小説5
□排他的少女の排他的思考
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理解不能な恋心は→は
“可哀相”
“可哀相ね”
“本当に可哀相”
“可哀相”
『わたしにはもう、何も要らない』
排他的少女の排他的思考
その日空木櫂人は、夕暮れの堤防を歩いていた。社会人になって3年目。久しぶりの定時帰宅だ。そんな櫂人がふと川の方を見ると、誰かが川辺に立っていた。目を凝らしてよく見る。ツインテールの少女だ。あんなところで一体何をしているのだろう。櫂人が立ち止まって見ていると、少女はゆっくりと川の中へ足を踏み入れた。
「!?」
櫂人は慌てて堤防を駆け下りる。そうしている間にも、少女はどんどん川の中へと入っていった。
「ちょっと君! 何してんの危ないよ!」
櫂人は大声で叫びながら少女に近寄る。するとそれに気付いたように、少女が振り返った。
「早まらないで! 何があったか知らないけど、まだ若いんだから、これからいいこといっぱいあるって!」
必死に訴えながら近付いてくる櫂人を見ながら、少女は胸元に手を突っ込む。そして少女は、そこから取り出したナイフを櫂人に向けた。櫂人は驚いて立ち止まる。
「それ以上近寄るな」
ナイフを向けたまま、少女は言った。
「っま、待って! 落ち着いて、考え直して! いいことなんてこの先幾らでもあるって!」
櫂人はその場から訴えかける。少女は眉をひそめた。
「…何を言ってるんだ? お前」
「え、だって…自殺しようとしてるんじゃ…」
「私は魚を捕ろうとしているだけだ」
「はっ…? 魚?」
櫂人は訳の分からない少女の言動に戸惑う。魚を捕る? こんな川で? 櫂人が黙っていると、少女はナイフをしまってまた進み出した。
「えっいや、ちょっと待って! こんな川に魚がいる訳ないじゃん!」
櫂人が言うと、少女は再び立ち止まって振り返った。
「…そうなのか?」
少女は本当に知らなかったというような驚いた顔で櫂人を見る。それを見て、櫂人は必死に頷いた。
「なんで魚捕ろうとしてるのか知らないけど、こんな都会の汚い川に魚なんていないよ!」
実際本当にいるのかいないのかは知らない。汚い川にでも住める魚はいるのかもしれないが、そんなことを言ってはこの少女は川から出てこない。
「…そうか」
やがて少女は残念そうにそう言い、櫂人の方に歩いてきた。櫂人はホッと一息吐く。しかし少女は櫂人に少し近付くと、再びナイフを取り出して向けた。
「下がれ」
「え…?」
「後ろに下がれ」
少女は櫂人にナイフを突き出して言う。櫂人は少しずつ後ろに下がる。それに合わせて、少女は少しずつ川から出てきた。
「…ふう」
川から出た少女は溜め息を吐き、櫂人から離れるように堤防の方へ歩き出した。
「えっ…あの!」
櫂人は少女を追いかける。少女は櫂人に再びナイフを向けた。
「何だ」
「えっいや…なんで、魚なんか捕ろうとしてたのかなと思って…」
「そんなもの、夕食に決まっている」
「えっ夕食!? なんで!?」
「…なんで? 魚を夕食にするのに理由がいるのか?」
「いやっ…そうじゃなくて…! だって、夕食って…家に帰ったらお母さんが作ってくれてるだろ?」
「…お母さんなんていない」
「え…?」
「私に家族なんていない」
「……君、何歳?」
「14だが」
「14…って、家出でもしたの?」
「出る家なんてない。私の家はあそこだけだ」
そう言って少女が指差したのは、橋の下にある段ボール箱の集まりだった。よく見ると、段ボールが組み合わさって家のようになっている。
「え、あれ…?」
櫂人が言うと、少女は頷く。
「いやいやいやいや何言ってんのそんな訳ないでしょ! いい加減しなよ君! ちゃんと家帰んなきゃダメだよ!?」
「だから今帰ろうとしてるじゃないか」
「だからその家じゃなくて!」
「いい加減にするのはお前だ」
怒ったような声音で少女が言い、櫂人は黙った。少女は櫂人を睨みつけている。
