小説5

□またあした
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付き合い始めて1年が経とうとしていた。そろそろ言わなければいけない。周りに話せば、「いや、遅ぇよお前」と言われるだろうが。自分だっていつまでもこのままは嫌だ。

「西谷」
「ん?」
「志津…って、呼んでいい?」
「……遅いよ。日向」

そう言って、彼女は苦笑いをした。





付き合い始めて1年が経ち、漸く僕らはお互いを名前で呼び合うようになった。しかしかと言って、それまで何も進展がなかったのかと言われればそうではない。キスくらいはしている。…ついこの間の話だが。周りには散々非難されるが、僕らは僕らのペースでやっているのだ。それでお互い満足しているんだから、いいんだ。



「日向、日向?」
「えっ? ああ、何?」

松村日向は我に返った。ぼーっとしていて、西谷志津の呼びかけに気付かなかった。一緒に帰っているところだというのに。

「何じゃないよもー。あのさ、今度の日曜、空いてる?」
「? うん、大丈夫だけど」
「ウチの親に日向の話したらさ、会いたいって言ってて」
「えっ志津のご両親が?」
「うん」
「それって…いい意味なのかな?」
「悪い意味ではないと思うよ。笑って話してたから」
「そっか…」
「だから今度の日曜、ウチに来て欲しいんだけど、いい?」
「…うん、分かった」

やがて志津の家の前に着く。

「じゃあ、また明日ね。日向」
「また明日、志津」

2人笑って手を振り合い、志津は家に入っていった。





日曜日、志津は待ち合わせ場所に来た日向の格好を見て驚いた。

「どうしたの? 日向。その格好」
「い、いや…ご両親に会うって言うから…」

その返答に、志津は吹き出した。

「何ソレー! 別に、結婚の挨拶しに行くんじゃないんだよ!? そんなっ…スーツなんて…」
「わっ笑うなよ! こっちだって一生懸命なんだぞ!?」
「っでも、スーツって…いつ買ったの…っ」

歩きながらも、志津は笑いっぱなしだった。人がこんなに緊張してるのに…と、日向は若干不機嫌そうに歩く。志津の家の前に着くと、いつもは志津が通るのを見ているだけだった門をくぐる。志津の家に入るのは初めてだった。

「ただいまー」

志津が勢いよく扉を開ける。

「お、お邪魔します」

日向は緊張のあまり、半ば叫ぶように言った。2人で靴を脱ぎ、中へ入る。リビングで、志津の両親がソファに座って待っていた。面接のように緊張する。すると父親が顔を綻ばせ、立ち上がる。

「君が日向くんか! 話は志津から聞いているよ。私は志津の父で西谷陽来だ。よろしく」
「母の一直です」

続いて母親も立ち上がり、微笑んだ。

「あっ初めまして! 松村日向と申します! よろしくお願い致します!」
「ぷっ」

日向が頭を下げると、隣で志津が噴き出した。日向はバッと志津を見る。

「志津!」
「だから、緊張し過ぎだって…っ」
「しょうがないだろ!?」
「まあまあ、座って」

陽来が自分の前のソファを示し、言った。「失礼します」と日向はソファに座る。そして隣に志津が座った。




「あ、今日の晩御飯の買い物がまだだわ」

しばらく4人で話をしたあと、ふと一直が言った。

「志津、悪いんだけど行ってきてくれない?」
「えっ? いいけど…何買ってくればいいの?」
「そうね…今日はビーフシチューにしようと思ってるから…牛肉とじゃがいも…人参はあるからいいわ」
「牛肉とじゃがいもね。分かった! 行ってきます!」

志津が立ち上がる。一直から財布を受け取り、玄関へ走っていった。急いでいるのだろう。日向を長い時間西谷家で1人にしないように。それは嬉しかったが、何故一直がわざわざ志津に買い物に行かせたのか分からなかった。

