小説5

□太陽がいた場所
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「太陽はもう、昇らない」



太陽がいた場所



「美於美、ご飯ここに置いとくからね」

部屋の入口から、カチャンと音がする。扉が閉まりきってから、美於美はゆっくりと動き出した。扉の前に屈み、その場でご飯を食べる。そして食事が終わると、またゆっくりともとの位置に戻った。無表情で窓を見つめる。カーテンは閉め切られていた。

「…陽玖」

美於美は窓を見つめたまま呟いた。

“美於美”

目を閉じれば、自分を呼ぶ声がする。

「陽玖…」
“おいで、美於美”
「いきたい…つれてって陽玖…」

目を開けると、そこには誰もいない。あるのは、暗く閉ざされた部屋だけだった。

「陽玖…」

――太陽は、もうない。

美於美はベッドに倒れ込む。

「おやすみ陽玖…」

呟いて、美於美はそのまま目を閉じた。




『美於美ー! 俺明日の数学赤点かもー!』
『ええ? ヤバいじゃん! 今日ウチ来なよ。一緒に勉強しよう!』
『ありがとう美於美! 美於美が教えてくれれば大丈夫だよー!』




目を開けると、暗い闇が広がっていた。夢の中はあんなに幸せだったのに。

「陽玖…」

起き上がって呟くが、返事はない。

「懐かしいな…あのとき陽玖、52点も取れたって喜んでたよね」

美於美は微かに笑みを浮かべる。しかしその笑みはすぐに消えた。

「無理してあたしと同じ高校行くから…あんな苦労することになったんだよ。無理して…あたしと、同じ高校…」

美於美は拳を握る。目から涙が溢れてきた。するとそこへ、ノックの音がする。

「美於美? 起きてる? ご飯置いとくわね」

母親の声がして、扉が少し開く。美於美は顔を伏せて、目を閉じた。扉が閉まると、再び顔を上げる。そしてパタリと布団に倒れ込んだ。





それからどれくらい経ったかは分からない。昼食は済んだから、昼過ぎであることは分かるが。母親が扉をノックした。もう夕食の時間だろうか。まだ早い気はするが。そう思っていると、部屋の外から声がした。

「美於美、友達が来てるわよ」

――友達?

わざわざ訪ねてくるような友達がいただろうか。学校で話をする友達は何人かいたが、美於美の家は知らないはずだ。そうしていると、誰かが部屋の前に立ち、母親は去っていったようだった。

「美於美、ちゃん?」

外から声がする。聞いたことのない声だった。

「初めまして。私、山女りずみって言います」

扉の向こうの人物が言う。美於美は答えなかった。

「最近この辺りに引っ越してきたばっかりなの。苗字は魚の山女。珍しいでしょ?」

その言葉に、美於美はピクリと反応した。

「魚の…?」

『みょーじはさかなのいわな。めずらしいだろ?』

陽玖に初めて会ったときのことを思い出す。あのときはお互いまだ幼稚園児だった。陽玖はいつも自己紹介のとき、そう言っていた。

「美於美ちゃん?」

また外から声がする。美於美は立ち上がり、扉に近寄った。

「ヤマメ…?」

扉の向こうのりずみに言う。人に口をきいたのは本当に久しぶりだった。

「そうだよ。山女」
「魚の…?」
「そう、魚の山女。山女りずみ」
「ヤマメ、りずみ…」

美於美はゆっくりと、その名を口にした。

「是代美於美ちゃん、だよね。同じ学校なの。よろしくね」

『俺も同じ学校だよ。よろしくな』

りずみが言う。扉の向こうに、失くしたはずの太陽がある気がした。






「美於美ちゃん、こんにちは」

りずみは翌日もやってきた。

「美於美ちゃん、豊旗さんと、唐風さんと仲良いんだね。美於美ちゃんの話ちょっと聞いた」

翌日も、その翌日も。

「今日雨間くん? って人がね、授業中に突然悲鳴あげて走り出したの。なんか机の下にゴキブリがいたんだって。みんな大爆笑」
「そのゴキブリ、どうしたの…?」
「あ、ゴキブリ? 先生が叩いたよ。現社の先生」
「現社…月暈か」
「そうそう! 月暈先生」