「私にはもう何もない。私はもう何も要らないんだ」
「……」
「帰れ。とっととこの河川敷から出てってくれ」
14歳とは思えない鋭い眼差しで言われ、櫂人は従うしかなかった。堤防を登り始め、ふと櫂人は振り返る。少女は櫂人を監視するようにこちらを見ていた。
「…君、名前は?」
「獅子唐麻佑子」
教えてくれないかと思ったが、少女は櫂人を睨んだまま、そう言った。
「ししとう、まゆこ…」
漢字も浮かばない名前を呟いて、櫂人は再び堤防を登り始めた。
翌日櫂人は22時に退社し、同じように堤防を通って帰った。そして昨日麻佑子に会った場所に差しかかる。河川敷を一通り見渡してみたが、人影はない。やはりこんなところに住んでいる訳がないのだ。そう思って歩き出そうとすると、物音がした。櫂人は河川敷を見る。橋の下の段ボール箱の集まりの中から、麻佑子が出てきた。
「あっ…」
櫂人は思わず呟く。麻佑子が振り返った。髪を下ろしているが、結んでいたような癖がついている。そして櫂人を3秒程凝視したあと、「またお前か」と言った。
「何の用だ」
「あ、いや…今帰りで」
「ふぅん。遅いんだな」
「そうでもないよ。これでもまだ早い方だし」
「そうか」
「…まゆこちゃん、ホントにここに住んでるんだ」
櫂人が言うと、麻佑子は露骨に嫌そうな顔をした。
「だからそう言ってるだろ。それと馴れ馴れしくちゃん付けするな」
「ちゃん付けするなって…じゃあ何て呼べばいいんだよ。まゆこ?」
「……ちゃん付けよりはマシだな」
少し黙って、麻佑子が言った。
「そっか。でもまゆこ…ここに住んでて大丈夫なの? 危なくない?」
「大丈夫だ。自分の身くらい自分で守れる」
「ご飯は? どうしてるの?」
「コンビニとやらの裏に行ったら色々とあった」
「それ、ゴミじゃん!! 危ないよ! そんなん食べたらお腹壊すよ!?」
「そう言われてもな…この川には魚もいないのだろう? 他に食う物が…」
「…じゃあ、俺が持ってくるよ」
櫂人は、覚悟を決めたようにはっきりと言った。麻佑子は少し驚いた顔で櫂人を見上げる。そしてすぐに眉をひそめた。
「…餌付けして私をどうするつもりだ?」
それは予想外の言葉だった。警戒されているとは思っていたが、ここまでとは。
「っ餌付けって…そんなつもりは…」
「じゃあなんだ? どうして私に食い物を持ってこようとするんだ。お前には何の利益もないじゃないか」
「それは…」
「どうして私に関わろうとするんだ」
麻佑子は昨日のような鋭い瞳で櫂人に問う。目を逸らすことは許されない気がした。
「…なんか、ほっとけなくて」
櫂人は言った。本音だ。昔からそういう性格だった。すると、麻佑子のキツい眼差しが少しだけ弛んだ。
「…ほっといてくれ」
「無理だよ」
「じゃあ…好きにしろ」
そう言って麻佑子は視線を外した。それは了承の合図だった。櫂人はホッと一息吐く。
「じゃあ、明日の夜持ってくるよ。明後日の分を」
「ああ、分かった」
麻佑子は櫂人に背を向け、手をひらひらさせながら言う。帰れということだろうか。
「じゃ、また明日」
櫂人は笑顔で言ってその場を去る。麻佑子はそんな櫂人の言葉を聞き、
「…また明日、か」
と呟いて空を見上げた。
それから毎日、櫂人は次の日の分の食料を持って河川敷へ行った。
「お前も飽きないな」
麻佑子は溜め息を吐きながら言う。
「飽きないよ」
櫂人は笑った。この日は土曜日。櫂人は朝から河川敷にいた。
「いつまでここにいるつもりだ」
「いつまでって…夕方まで?」
「飽きないのか?」
「だから飽きないって」
2人は川の方を向いて話す。
「お前…変なやつだな」
「そう? 何処が?」
「そういうところだ」
麻佑子は再び溜め息を吐いた。
「…まゆこは、これからどうするの?」
「? どういう意味だ?」
麻佑子が櫂人の方を向いた。
「ずっとここで、こうやって生活してる訳にもいかないんじゃないの?」
