小説3

□漆
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「寒い…」

自分の住処の壁際に座り、白菊は1人呟いた。自分がずっと住んでいる場所なのに、もう肌寒い季節は過ぎたのに、白菊はそこを寒いと感じていた。





座ったままいると、兎が1匹白菊に近寄ってきた。

「…ごめんなさいね。私では貴方を温めてあげられないわ」

白菊は兎に向かって言う。

「それにしても、どうしてこんなに寒いと感じるのかしら…?」

呟いて兎の頭を撫でると、兎は気持ちよさそうにしている。そしてそのあと、固まって動かなくなった。白菊はゆっくりと手を離す。

「…ごめんなさい」

白菊は膝を抱えた。長袖のシャツの袖を掴む。1週間前に隆茂の家に行ったとき、隆茂がくれたものだ。『こっちに来るときは、これ着たらいいよ。やっぱり半袖だと注目浴びるし、これ見た目暖かそうだけどそうでもないから。僕のお古でよかったら…使って。僕も君が変な目で見られるのは嫌だし…』と言われ、あのときもまた体温が上がったような気がした。確かに見た目の割には風を通す服だ。
雪山の風が冷たい。

「会いたい…」

自分がそう呟いたことにも、白菊は気付かなかった。
次会いに行くときは、何を持って行けばいいのだろう。自分は隆茂から色々なものをもらっているのに、自分は隆茂に何もあげられていない気がする。
白菊は立ち上がった。
住処を出、走り回る。何かあげられるものはないかと必死に探す。雪山には、悲しいほどに何もなかった。白菊は泣きそうになりながら走る。そのとき、白菊は何かに足を引っかけて派手に転倒した。

「わっ」

雪は柔らかく、痛くはない。白菊は起き上がって振り返った。雪を掻き、何に足を引っかけたのか確かめる。どうやら人間が捨てていったゴミのようだ。裸足で踏んでいたら怪我していたかもしれない。隆茂がくれた草履のお陰で、怪我をせずにすんだ。
白菊はその場にふわりと倒れた。上から雪が降ってきた。目を瞑る。このまま雪に埋もれてしまいたいと思った。

「おい!」

隆茂の声が聞こえた気がした。空耳だろう。ここは雪山だ。ザクザクと音が聞こえる。

「どうしたっ? 大丈夫!?」

今度はすぐ近くで声がした。白菊は目を開ける。隆茂が青ざめた顔で白菊を覗き込んでいた。

「よかった…! 大丈夫?」

隆茂は安心したように言う。白菊は何が起きているか理解できていなかった。自分の頬をつねる。

「……痛い」
「夢じゃないよ!」

そしてようやく白菊は状況を飲み込んだ。勢いよく起き上がる。

「! 貴方何故此処に居るの!? 来るなと言ったでしょう!」
「だって君がなかなか来ないから…!」
「まだそんなに経っていないでしょう!?」
「何言ってんだよ! 1週間って長いよ! 僕は毎日でも君に会いたいくらいなんだ」
「……毎日?」

隆茂は頷いた。

「流石にそこまで無理は言わないけどさ。せめて3日に1回くらいは来てほしいかなーなんて…あっいや、そんなに頻繁に会いたくないっていうんなら別にいいんだけど!」

照れるように笑った隆茂に白菊は胸が暖かくなった。首を横に振る。

「私も…毎日貴方のことを考えているの。毎日貴方に会いたいわ」
「…ホントに?」

白菊は頷いた。

「だから…毎日行ってもいいかしら? 私1人で居てもとても退屈なの」
「…勿論だよ!」

隆茂は嬉しそうに笑う。

「それより貴方は早く山を下りなさい。全く、死なれたくないから来るなと言っているのに」

白菊は立ち上がる。

「君は大丈夫なの?」
「何がよ?」
「え、なんで倒れてたの?」
「別に倒れてた訳じゃないわ。ただ寝転がっていただけよ」
「なんだ…よかった」
「いいから行くわよ」

白菊はさっさと歩き出す。

「あっ待ってよ! そんなに早く歩けな…」

隆茂は山に登る格好をしているため、とても歩きにくそうについて来る。急ごうとして足が縺れ、隆茂は転んだ。

「わっ」

その声を聞いて、白菊は振り返る。

「ちょっと、大丈夫?」

そして近付いていって手を差し伸べた。隆茂はその手を取ろうと手を伸ばす。そして隆茂の手が白菊の手に触れようとしたとき、白菊はハッとしたように手を引いた。そのせいで隆茂は再び後ろに倒れる。

「わっ! なんだよもう」
「あ…ごめんなさい」

白菊が悲しそうな表情をしていたので、隆茂は怒る気も失せた。

「…どうしたの?」
「…触れてはいけないわ」
「…どうして?」
「どうしてって…前に言ったじゃない。私に触れたら、貴方は凍ってしまう」
「……」
「悪いけれど、自力で起き上がって頂戴。早く行きましょう」
「…うん」

隆茂が起き上がるのを待って、白菊は歩き出した。今度はあまり急がせないように努めた。隆茂が急いでその度に転んでいたら、それこそ凍死してしまいそうだ。





隆茂を送って住処に戻ってきた白菊は、中がそれほど寒くなくなっていることに気付いた。何だかぽかぽかする。それよりも、明日もまた隆茂に会えることが楽しみだった。何を話そう。お土産に兎の肉でも持っていこうか。考えているだけで住処の中が暖かくなる気がした。
壁際で兎が凍ったまま、白菊の帰りを待っていた。
今日の晩御飯にしようと思い立ち、火を焚き始める。いつもは肉を薪の上にセットしてから火を焚く。だからそれは気まぐれだった。火が強まり暖かくなってくると、隣で固まっていた兎の氷が溶け出した。そして少しぎこちなく動き出し、すぐに元気よく跳ね回り始めた。

「!」

白菊は驚いて言葉が出ない。兎はくるくると白菊の住処の中を跳ね回っている。

「…あ、なた…死んでなかったの…!?」

白菊はやっとのことで声を絞り出し、兎に話しかけた。勿論兎は答えないが、返事をするかのように走り回っている。そして白菊の住処を出て行った。

「あっ」

白菊はそう洩らしたが、食料を逃したという気持ちではなかった。雪山に消えていく兎を黙って見送る。兎が見えなくなると、白菊は自分の手を見た。
何故だか無性に隆茂に会いたくなったので、早く明日になって欲しいと思った。



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