小説5

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「は…? 何言ってんだよ。なんでだよ」
『何でも。彪は気にしなくていいの。私のことは忘れて?』


FaKe.−フェイ−[


『さよなら』





それは突然だった。高校に入学してからいつも一緒だった恋人。喧嘩することはあっても、別れようなんてことにはならなかったし、今だって喧嘩していた訳ではない。いつものように電話がきて、出たら突然、『さよなら』と言われた。

『ごめんなさい。もう会えなくなったの』
「は…? 何言ってんだよ。なんでだよ」
『何でも。彪は気にしなくていいの。私のことは忘れて? さよなら』
「はっ? ちょっ…名残!?」

そのまま一方的に電話は切られ、何度かけ直してももう電話にも出ない。メールを送っても、エラーで返ってきた。どうやら、アドレスを変えてしまったらしい。何故こうなったのかは分からない。とにかく、月曜日学校へ行って聞いてみよう。そう思っていた。ところが。
休みが明けて学校へ行くと、彼女は退学していた。先生に理由を聞いても、家の都合と言われるだけだ。それ以来、彼女は姿を現さない。
彼女の名前は、磯部名残といった。





それから3ヶ月程が経った。やはり名残は戻ってこない。あれから彼女の家にもいったが、出てきたのは全く知らない人だった。どうやら引っ越してしまったらしい。引っ越して学校も辞めざるを得なくなったのだろうか。しかしそれならそうと言ってくれたっていいはずだ。それに別れる必要はない。となるとやはり、何か他に理由があるとしか思えないのだ。だが名残もいないし手がかりもない。名残を見つける手段は何もなかった。

「彪ー! そろそろ夢宇子のところに行くわよー!」

秦野彪が2階の部屋でゴロゴロしていると、階段下から母親の声がした。

「はーい!」

妹の夢宇子は先日事故で足を負傷し、現在病院で治療しているのだ。彪はそのリハビリの手伝いに行く。起き上がり、母親の運転する車で病院へ向かった。




「えーまた兄ちゃんきたの?」
「夢宇子! しょうがないでしょ? お母さんじゃ力不足なんだから」
「もう私1人でも大丈夫だって!」
「何言ってんの! 無理に決まってるでしょ!? ほら彪!」
「はいはい」

渋る夢宇子を、彪は車椅子に乗せる。夢宇子は膨れっ面だ。

「…車椅子くらい1人で乗れるのに」
「いいから行くぞ」

彪が車椅子を押そうとすると、夢宇子はそれを阻止した。

「兄ちゃんは押さなくていい! 押すのはお母さんだけでできるでしょ!?」
「夢宇子!」
「私だってもうすぐ高校生だよ!? 兄ちゃんに押してもらうなんてやだ! 恥ずかしいよ!」

言って夢宇子はさっさと自分で車椅子を動かして行ってしまう。母親はそれを慌てて追いかけて押し始めた。彪は夢宇子の病室の前で溜め息を吐く。そして追いかけようと歩き出して、すぐに足を止めた。夢宇子の横の病室のネームプレートを見る。

「磯部、名残…?」

彪は呟いて、夢宇子の元へ走った。

「夢宇子! なあ、お前の隣の部屋の人っていつからいる?」
「え? 知らないよ。私がきたときにはいたもん」
「会ったことは?」
「あるよ」
「どんな人?」
「凄い優しそうなお姉さん。あーでも兄ちゃんと同い年ぐらいかなあ」
「同い年ぐらい…」
「何? 兄ちゃん気になるの? やめときなよー兄ちゃんじゃ手届かないって!」
「……」

彪は立ち止まる。それに合わせて、母親も車椅子を押す手を止めた。夢宇子が振り返る。

「…兄ちゃん?」
「…ごめん、ちょっと行ってくる!」
「えっ、ちょっと兄ちゃん!?」

彪は走り出した。
間違いない。只でさえ珍しい名前なのに、苗字も同じで同い年くらいなんて、本人以外に誰がいる?

