小説5

□運命の人
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Magic Mirror...



−運命の人−



「夏八木、和弥だね?」

夏八木和弥。今の会社に勤めて7年。気付けば周りは若い子ばかり。同僚は皆次々と寿退社していった。そんな中ただひたすら仕事だけを頑張ってきたのは、仕事が好きだからでもキャリアを積みたいからでもない。寿退社したくても、する相手がいないのである。彼氏いない歴29年。無論、生まれてからだ。恋愛に興味がない訳ではない。恋愛したことがない訳でもない。なのにダメだった。好きになった男にはことごとくフラれ、告白してくる男は正直タイプではなかった。和弥だって誰でもいい訳ではない。

「誰…ですか?」

和弥に声をかけてきたのは、灰色の瞳の女だった。

「私は松橋灰子という。通りすがりの…まあ、占い師のようなものだ」
「占い師…?」

和弥は呟く。占い師、というとインチキ臭い気もするが、現に名前を言い当てられている。信じた方がよいだろうか。

「お前…焦っているだろう」
「へっ?」

和弥は間抜けな声を出す。

「私がお前にチャンスをやろう」
「チャンス…?」
「これから3日以内にお前に出逢いがある。その相手は必ずお前を好きになる」
「えっ? ホント…ですか?」
「ああ。ただしその分の代償は貰う。期限は3ヶ月だ。3ヶ月以内に誰かに一生愛する事を誓ってもらわなければ、お前は死ぬ」

和弥は静止した。

「え…?」
「だが、それをクリアすれば、お前は一生その相手から愛される、必ず。いいな」
「えっ…ちょっと待って!」

和弥の言葉も聞かず、灰子は去ろうとする。和弥が振り返ると、そこには既に誰もいなかった。

「…え…!?」

道は直線で、何処にも隠れる場所はない。消えた、としか思えない状況。それが余計に、先程の言葉に信憑性を持たせてしまった。

「…ホント、なの…?」

和弥は道の真ん中で呟いた。





それから3日。
特に新しい出逢いはない。やはり夢か何かだったのだろうか。そうであってくれた方が嬉しい。何せ3ヶ月以内に一生の愛を誓って貰わなければ死んでしまうのだ。

「どう考えても無理でしょ…3ヶ月以内にプロポーズされるなんて…」
「あの、」

和弥が溜め息を吐いていると、後ろから声をかけられた。和弥は振り返る。

「へ?」
「これ、落としましたよ」

そこには、優しそうな男が立っている。その手には、和弥のパスケースを持っていた。

「あっ…ありがとうございます!」

和弥はそれを受け取る。

「では」
「あっ待ってください!」

そして笑顔で去ろうとした男の腕を、和弥は思い切り掴んだ。

「え」
「お名前! 教えていただけませんか?」

これしかないと思った。出逢った男には違いない。この人が灰子が言っていた男だ、と。





会社に着くと、和弥は携帯を開く。アドレス帳には“植村虎太郎”の文字がある。今朝出勤途中に出逢った男だ。とにかく必死でアドレスを聞いた。

「植村、虎太郎…」

和弥は呟く。

「夏八木さん、ですか?」

すると後ろから声をかけられた。

「はいっ!」

和弥は振り返る。あまり見覚えのない男が立っていた。

「あの、これ、課長が夏八木さんに渡すようにと」

男は手に持っていた茶封筒を和弥に渡した。

「課長? 課長って…冨士課長?」
「え? ああ、すいません。営業課の樹口課長です」
「ああ、営業課。どうりで見たことないと思った」
「すいません。俺営業課の斉藤です」
「そうですか。あ、ありがとうございます」

和弥は茶封筒を受け取る。

「はい。では」

そして斉藤は去っていった。和弥は再び携帯に目をやり、「植村、虎太郎…」と呟き、携帯を閉じた。





昼休み、和弥は早速行動に移すことにした。3ヶ月しかないのだ。もたもたしていられない。“今朝はありがとうございました。よかったら今度一緒に食事でも如何ですか?”とメールを送る。些か唐突過ぎるかとも思ったが、そこまで考えている時間はなかった。少ししてメールが返ってくる。