「……」

扉が閉まり、沈黙が訪れる。とても気まずい。沈黙に殺されそうだ。

「日向くん」
「はっはい!」

そんな中名前を呼ばれて、日向の声は裏返っていた。

「志津を頼む」

あまりに衝撃的で、一瞬意味が理解できなかった。

「は…?」
「志津を、頼む」

陽来はもう一度、はっきりと言った。

「っえ…? ど、どういう…意味、ですか…?」
「そのままの意味だ。志津を頼む。あの子がこの先どうなっても、君だけは最後まであの子を信じてやってくれ」
「え…?」
「大丈夫。君は志津が好きになった男だ。君なら志津を救える。君の声ならきっと…――      」






「私、追い出されたよね」

帰り際、日向が門を出たところで、志津が言った。

「そんなこと…」
「何話してたの? 3人で。私には言えないこと?」
「いや…、志津を頼む、ってさ」
「えっ?」

日向は笑った。嘘は言っていない。

「…お父さんがそんなことを?」
「うん」
「…そっか。へへ、嬉しいなあ。日向が認められたんだね」
「そうかも。志津が好きになった男だから大丈夫だ、って」
「何それ。お父さん恥ずかしいなー…」
「あっ、でも俺が言ったって内緒だよ?」
「うん、分かった。じゃあまた明日ね」
「うん、また明日」

そして日向は歩き出した。


日向が陽来の言葉の真意を知ったのは、それから少ししてのことだった。しかしそのときには、もう何もかもが遅かった。





朝、日向は持っていた箸を落とした。しかしそんなことは気にも止めず、ただテレビに釘付けになっていた。【夫婦惨殺 高2長女行方不明】の文字、そして画面に映る志津の家に。

『亡くなったのはこの家に住む西谷陽来さん50歳と、妻の一直さん48歳です。そして西谷さんの長女志津さん17歳の行方が分からなくなっており、警察では犯人が西谷さんら2人を殺害し、志津さんを連れ去った可能性が高いとみて、捜査を進めています』
「…志津」





全く集中できないまま授業を終え、日向は警察署へ走った。警察署なんて初めてだが、あまり緊張はしなかった。緊張している場合ではないからだろう。警察署に着くと、すぐ近くにいた警官に近寄る。

「あの、西谷志津は、西谷志津についてどこまで分かってるのか教えてくれませんか!?」
「は…?」
「お願いします!」
「君」

後ろから呼ばれ、日向は振り返った。

「志津ちゃんの知り合いか?」

スーツを来た中年の男が日向に問う。

「…はい。あなたは…?」
「私は竹谷という。志津ちゃんの主治医だ」





警察署を離れ、2人は人気のない公園に着いた。

「あの、主治医って、どういう…」

ベンチに座ると、日向は早速聞いた。

「そのままの意味だ」
「志津は何処か悪いんですか?」
「悪いか、と訊かれれば、悪くはない。しかし、壊れている」

日向は目を見開いた。

「壊れ、て…?」
「日向くん、といったね。君は志津ちゃんの恋人かい?」
「…ええ、まあ…」
「なら君だ」
「え?」
「君が引き金を引いたんだよ、日向くん」
「引き金…?」
「今回の事件、犯人はあの子かもしれない」

日向は再び目を見開いた。

「っ何を、」
「テレビでは誘拐だとか言っていたが、警察も気付いているかもしれんな」
「ちょ、待ってください! 志津が、自分の親を殺して逃げたって言うんですか!? 志津が、志津がそんなことするわけ…!」
「逃げたんじゃない」

竹谷ははっきりと言った。

「出て行っただけだ。殺す人がいなくなったから」
「は…?」
「言っただろう。あの子は壊れていると」
「壊れてるって、だからっ、どういう、」
「志津ちゃんは長期間恋ができないんだよ」

日向は黙った。竹谷の言っている意味が分からなかった。

「え…?」
「志津ちゃんは君が好きだった。君といることでいつもドキドキしていただろう。だがその“ドキドキ”が、あの子にとっては悪影響だったんだよ。ドキドキしすぎると、志津ちゃんの身体は徐々に侵されていく。それが溜まりに溜まって、今回のように爆発して暴走するんだ。まだはっきりとしたことは分かっていないんだよ。志津ちゃんが何に侵されているのか。ほとんど前例のない病だ」
「ほとんど…?」

