小説5

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『この家には妖精さんがいるんだ。いつも私達を守ってくれてるんだよ』



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クランは、名門フラットライン家の屋敷に仕える妖精だった。仕える、といってもクランの姿は人間には見えない。人間の見ていないところで、人間に気付かれないように、こっそり手助けをする。それが彼のような妖精の仕事だった。

『ああ、また勉強しながら寝てしまいました』

クランはクスリと笑い、フラットライン家の娘、ジンジャーに毛布をかける。彼はこのジンジャーに恋していた。
ジンジャーが生まれたのは、今から16年前。クランが屋敷に住み着いて、50年目の春だった。名前通りジンジャーは、すくすくと元気に育っていった。

「ようせいさん! どこにいるの? ジンジャーとおはなししようよー」

幼い頃から、両親に妖精のことを教えられていたジンジャーは、よくクランに話しかけてくれた。しかしジンジャーは、姿も見えず、声も聞こえず、気配を感じることもできない。それでもいつも、笑顔でクランを探してくれた。そんなジンジャーに、クランは徐々に惹かれていったのだった。

『…課題が終わっていないようですね』

クランはジンジャーの机の上を見て呟いた。解きかけの問題を広げたまま、ジンジャーは眠ってしまっている。

『やれやれ…』

時刻は2時を過ぎていた。



ジンジャーが起きたのは、それから5時間が経った頃だった。


「やだっ寝ちゃった…! どうしましょう宿題が…!」

寝起きの頭を覚醒させ、机の上を見たジンジャーは目をぱちくりさせた。

「終わっ、てる…?」

そして呟く。

「私…終わらせて寝たかしら…?」

考えて、ノートをよく見る。そして、途中から若干筆跡が違うのに気付く。

「! 妖精さん!? 妖精さんなの!?」

ジンジャーは立ち上がり、部屋の中を見回す。妖精の気配はない。ジンジャーが気付いていないだけで、クランは今も部屋の中にいるが。

「いるの? …妖精さん」
『いますよ、ここに』

言っても、ジンジャーには届かない。

「ありがとう。助かったわ」

ジンジャーは空を見ながら続けた。

「貴方が宿題をやってくれて…」

そこまで言って、ジンジャーは言葉を止める。そして何かに気付いたようにノートを持ち上げた。

「…宿題、宿題ができるのね? ノートに文字を書けるのね妖精さん!?」

再び空を見つめ、ジンジャーは言った。そして嬉しそうにノートに視線を戻した。

「ああ、なんてことなの…! これで、これで貴方と会話ができるわ!」

その日学校から帰ってきたジンジャーは、真新しいノートを取り出して言った。

「妖精さん、いる? 見て! ノートを買ってきたわ! これで貴方と会話するの!」

ジンジャーは机に向かい、ノートの最初のページを開く。ペンをとり、何かを書いた。そしてペンを置き、席を立つ。

「妖精さんは人間が見ていないところで行動するのよね? 私部屋の外にいるわ。だからお返事ちょうだいね」

そう言って、ジンジャーは部屋を出ていった。クランは机に近付く。ノートには、“貴方のお名前は?”と書かれていた。クランはペンを手にとる。妖精は人の見ていないところで行動する生き物だが、決して存在が知られてはいけない訳ではない。人間と交流してはいけないなどと決まっている訳でもない。

“クランと言います”

クランはそう書いてペンを置いた。そしてすぐに机の傍を離れる。

「書いた? 妖精さん」

扉の向こうからジンジャーの声がする。しかし返事をする術がクランにはない。扉をノックしてみたが、ジンジャーには聞こえないようだった。

「入るわね?」

少しして、ジンジャーは部屋の中に入ってきた。ノートに書かれた返事を見ると、顔を綻ばせる。

「クラン! クランっていうのね! ああ、嬉しい! クラン!」

ジンジャーは嬉しそうに、何度も何度もクランの名前を呼んだ。そしてまた何か書いて出ていった。クランは再びに机に近付く。“クランは男の人?”と書いてある。クランは“はい”と返した。