「……そうだな」
「バイトとかしてさ、お金貯めて、それでどっかアパートとか借りて、就職すればいいんじゃない? そんなにうまくいくかは分からないけど…」
「…バイト、ってなんだ?」
「え?」
予想外の問いに、櫂人も麻佑子の方を向いた。麻佑子は眉をひそめて櫂人を見ている。
「?」
「え? バイトはバイトだよ。アルバイト!」
「ああ、アルバイトか」
「知ってるんだね? アルバイトは知ってるんだね!?」
「ああ、知ってるぞ」
「よかったー」
櫂人はホッとした。アルバイトも知らないと言われたら説明できない。
「でも、まゆこって結構知らないことあるよね…」
「そうか?」
「そうだよ。鯉のぼり見て『あれは何だ?』って言ったときはびっくりしたし」
「初めて見たからな」
「日本ならこの時期は何処にでもあると思うんだけど…」
「…そうなのか」
「まゆこもしかして…海外にいた?」
「…ああ」
「やっぱり! 何処にいたの?」
「…英国だ」
「えいこ…っイギリス!?」
麻佑子は頷く。
「…の割には、日本語上手いね」
「…家では日本語だったからな」
「そうなんだ…親は日本人なの?」
「父は日本人だ。母はイギリス人だった」
「ハーフなんだ! じゃあ結構お父さん似だね? 日本人っぽいし。日本には1人で来たの?」
「ああ」
「家族は?」
「…いない」
「いないって…」
「死んだ」
「……ごめん」
「やめてくれ。同情されるのが嫌で日本に逃げてきたんだ」
「…うん」
櫂人は言う。そして黙った。麻佑子も何も喋らない。
「…事故、か何か…?」
やがて櫂人は、麻佑子の様子を窺いながら言った。
「…火事、だ」
「火事…でも、まゆこの親戚とかは? いるでしょ?」
「…いるが」
「引き取ってくれなかったの? だとしてもまだ未成年なんだし、施設とかが…」
「いい加減にしてくれ!!!」
突然麻佑子が立ち上がり、叫んだ。
「さっきから何なんだお前は!!」
「え…いや、心配を…」
「そんなもの要らない!! これ以上私に近付くな!」
「まゆこ…」
「…もう、帰ってくれ」
麻佑子は静かに言い、櫂人に背を向けた。
「…ごめん」
櫂人は小さく言って立ち上がる。そして河川敷をあとにした。
翌日、迷った挙げ句、櫂人は河川敷に向かった。麻佑子は川辺に座っている。
「…また来たのか」
後ろに立つと、麻佑子は川を見ながら言った。
「しつこい奴だな」
「…ごめん」
「何の用だ」
「…気になって」
「気にするな」
「無理だよ」
櫂人は麻佑子の後ろに、買ってきた物を置いた。
「…あの」
そして少し黙ったあと、再び口を開いた。
「俺…もっとまゆこのこと知りたい。けど…話したくないなら、話さなくていいから。まゆこが話してくれるまで待つから。だから…これからもご飯、持ってきていい?」
「……、ダメだ」
やはり櫂人は見ずに、麻佑子が言った。
「まゆこ…」
「もう、ダメだ。二度と来るな」
「それは…俺が」
「リリエーレ様!!!」
そのときだった。堤防の方から声がし、2人は振り返る。誰かが堤防を下ってくる。2人いた。
「…ヴァージニア、フェネック…」
麻佑子が呟く。櫂人は麻佑子の方を向いた。
「まゆこ…?」
「リリエーレ様!! 捜しましたよ!?」
「全く、どうしてこんな遠くに…!」
2人は麻佑子に近付き、言う。麻佑子は驚いた顔で2人を見ていた。
「お前ら、何でここに…」
「何でじゃありませんよ! 貴女を捜しに来たに決まってるじゃないですか!」
「驚きましたよ! リリエーレ様が日本に飛んだなんて聞いて!」
「しかもシシトウマユコなんて偽名まで使って!」
「偽名…?」
櫂人が呟く。3人は櫂人を見た。
「カイト…」
「まゆこは、偽名…なんですか?」
櫂人が言うと、2人は顔を見合わせた。
「当たり前じゃないですか!」
「この方は我がライオンズグループの社長令嬢、リリエーレ・ライオンズ様ですよ?」
その言葉に、櫂人は目を見開く。
「ライオンズって…あの!?」