美於美も扉にもたれ、2人は背中合わせで会話するようになった。りずみの声はいつも明るく、美於美は少しずつ笑うようになった。

「美於美、顔見たい」

ある日りずみは、突然そう言った。美於美は扉を離れ、中に入ることを許す。ゆっくり扉を開いて中へ入ってきたりずみは、美於美を見た瞬間、駆け出して飛びついた。

「えっ…りずみ?」

美於美は突然のことに驚く。

「美於美…! 会いたかったっ!」
「そんな、大袈裟でしょ」
「ううん! すっごく会いたかった!」

りずみはイメージ通りの、明るい笑顔の女だった。その姿が眩しくて、思わず美於美は目を細める。

「カーテン、開けないの?」

りずみは部屋の中を見回したあと、言った。

「…開けたくない」
「なんで?」
「…太陽は、もうないから」
「太陽? 何言ってんの? あるじゃん! 今日はいい天気だし、眩しいくらい…」
「ないの!!」

突然、美於美は大声をあげる。りずみは驚いて黙った。

「…あたしの太陽は、もういないの…もう、いらないの…」
「美於美の、太陽…?」

美於美は頷いた。

「岩魚陽玖…りずみみたいに、魚の岩魚だって、珍しいだろって…自己紹介する人だった…」
「……」
「いっつも笑顔で…太陽みたいな人だった…あたしの、幼なじみ…」
「幼なじみ…」
「大好きだった…愛してた…! 言わなかったけど、伝わってるって思ってた…! ずっとずっと一緒だって…それが当然だって…なのに、なのに…死んじゃった…事故で、突然…」
「……」
「あたし、あたしの…あたしの目の前で…なんで、なんで置いていったの…? あたし、陽玖がいなかったら、何にも見えないよ…未来も何も…」
「美於美…」
「陽玖のいない未来なんて、考えられない…! だって結婚しようって、子供は3人ぐらいで、おじいちゃんおばあちゃんになって、子供も独立したら、2人で一緒に色んなところに旅行しようって…! 陽玖が言ったのに…! 陽玖がいなかったら、未来なんて見えないよ…!」

美於美は涙を流しながら言う。

「美於美、そんなこと…覚えて…」

りずみが呟く。美於美は顔をあげた。

「え…?」

りずみは同じように涙を流して、美於美を見ていた。

「りずみ…? まさか、まさか…陽玖、なの…?」
「美於美…」
「陽玖…陽玖…? ホントに、はる」
「違うよ!」

りずみは涙を拭いて笑う。

「じゃあ、私そろそろ帰るね!」

そう言ってりずみはさっさと部屋を出て行く。

「えっ…待って、陽玖!」

開け放された扉の外に、美於美は数週間振りに出た。そこにりずみの姿はない。美於美は階段を降りていった。

「美於美…!」

母親が驚いて駆け寄ってくる。

「りずみは!?」

美於美は母親に向かって言う。母親は眉をひそめた。

「りずみ? 何? それ」

美於美は自分の耳を疑った。

「何、って…人だよ! 毎日にうちに来てたじゃん!!」
「美於美? 何言ってるの? 誰も来てないわよ?」
「え…? だって、お母さんが連れてきたじゃん! 最初の日、友達が来たって…!」
「友達…? ああ、1度来てくれた子達ね」
「子“達”…?」
「確か…豊旗さんと、唐風さんって子よ。先生に住所聞いてきたって。美於美が返事しないから、2人共そのまま帰っちゃったのよ」
「そんな…そんなはず…ッ!」
「あっ美於美!」