それから2人は毎日ノートを使って会話した。朝起きたジンジャーが、夜の間にクランが書いておいたメッセージに返事を書く。そして朝食の為に部屋を出るので、クランはその間に返事を書く。そして部屋に戻ってきたジンジャーは返事を書き、着替えて家を出る。クランはジンジャーが留守の間に返事を書いて、屋敷の中を見回る。帰ってきたジンジャーが返事を書いて夕食へ向かうので、クランはまた返事を書く。戻ってきたジンジャーが返事を書き、風呂に入っている間にクランが返事を書く。そして風呂から上がったジンジャーが返事を書き、ジンジャーが寝てからクランはペンをとる。内容はジンジャーの学校のこと、クランのこと、昔の話、様々だった。毎日毎日そのようなやりとりを続けても、2人は全く飽きなかった。






“クランには恋人はいないの?”
“いませんよ”
“それってずっとウチにいるから?”
“まあそれもありますが…好きでここにいるのですから、これでいいのですよ”
“どうしてここに住もうと思ったの?”
“温かい人々がいたからです”

「…変なの」

クランのその返事を見たジンジャーは呟いた。

「他の家だって、いいところはいっぱいあるわ。温かいのはウチだけじゃない。でもクランはずっとウチにいてくれる。それはどうしてなの?」

ジンジャーは振り返り、クランの方を向いて言う。偶然クランの方を見ただけで、決してクランが見えている訳ではないのだが。

『……貴女がいるからですよ』

クランは、ジンジャーを見つめて呟いた。勿論ジンジャーには届かない。ジンジャーが悲しげな表情をしていても、抱き締めることはできない。

「どうして私には貴方が見えないの? どうして貴方は私には見えないの? どうして…貴方は妖精なの…クラン…」

ジンジャーは自分のせいで悲しげな顔をしているのだ。なのにどうやっても、クランにはジンジャーを笑顔にすることはできない。クランは机に近付き、ペンとった。気付かれないように、そんなことは頭になかった。背後から字を書く音がして、ジンジャーは振り返る。ペンがコトンと音を立てて倒れた。ジンジャーはノートを覗き込む。

“泣かないで”

ノートには、走り書きでそうあった。ジンジャーはほんの少しだが笑う。

「…ごめんなさい。我儘よね。クランが傍にいてくれるだけで、私幸せなのに」

言ってジンジャーは、ノートに手を置く。

「クラン…今、ここにいる?」
『…いますよ』
「…いたらここに、手を重ねて欲しいの。きっと私には何も感じられないけど…それでも」

クランはジンジャーの手に、自分の手を重ねる。やはりジンジャーには、何も分からないようだった。それでもジンジャーは、幸せそうに目を閉じていた。



「ただいまー」
「お邪魔します」

ある日ジンジャーが友達を連れてきた。

「いらっしゃいノエル」
「お邪魔してます、おばさん」
「ノエルこっちよ、私の部屋」
「ええ」

2人分の足音がこちらに近付いてくる。

「どうぞ」
「お邪魔します」

扉が開き、ノエルが入ってきた。

「あ、こんにちは」

そしてノエルは、クランを見て言った。クランは突然のことに驚いて声が出ない。

「…ノエル?」

ジンジャーは不思議そうに訊ねる。

「この人、ジンジャーの家の執事さん?」

ノエルは振り返り、クランを指差して言う。ジンジャーから見れば、ノエルは何もないところを指差していた。

「…ノエル、クランが見えるの?」
「クラン? 貴方のこと?」

ノエルはクランを見て言う。クランはとりあえず頷いた。

「見えてるけど…何? どういうこと?」
「本当に、本当にクランが見えてるのね!? ねぇ教えてノエル! クランはどんな人なの!?」

ジンジャーは勢いよくノエルの腕を掴み、揺さぶる。

「え、ちょっとどういうことよジンジャー、落ち着いて!」

とりあえず中に入り、ジンジャーはクランのことを話した。

「なるほどね…ジンジャーの家に昔からいる妖精なんだ」

ノエルはクランを見ながら言う。クランは頷いた。

「人間の分からないところで、手伝いをしてくれる人なの。普通は人間には見えないんだけど…極稀に見える人もいるみたい」
「ふぅん。まあ、私結構霊感強い方だから、見えるのかも」
「いいなあ…私も霊感が強ければ…」
「霊感強くてもいいことないよ? 嫌なモノ見えるし、気味悪がられるし」
「でも、クランが見えるわ」
「……」
「クランが見えるのなら、他の何が見えたって私構わないわ」