「名残…!」

何故ここにいるのか分からない。だが確かにそこにいるのだ。磯部名残。

「……」

病室の前に立った彪は呼吸を整える。そしてネームプレートを確認した。見間違いではない。確かにネームプレートには、“磯部名残”と書いてある。彪は深呼吸をして、ドアをノックした。

「はい?」

中から女の声がする。その声を聞いて、彪は懐かしく感じた。ゆっくりとドアを開ける。
そこにいたのは、紛れもなく名残だった。名残は彪を見て、驚いたように目を丸くする。そしてゆっくりと口を開いた。

「…どちらさまですか?」

彪の思考が停止する。今名残が何と言ったのか分からなかった。

「…っは? 何言って、」
「えっ? あっ、もしかしてどこかでお会いしました?」
「だからっ…!!」
「どなた?」

後ろから声がして、彪は振り返る。

「…おばさん」
「彪くん…」

そこには、名残の母親のつかさが立っていた。




「ごめんなさいね、急にいなくなって。びっくりしたでしょう?」
「…はい」

病院の庭を歩きながら、2人は話していた。何が起きているのか分からないという表情の名残に「戻ってから話す」と告げ、病室をあとにしたのだ。

「名残が彪くんには言わないで欲しいと言ったものだから…」
「どうして、ですか」
「…あの子なりに、思うところがあったんでしょうね」
「……名残は、名残の病気は、何なんですか?」

彪が尋ねると、つかさは立ち止まった。彪も止まって振り返る。

「名残はね、病気ではないのよ」
「…え?」

彪は言う。訳が分からなかった。病気でないなら、何故あそこに?

「あそこ、外科でしょう?」
「あ…じゃあ、怪我ですか?」

そうだ。あまり意識していなかったが、夢宇子は事故で入院しているのだから確かに外科だ。ということは、名残も事故に遭って入院しているということだろうか。それなら彪に「どちらさまですか?」と言ったのも、事故で記憶を失くしたからだと解釈できる。

「いいえ、怪我でもないのよ」

しかし、つかさはそれも否定した。

「…? だったら…」
「手術をしたの。彪くんを忘れる手術を」

彪の言葉を遮って、つかさが言った。彪は自分の耳を疑った。

「…は?」
「名残にとって…彪くんが邪魔になってしまったのよ。…と言っても、意味が分からないわよね」
「あの、どういう…」
「名残はね、“クイーン”に選ばれたの」

何か重大なことを告げるように、つかさは言った。しかし彪には、それが何なのか全く分からなかった。クイーン? それ自体は勿論、女王という意味だが、選ばれたとはどういうことなのか。今の話と何の関係があるのか。

「…と言われても、何のことかさっぱりよね」

彪が黙っていると、つかさが続けた。

「知らないのも無理ないわ。普通の人には知らされていないから。クイーンの存在を知ってるのは、この国でも本当に上の立場にいる人とクイーン本人、それとクイーンの家族ぐらいだもの」
「…何なんですかその…クイーン、って」
「クイーンはね、この国の象徴、国が守るべき存在」

彪の目を見て、つかさはゆっくりと言った。

「国が守るべき…存在?」
「位置付けとしては…天皇の下、ぐらいになるわ」
「てっ天皇の下って…」

それがどのくらい上なのかは分からない。しかし少なくとも、自分より遥かに高いということは分かった。

「位置付けとしては、ね。でもある意味で…天皇よりも重要な存在なのよ。クイーンには、国そのものの存亡がかかっているの」
「国の、存亡…?」
「この国はクイーンによってそのバランスが保たれている、と言ってもいいわ。国とクイーンは、一心同体なの。クイーンの身体は、国そのもの。クイーンが倒れれば、国も倒れる」
「…なんですか、それ」
「今経済的に不況でしょう? それにも、現クイーンの体調不良が影響しているわ。現クイーンは…もう寿命が近い。でも今のまま現クイーンが死んでしまえば、国も死ぬ。だからその前に、クイーンを交代する必要があるのよ」
「…それで、名残が次のクイーンになる、と?」

