞こえた。ペコは振り返る。女の声だった。

「…誰、ですか」

ペコは扉の外に向かって言う。

「あ、私…日枝民弥です。学校で…角館くんの隣の席で」
「…洋藻さんの、お知り合い?」
「そうなんです。あの、歩いてたら角館くんがここに入ってくのが見えて…ちょっと気になって話、聞いちゃいました。ごめんなさい」
「…いえ」
「角館くんと、いつもここで?」
「え? ええ…」
「あなたが角館くんに、親切だって言ったんですか?」
「え? あ、はい…」
「そうですか…あの角館くんに」
「あの?」

ペコは聞き返した。民弥はハッとする。

「あっごめんなさい…学校ではね、あんまり…話しやすい人じゃなくて」
「そうなんですか…?」
「ええ。授業中は寝てばっかりだし…」

その言葉に、ペコはドキッとする。

「寝て、ばかり…?」
「そうなんです。最近は人と話してる途中でも寝るし…大丈夫なのかな…」

民弥は少し心配そうに言う。ペコの鼓動は速まるばかりだ。

「ペコさん?」

民弥に呼びかけられても、答えられない。答える余裕がない。やがて民弥は「まあ…いいか」と呟いて去っていった。

「洋藻、さん…」

残されたペコは、震える声でそう呟いた。



 
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