“いいですね。是非”

「よしっ」

和弥は小さくガッツポーズをする。

「どうしたんですか先輩」






「植村さん!」

和弥が待ち合わせ場所に着くと、虎太郎は既に来ていた。

「こんばんは」

虎太郎はにっこり笑う。カッコいい。

「あ、ごめんなさい! 遅れてしまって」
「いや、時間ぴったりですよ」

虎太郎が腕の時計を見せて言う。時計の針はちょうど19時を指している。

「よかったー」
「じゃあ、行きましょうか」
「はいっ」

2人が向かったのは、駅前に店を構えるフランス料理店だった。和弥はこういった店に来るのは初めてだ。来る相手がいなかったからである。友達とは基本居酒屋だ。

「この店よく来るんですか?」

席に着くと、虎太郎が問うてくる。

「いいえ! 初めてなんです」

嘘を吐いて後々ボロが出ても困るので、和弥は正直に言う。3ヶ月しかないのだ。何としてもイメージダウンは避けたい。

「あの、植村さん…」

注文を済ませたあと、和弥は慎重に呼びかけた。

「虎太郎でいいですよ」

虎太郎は笑顔で言う。眩しい。

「虎太郎さん。って、恋人いらっしゃるんですか?」

我ながら唐突過ぎると思う。しかし時間がない。死を前にすると、人はこんなに積極的になれるのかと思う。虎太郎はやはり笑顔だった。

「いたら食事断ってますよ」
「あ…ですよね! すいません。突然変なこと訊いちゃって」
「いえ、しかしなんでまた急に?」
「あー…虎太郎さん素敵な人ですから、モテるんじゃないかと思いまして」
「全然モテませんよ。和弥さんこそ、モテるんじゃないですか?」
「いいえ! 全っ然! 自慢じゃないですけど、私彼氏いたことないんですよ!」
「え、そうなんですか?」
「そうなんです! 好きになる人には好きになってもらえないし、好きになってくれる人はタイプじゃないし、ホント…」

そこまで言って、和弥は我に返る。

「あっ…すいません。1人で喋っちゃって…」
「いえ、お構いなく。しかし勿体ないですね。好きになる人に好きになってもらえないなんて」
「あ、はい…」
「ちなみに和弥さんのタイプってどんな人なんですか?」
「あー…そうですね…虎太郎さんみたいな人、でしょうか」

和弥は笑う。自分でも何を言ってるんだと思った。いくら時間がないといっても、流石に押しすぎだろうか。虎太郎は驚いた顔をしている。

「え?」
「あ、優しい人です。優しい人。パスケースを拾ってくれるような…」
「ああ…そういうことですか。びっくりしました」
「すいません変なことを言って。虎太郎さんは、どんな人がタイプなんですか?」
「僕ですか? そうですね…和弥さんみたいな人、でしょうか」

虎太郎がテーブルに肘をつき、微笑んで言った。

「…え?」
「パスケースを落とすような、おっちょこちょいな人」
「そんな人が、タイプなんですか?」
「どうでしょう?」

そこで料理が届く。虎太郎はワインを和弥のグラスに注ぎながら、

「貴方がパスケースを落としたとき、チャンスだと思ったと言ったら、信じますか?」

と言った。

「…チャンス?」
「話しかけるチャンスですよ」
「…!」

和弥は目を丸くして虎太郎を見た。今、何と言った?