つかさは頷いた。訳が分からない。そんなものがあるなんて、聞いたこともない。しかし、たった今作った物語にしては出来過ぎているのも確かだった。

「…っでも、なんで、名残が…」
「それはうちが…うちと言っても磯部の方じゃないわ。私の実家…七竈家が、代々クイーンの家系だからよ」

彪は目を見開いた。

「じゃあ…現クイーンっていうのは…」
「七竈世詩絵、私の姉よ」
「姉…?」

彪は言う。てっきり名残の祖母が現クイーンなのだと思っていた。

「そう、私の姉。だから本当なら…クイーンは姉様の娘が継ぐべきだわ。だけど、姉様には娘がいないのよ。かといって私が継いだって意味がないでしょう? クイーンを継げるのは、名残だけ」
「…名残は、このこと…ずっと、知ってたんですか?」
「…自分が、次期クイーンだってこと?」

彪は頷いた。

「…ええ、知ってたわ」
「なら、なんで…教えてくれなかったんですか?」
「彪くんが、好きだからよ」
「……どういう、意味ですか?」
「名残が次期クイーンだって、いずれ別れなければならないって知っていて、彪くんは名残と付き合った? …名残は少しの時間だけでも、彪くんと付き合いたかったの。次期クイーンを理由に、それを断られるのが嫌だったのよ」
「…名残…」
「でも予想外だったわ」

つかさの声色が変わった。彪はつかさを見る。

「え…?」
「名残がクイーンになる前の検査があったのよ。それで、思っていた以上に、名残の脳が彪くんでいっぱいだってことが分かった」
「……」
「でもそれじゃ困る。名残はこれから事実上“国”になるのに、1人の人間をそんなに想っていたら、クイーンなんて務まらないわ。だから、名残の脳から彪くんの記憶を取り除く手術をしたの」
「…そんなこと、できるんですか…?」

つかさは頷いた。

「できるのは、この国でも本当に限られた人だけだけど」
「……」
「勿論名残の承諾は得てるわよ。“分かってたことだから”…そう言ったわ、あの子…」
「…そう、ですか…」
「だからお願い。彪くん」

つかさは改めて彪を見、言った。

「もう名残には、関わらないでちょうだい」
「…え?」
「彪くんと接することでまた思い出すようなことがあったら、名残にも国にも影響が出るのよ」
「……」
「お願い」
「……はい」

彪はそう言うしかなかった。どの道彪には何もできないのだ。名残の為を思うなら、そうするしかなかった。





つかさとの話のあと、夢宇子の病室へ戻ろうと歩いていると、名残に会った。

「…あ」
「あ、こんにちは」

名残はにっこり笑って、彪に近寄ってくる。

「えっと、あや…くんでしたっけ」
「…ああ。秦野彪」
「ハタノくん。私は磯部名残です。って言っても、知ってますよね」

名残はふふふ、と笑う。

「…ああ」
「母から聞きました。私の隣の部屋の…夢宇子ちゃんの、お兄さんなんですよね? いつも夢宇子ちゃんのリハビリを手伝いに来てるとか」
「別に…手伝う、ってほどじゃ…」
「でも偉いですよ、凄く。それから…私と同い年なんでしょう?」

早く会話を終わりたいと思う彪の気持ちとは裏腹に、名残は笑顔で話しかけてくる。彪は名残の顔を見られなかった。

「…そうみたいですね」
「とっても嬉しいです! この辺り年下の子か大人の方ばかりで、話が合う人がいなくて…」

名残は苦笑いで言う。しかし、このとき彪は嫌な予感がした。

「よかったら、話し相手になってくれませんか?」

嫌な予感は当たった。いや、本当は嫌な予感などではない。密かに期待していた言葉だ。しかしつかさに言われたことが引っかかる。“もう名残とは関わらないでちょうだい”。関わってはいけないのだ。名残が彪のことを思い出すようなことがあれば、名残にも国にも影響が出る。

「…ダメ、ですか…?」

彪が黙り込んでいると、名残は悲しそうな表情でそう言った。

「勿論、いいですよ」

ダメだった。名残は彪の恋人だった。彪は名残のことが好きなのだ。名残にそんな顔をされて、断れる訳がなかった。






「兄ちゃん、最近私がリハビリしてる間に名残さんと会ってるでしょ」



 
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