ノエルはチラッとクランを見る。

「もしかしたら、見たらがっかりする程不細工かもしれないよ?」
「え?」

ジンジャーはノエルの方を向く。どうやらその可能性は考えていなかったらしい。

「ノートの中では紳士ぶってるけど、実際は性格最悪かも。今だってこの部屋の中を飛び回ってたり」
「えっ」

ジンジャーはきょろきょろと部屋の中を見回す。

『あの!』

クランは勿論そんなことはしていない。ノエルがクランの方を向いた。

『ジンジャーに変なこと言わないで下さい』
「なんで? 言われちゃ困るの?」
「ノエル?」

突然独りで喋り始めたノエルに、ジンジャーが呼びかける。

『…困ります。僕はジンジャーを、愛しているんです』

クランはノエルに向かって、はっきりと言った。ノエルは一瞬驚き、そして微笑んだ。

「ふぅん」

クランはその笑みを見てハッとする。

『あの、ジンジャーには! ジンジャーには言わないで下さい! お願いします…』
「…分かってるよ」
「あの…ノエル? クランと話してるの? クラン何て言ってるの?」

溜まりかねたジンジャーがノエルの腕を掴み言う。

「ジンジャーに変なこと言わないで下さいって」
「……」
「ジンジャー?」
「ジンジャー…? クランが、言ったの…? ジンジャー、って…クランが呼んでくれたの?」

余程嬉しかったのか、ジンジャーは涙目になりながら言う。

「言ったよ。ジンジャーって」
「…クラン…」
「それとさっきのは冗談。クランは、ノートの通りの紳士よ。ずーっとあそこに立って、ジンジャーを見守ってる」

ジンジャーは、ノエルが指差した方を見る。

「クラン…そこにいるのね…」
『…僕はいつも、貴女の傍にいます』
「僕はいつも貴女の傍にいます、って」
「っ…そうね…クランはいつも…私の傍にいてくれる…こんなに、こんなに近くに、いるのに」

手を伸ばしても、届かないなんて。ジンジャーはクランに手を伸ばし、続けた。クランはジンジャーのもとに歩いてきて、自分の手を絡めた。

「クラン…」
『ジンジャー…』
「クラン…!」

どんなに求めても、どんなに焦がれても、ジンジャーにはクランが見えなかった。今目の前で、クランが自分とジンジャーの指を絡めていることさえ分からなかった。
ノエルはそんな2人を見ていて、“儚い恋”という言葉しか浮かばなかった。






「結婚?」

気が付けば、2人がノートでのやり取りを始めてから10年が経とうとしていた。ジンジャーも今年で26歳になる。

「ああ、トレイシー家のご子息が是非にと。悪い話じゃないと思うが」
「…そう、ね」

ジンジャーは名門フラットライン家の娘だ。今まで話題にこそ出なかったものの、名家に嫁ぐのは決まっていたようなものだ。トレイシー家の子息といえば、この辺りでも顔も性格もよく、学歴もあり、経営力もある、完璧な男として有名だった。ジンジャーも何度か会ったことがあるが、印象はいい。断る理由がなかった。

「お受けするわ」

それから、ジンジャーの荷造りが始まった。クランは部屋の隅で、せっせと荷造りをするジンジャーを見ていた。

「…クラン、いる?」

突然手をとめて、ジンジャーが言う。

『いますよ』

ジンジャーに聞こえていないことは分かっているが、クランは答えた。



 
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