美於美は走って家を飛び出した。向かう先は学校だ。同じ学校だと、りずみが言っていた。学校に着くと、ちょうど正面から例の2人が歩いてきた。豊旗亜美子、唐風さすまである。2人は美於美を見て目を見開く。

「美於美…!」
「亜美子! さすま! りずみは? 山女りずみ! ウチのクラスに転校してきたって…!」
「え?」

2人は驚いて顔を見合わせた。

「来てないよ。誰も」
「誰に聞いたの? それ」

美於美は表情を失う。そしてその場に崩れ落ちた。

「ちょっと、美於美!?」

2人は美於美に駆け寄る。美於美は呆然としていた。

「ゴキブリは…?」

美於美が力なく呟く。

「え? ゴキブリ?」

2人は眉をひそめる。

「教室に、ゴキブリが出たって…」
「ああ、あれじゃん? 雨間が大騒ぎしたやつ」
「あーあのことか。なんで美於美知ってんの?」

2人は言う。りずみの言っていたことは事実だったのだ。りずみは自分の幻覚ではなかった。美於美は少し安堵した。そしてゆっくりと立ち上がる。

「大丈夫? 美於美」

亜美子が美於美の顔を覗き込んで言う。美於美は頷いた。

「うん…」
「無理しないで、でもうちら待ってるから。美於美がまた笑ってくれるの」

さすまが笑って言う。美於美はさすまを見て、再び頷いた。



数週間振りの外を、美於美は歩く。夕日は正面で、美於美に向かって笑いかけていた。

「…あたしが欲しいのは、あんたじゃないわ」

美於美は、夕日に向かって言う。そして家の前まできた美於美は、立ち止まった。

「陽玖…?」

家の前に、陽玖がいた。りずみではなく、陽玖が。陽玖は振り返る。

「陽玖…!」

美於美は駆け寄って飛びつこうとする。しかし美於美は、陽玖の体をすり抜けた。振り返って陽玖を見る。

「陽玖…?」

陽玖は悲しそうな顔で美於美を見ていた。

「陽玖…? なんで…なんでそんな顔するの…? 笑って、笑ってよ。笑ってよ陽玖。いつもみたいに…太陽みたいに笑ってよ…!」

美於美は泣きそうな表情で言う。陽玖は更に表情を崩した。

「美於美…ごめん…」
「え…?」
「お前の未来に、俺はいられない。でも俺が太陽だって言うんなら…俺はいつも美於美を見てる。ずっとずっと…美於美と一緒にいるから。だから…未来が見えないなんて言うな。太陽はいらないなんて言うな」
「陽玖…だって、あたし、あたし、陽玖の笑顔が大好きだった…! 陽玖が、大好きだった…!」
「俺も好きだったよ。美於美が、大好きだったよ」
「なら連れてって…あたしも連れてってよ陽玖…!」

美於美が訴えると、陽玖は首を横に振った。

「…美於美がおばあちゃんになって、笑ってこっちにくるまで、ずっと待ってるから。そしたら…また一緒に笑おう。美於美が笑ってないと、俺嫌だよ。美於美がずっと部屋にこもってたら、ずっと泣いてたら…俺も笑えない」
「陽玖」
「俺も美於美の笑顔が好きなんだよ」

美於美は涙を拭く。そして笑顔を作った。

「陽玖…待ってて。ずっと、待ってて。あたしのこと忘れないで」
「待ってるよ。ずっとずっと待ってる。お前こそ、俺のこと忘れんなよ」

陽玖は、太陽のように笑った。
美於美の好きな、笑顔だった。











「美於美ー! もう出ないと間に合わないんじゃないの!?」
「分かってるよ! 今出る! 行ってきまーす!」

美於美は玄関を開け、真っ先に空を見上げる。

「おはよう! 陽玖!」

太陽に向かって、太陽のように笑って言い、美於美は走り出した。陽玖の好きな、笑顔だった。



end
テーマ:サンライズ


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