「乾杯」

虎太郎はグラスを手にしてにっこりと微笑んだ。

「えっ? あ、か、乾杯」

和弥も慌ててグラスを手にとる。一口飲んで、

「で、どういうことでしょう?」

と尋ねた。

「いつも同じ電車なんですよ、僕達」
「…そうなんですか?」
「それで、気になっていて…」
「気に…?」
「まさか貴方から名前を訊いてもらえるとは思いませんでしたよ」

虎太郎はそう笑った。






「うまくいきすぎじゃない? これ」

虎太郎と同じ電車で帰り、別れてすぐ、和弥は呟いた。
3日以内に運命の人に出逢うと言われ、ちょうど3日後に出逢いがあった。必死で名前を聞き、アドレスを聞き、食事に誘った。すると相手の方から「気になっていた」との言葉。いくら占い師(というより魔女に近い気もするが)が作った出逢いといってもあまりに出来過ぎな気がする。
そういう訳で、虎太郎から事実上“告白”をされたのだが、あまりに突然のことで和弥は「考えさせてください」と答えてしまった。時間がないといえど、1度冷静になった方がよさそうだ。

「っていうか、ホントにこれでいいの…?」

和弥は再び呟く。3日目に出逢った虎太郎に勢いで声をかけ、うまくいきそうなのはいいが、そもそも虎太郎が好きで声をかけた訳ではない。好きではない相手と付き合って、結婚して、本当にそれで幸せになれるだろうか。

「まあ…好きになるのはあとからでもいいのか。虎太郎さんはいい人そうだし、悪くはないよね」

和弥はそう思うことにした。






「夏八木さん」

翌日、社内の食堂で昼食をとっていると、声をかけられた。見ると、この間の営業課の男が立っていた。

「あ、えっと…斉藤さん、でしたっけ?」
「そうです。斉藤蒼斗。あ、ここいいですか?」

蒼斗は和弥の正面の席を示して言う。

「ええ、どうぞ」

和弥が了承すると、蒼斗は和弥の前に自分のプレートを置いた。しかし何故わざわざ和弥の前に座るのか分からない。他にも席は空いているというのに。

「あの…」
「夏八木さん」

和弥が喋ろうとすると、蒼斗は遮った。

「はい」
「あの…これ」

言いながら蒼斗は自分の鞄を漁り、茶封筒を差し出してきた。和弥はそれを受け取る。

「これは?」
「樹口課長からです。先日の書類に不備があったので、その修正です」
「ああ、あれ。どうりで数字が合わないと思った」
「すみません」
「いえ、ありがとうございます」

受け取った封筒をプレートの隣に置き、和弥は続ける。

「でも、そのために私の前に?」
「あ、いや…それを届けに行ったらココだと聞いたので、僕もお昼にしようと思って」
「ああ、なるほど」

和弥は納得したように頷いて、食事を再開した。

「あの、夏八木さん!」

しかし蒼斗に呼ばれ、再び手を止めた。

「はい?」
「突然ですけど、夏八木さんは恋人とか、いらっしゃるんですか?」
「え?」

和弥の思考が一瞬静止する。今何と言った? 恋人? しかし蒼斗はそれ以上は何も言わずに、和弥を見ている。

「えと…恋人、ですか?」
「そうです」
「あー…いませんけど」
「いないんですか?」
「ええ、いませんよ」
「そうですか…」

蒼斗が安心したように呟く。一体何だというのだろう。

「…それが何か?」
「ああ、いえ…」

言って蒼斗は食事を始めた。首を傾げながら和弥も食事を再開する。しばらくして、食事を終えた蒼斗が箸を置いて和弥を見た。

「夏八木さん」
「はい?」

和弥は再び食事を止める。

「僕と結婚を前提に付き合っていただけませんか」
「……は?」

和弥は自分の耳を疑った。今結婚、と聞こえた気がしたのだが。

「…結婚?」
「はい」

和弥が聞き返すと、蒼斗は頷いた。聞き間違いではなかった。

「社内でときどき見かけて、ずっと気になってたんです」
「はあ…」

そのとき和弥の頭の中では、“結婚を前提=すぐ結婚できる”という式ができていた。虎太郎よりも、蒼斗と付き合った方が早く結婚できるのではないかということだ。

「あ…少し、考えさせてください」

そうしてまたも和弥は、答えを先延ばしにしたのだった。




 
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