日向は呟いた。

「ほとんど、ってことは、少しは前例があるんですか?」

竹谷は頷く。

「ああ、分かっているだけで3件ある。しかしどれも悲惨な最期を遂げているよ。知っている人ばかりを殺傷して死刑、のように」
「死刑…」
「ただ、全力で人を愛しただけなのにな」
「……でも、志津はそんなこと一言も…」
「志津ちゃんは知らなかった。ご両親が言わないでくれと言ってきてな」
「ご両親が…」

ふと、日向は志津の両親と話したときのことを思い出した。


『日向くん、志津を頼む』
『君の声ならきっと――…』


「あれはそういう意味だったんだ…」
「どうした?」
「志津のお父さんに、“志津を頼む”って言われたんです。“君なら志津を救える”って」
「それは…」

日向は立ち上がった。

「志津を助けられるのは、俺しかいない」
「日向くん…」
「竹谷さん、ありがとうございました」

日向は振り返り、頭を下げる。

「ああ…だが、これだけは覚えていてくれ」
「はい?」
「あの子はもう、西谷志津じゃない」
「……」
「そう思っておいた方がいい」
「…分かりました」

そして日向は、竹谷と別れた。
それから日向は走り回った。志津がこれ以上罪を重ねずに済むように。

「きゃああああああああああ!!!!」

嫌な予感がして悲鳴の方へ走る。辺りには誰もいない。

「! 真次!」

日向は道の真ん中に倒れている人に駆け寄った。

「真次! しっかりしろ真次! 真次!!」

クラスメイトの真次一賀だった。一賀はうっすらと目を開ける。日向は一賀を抱き起こした。

「し、づ…志津、が…」
「何も言うな!」
「志津、じゃ、ない…」
「…え?」

すると背後で、ガサッと音がする。日向は振り返った。

「こーんにーちはっ♪」

志津が壊れた笑みを浮かべながら立っていた。

「…志 津」

日向は声を絞り出す。血まみれの志津は、眉をひそめて首を傾げた。

「しずぅ? 誰ですかぁ? それ。私しずじゃないですよぅ」
「は…?」
「しなえです。今本しなえ」

目の前の志津はニッコリと不気味に笑う。何を言っているのだろう。何処からどう見ても志津なのに。

「しなえ…?」
「はい」
「なら、志津、は、志津は何処に…」

すると志津はニヤリと笑った。

「…ああ。しず、って“この子”ですかぁ」

志津は自分を指差して言う。そして続けた。

「“この子”は私が食べちゃいました。ふふっ、ごちそうさまです」

日向は目を見開いたまま黙る。

「あなた…“この子”の大切な人でしょう? ふふっ、分かるんですよぅ。“この子”がそう言ってるんです」
「…志津が、何か言ってるのか?」
「ふふっ、無駄ですよぅ? “この子”はもう死んだんです。戻ってはこないんですよぅ」

志津は笑う。どう見ても志津なのに、どう見ても志津じゃなかった。


『あの子はもう、西谷志津じゃない』
『志津、が…志津、じゃ、ない』
『しなえです。今本しなえ』


「…志津」
「あなたは“この子”の大切な人ですから…いっぱい殺してあげますねぇ? ふふっ、自業自得ですよ? あなたが私を生んだんですからぁ」

志津は手に持ったナイフを日向に向けた。

「ふふっ、また明日」

日向は目を見開いた。志津はナイフを振り上げる。

「志津!!!」

日向は叫んだ。志津が動きを止める。

「…しずじゃないって、言ってるじゃないですかぁ」

ナイフを振り上げたまま言う。もう笑ってはいなかった。

「…違う。君は志津だ」
「…だから、しずじゃないって、」
「君は志津だ!!」
「しずじゃない」
「志津だ!!」
「志津じゃない!!」
「志津!!!」

志津は黙った。眉間に皺を寄せて日向を見る。

「志津、帰ろう。大丈夫だ。何も怖くないよ」
「…何、言ってるんですかぁ…?」
「志津! 他人の振りなんてしなくていい! 君は志津だ。分かるよ俺には」
「ち、違…私は、」
「志津」

志津は顔を上げ、日向を見る。


『大丈夫』


陽来の言葉を思い出す。


 
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