小説3

□伍
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白菊はこない。
気がつくと、あれから1ヶ月が過ぎていた。しかし隆茂には、それが1年にも感じた。
もう来ないのかもしれない。
もしかしたらやっぱり、あの出来事自体夢だったのかもしれない。
そう思い始めていた。





その頃白菊は住処の中をうろうろしていた。「会いに行く」とは言ったが、どのタイミングで行ったらいいのか分からない。あまり早く行くと迷惑かもしれない。そんなことを考えていたら、いつの間にか1ヶ月程経っていた。肌寒い季節も過ぎ、また少しずつ暖かくなっている。

「…そろそろいいかしら」

白菊は呟いた。

「足の具合が気になるし、会いに行かないと来るかもしれないわ。そうして死なれでもしたら迷惑よ。そうね、そうだわ。行きましょう」

1人で喋り、白菊は頷いて住処を出た。暑いだろうから、ノースリーブで雪山を下りる。端から見たら異様な光景だっただろう。しかし誰も通りかからなかったので、その異様な光景を見た者はいなかった。
隆茂から教えられたのは、通っている大学の場所だった。家の場所は分かりづらいから、と言っていた。目的地が近付くにつれ、賑やかな声が聞こえ出す。白菊はその声の中に、隆茂の声を探した。

「だから違うって! あれはさー…」
「!」

白菊にはそれが隆茂の声だと分かった。何せここ何十年か彼以外の人間の声を聞いていなかったし、その上1週間程共に生活していたのだ。もう1つの理由は、白菊には思いつけないでいた。
そして角を曲がったとき、白菊は女と楽しそうに会話しながら歩く隆茂を見た。

「あっ…!」

隆茂が白菊に気付き、声をあげる。それを聞いて隣の女も白菊を見た。そして顔を引きつらせる。

「え!? 何、知り合い? めっちゃ寒そうなんだけど! なんで真冬にノースリーブ!? 超有り得ない!」

女の言葉が白菊の頭の中で反響する。そうだ、自分は有り得ないのだ。人間からすれば。
隆茂は女の方を向いて口を開いた。

「今西、ごめん今日は…」
「いいわよ、別に」

それを遮るように、白菊は言う。2人が白菊の方を向く。

「え…?」
「私は貴方の足の具合を見にきただけだから。大丈夫そうね、よかったわ」
「うん…君のお陰だよ。ホントにありがとう」
「お礼ならもう貰ったわ。こちらこそありがとう。それじゃあ、私はもう行くわ。さようなら」

白菊は振り返って走り出す。

「えっ…ちょっと待って!」
「あっ隆くん!」

呼びかける女の声も無視して、隆茂は白菊を追いかけた。

「待ってって! ねぇ!」
「何よ!」

白菊は立ち止まって叫んだ。白菊が叫んだことに驚いて、隆茂は立ち止まる。

「あの子と帰ればいいじゃない! 貴方達いい雰囲気に見えたわよ? 私が来る必要なんてないじゃない」

白菊はまくし立てる。自分でも何を言っているのか分からなかった。
隆茂は自分のマフラーを外しながら白菊に近付き、その手首に結んだ。

「な、によ」

白菊は振り返って隆茂を見た。

「…君が逃げちゃいそうな気がしたから」

隆茂は辛そうな顔をして言う。あの隆茂の背中を見たときのように、白菊の胸がチクリと痛んだ。

「……馬鹿ね。私は雪に姿を変えられるのよ? こんなものすり抜けられるわ」
「なら、なんでしないの?」
「…え?」
「逃げられるなら逃げればいいじゃんか。それにさっきだって、走って逃げずに雪になってしまえば、僕追えなかったのに」
「……」
「…僕に会いに来てくれたんじゃないの?」

隆茂は白菊の目を真っ直ぐ見て言った。

「……」
「僕は、会いたかったよ」
「……そうかもしれない」
「え?」
「私、貴方に会いたかったのかもしれないわ」

白菊は隆茂の目を真っ直ぐ見て言った。すると、隆茂が口元を弛ませた。

「そっ、か…よかった…」

白菊はマフラーを外し、その代わりにしっかりと握った。

「これ以上は、近付けないわ。さあ、貴方の住処は何処?」
「え?」
「教えてくれるんでしょう? 私もう大学の近くへは行きたくないわ」
「え…なんで?」
「貴方が女の子と仲良く話しているのを見るなんて嫌なのよ」

それは俗に云う焼き餅というものだったが、白菊は全く気付いていなかった。そして隆茂も気付いていなかった。

「そっか…ごめん。話さないように気を付けるね」
「…別に話したら駄目だと言っている訳じゃないのよ? ただ私が見るのが嫌なだけで。貴方が全く女の子と話さなくなって冷たい人だと思われるのも嫌だもの」
「難しいな…頑張る」
「で、住処はどちらなの?」
「こっち!」

隆茂はマフラー越しに白菊の手をひいていった。嬉しいのか、若干小走りになる。1度では覚えられそうにない複雑な道を歩き、少しして隆茂はコンクリート製の比較的古いアパートの前で止まった。

「ここ。2階の角部屋なんだ」
「へえ。結構綺麗ね」
「そう? 古い方だと思うけど」
「そうなの? 基準がよく分からないわ」
「…ああ、そっか」

隆茂は頷きながら階段へ向かう。しかし白菊がついてきていないことに気付いて振り返る。

「どうしたの?」
「え?」
「こないの?」

それを聞いて、白菊は目を泳がせた。

「え…入って、いいの?」
「何言ってんの。じゃあ何のためにきたの?」
「……貴方に、会うため?」
「会って、どうするの?」
「会って…?」
「その後」
「その後…」

白菊は俯いて黙り込んだ。そして少しの間考え込んだあと、

「…何も。何も考えていなかったわ。ただ、貴方に会いたかったの」

と言った。隆茂は困ったように口元を弛ませる。

「…それはそれで嬉しいけど…」
「けれど、何?」

白菊は首を傾げる。

「…いや、話したかったとか、言って欲しかったなー…なんて」
「えっ? あ、いや、貴方の話は面白いわ」
「…ぷっ」

それを聞いた隆茂は目を丸くしたあと吹き出した。

「! 何故笑うのよ!」
「だって、それフォローになってないよ…っ」

隆茂は可笑しそうに笑う。白菊はやはり笑われる理由が分からなかった。不満そうに口を尖らせる。

「…勝手に笑ってなさい」
「ごめんっ…とりあえず、中に入ろう? 外で話してると通りかかった人が驚くから。…君があまりに薄着で」
「…でも、暑いんだもの」
「いいからっね?」

隆茂は白菊に手招きをする。

「私が入ったら、貴方の住処はとても寒くなるわよ?」

それを聞いて隆茂は一瞬静止する。

「……こ、凍る?」
「…多分、凍りはしないけれど」
「ならいいよ! おいでっ」

隆茂が笑顔で白菊を呼ぶ。白菊は気温が更に上がったような気がした。ゆっくりと一歩を踏み出し、隆茂に近付く。

「うー寒いねー」
「暑いわ」

そんな会話をしながら、2人は隆茂の部屋に向かった。



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