小説3
□狂った歯車は、悲鳴を上げて動き出す。
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※『全てを忘れるには、丁度良いのかもしれない。』の続きです。そちらを先に読まれることをおすすめします。
「喜ばしい報せだ! 王妃様がお子様を身ごもられたそうだ!」
「なんと! それはめでたい!」
「そういえば聞いたか? レヌコレートのミルソレイユ女王も間もなくお子様をご出産なされるそうだ」
「そうなのか! そうすると、お子様同士のご結婚もあるかもしれんなあ」
狂った歯車は、悲鳴を上げて動き出す。
当時そこには、ミロステル王国という小さな国があった。国王ナリシスタは国民に信頼され、王妃レイラシアは国民に慕われていた。政治も国交も安定しており、国は平和だった。
そんなナリシスタとレイラシアの結婚から19年が経った。彼らは2人の子宝に恵まれ、第一王女をリースタ、第二王女をナルシアといった。リースタは17歳、ナルシアは15歳、この時代においてはもう既に結婚相手を見つけなければならない年になっていた。
「母様、リースタです」
広いミロステリア城の一室の扉を叩き、リースタが言った。
「入って」
中から、母親であるレイラシアの声がした。リースタは扉を開ける。レイラシアは窓の近くの椅子に腰かけていた。
「お話とは何でしょう?」
リースタは扉の近くに立ったまま問う。
「まあ座って」
そんなリースタに、レイラシアは自分の向かいの椅子を示して言った。リースタは言われた通り、椅子に腰かける。
「で、お話とは?」
「そんなに急かさないで頂戴。紅茶でも飲みながらゆっくりお話しましょう」
レイラシアはテーブルの上に置かれた紅茶を手に取り、一口飲んだ。
「…はい」
リースタもテーブルの上の紅茶を手に取る。
「この紅茶は?」
「ダージリンよ。さっきマリノに運ばせたの」
「そういえば、廊下で会いましたわ」
「そう」
レイラシアはまた一口飲むと、紅茶をテーブルの上に置いた。
「リー」
「はい」
リースタも紅茶をテーブルに置く。
「貴女ももう17です」
「ええ、分かっていましてよ」
「もう立派な大人だわ」
「それが何か?」
「結婚相手を、決めなければならない」
レイラシアははっきりと言った。リースタは口元に笑みを浮かべたまま、レイラシアを見ていた。
「わざわざリースタを呼びつけてそうおっしゃるということは、」
リースタは再び紅茶を手に取り、一口飲んだ。
「候補がいらっしゃるのですね?」
「…リーは物分かりがよくて助かるわ。そうよ、王が、貴女を嫁がせたいとおっしゃっている方がいるの」
「それは何方?」
「レヌコレート王国のレイチェル王子よ」
リースタは紅茶を置いて、「レヌコレート王国…」と呟いた。
レヌコレート王国はミロステル王国の隣に位置しているが、ここ20年はほとんど交流が行われていなかった。当然レイチェル王子にも会ったことはない。
「…父様は、リースタをレヌコレート王国へ嫁がせることによって、国交を回復しようとお考えなのですね」
「そのようです。王が王位を継承してから、ずっと国交が途絶えていますから」
「父様が王位を継承したことに何か問題があったのかしら」
「さあ、あの女王の考えはよく分からないわ」
言って、レイラシアも再び紅茶に手を伸ばした。
「…母様は、ミルソレイユ女王様にお会いしたこと、あります?」
「…いいえ、ないわ」
「レイチェル様にはお会いできませんの?」
「既に席を設けてあります。当然でしょう?」
「いつですか?」
「…明日」
「明日? 随分急ですのね」
「王は焦っておいでなのよ。国交が途絶えている国が1つでもあるのが気に入らないのね。しかも自分が王位を継承してからだから…」
「そのようですわね。父様はそんな方だわ」
「よろしいかしら? 明日で」
「ええ、構いませんわよ」
リースタは、空になったティーカップをテーブルに置いた。
「お話はそれだけ?」
「そうね。ただ、今回の話がうまくいって貴女がレヌコレートへ嫁ぐことになったら…」
「ええ、分かっていますわ。ナルシアがミロステル王国の次期女王、でしょう?」
「本当に物分かりがいいわね、貴女は」
「妹に次期女王の座を譲るくらい構わなくってよ、母様。リースタも女王にはナルシアの方が相応しいと思います」
その時、扉を叩く音がした。
「母様ーっナルシアです。入ってもよろしいですかーっ?」
廊下から、ナルシアの弾んだ声が聞こえてくる。何かいいことでもあったのだろうか。
「構わないわ。お入りなさい」
レイラシアが返事をすると、ナルシアは「失礼します」と扉を開けて入ってきた。
「あら、姉様もいらっしゃったの? 何か大事なお話の最中だったかしら?」
「いいえ、丁度終わったところよ。で、どうしたのナルシア?」
リースタが問うと、ナルシアは2人に近付いてきて言った。
「聞いてください母様! 姉様! ナルシアは恋をいたしました」
「恋?」
リースタとレイラシアは聞き返す。ナルシアは頷いた。
「ええ! 素敵な殿方でしたわ! ナルシア、一目惚れでしたの!」
息を弾ませてナルシアは言う。その姿はキラキラとしていた。
「そんなに素敵な方なの? で、その方は何処の国の王子?」
レイラシアが問うと、ナルシアは少し驚いたような表情で言った。
「え? 違うわ母様。城下の方よ。この国の」
「城下? ナルシア、貴女また城下におりていたの?」
「いいじゃないリー。民の暮らしぶりを知ることも、大事な王族の務めなのだし、まして次期女王のナルシアなら尚更だわ」
「…次期女王?」
ナルシアは自分の耳を疑った。
「次期女王ってなんですか? 姉様は?」
「リーはレヌコレート王国へ嫁ぐかもしれません。そうなればナルシア、貴女がこのミロステル王国の次期女王となるのよ」
「ね、姉様がレヌコレートへ…? つまり、レイチェル王子とご婚約されるということですか?」
「まだ決まった訳ではないわ。とりあえずは明日、レイチェル王子にお会いしてからね」
「明日…」
ナルシアは突然のことに驚き、言葉を失っていた。
「リースタ姉様」
部屋を出たあと、ナルシアがリースタに呼びかけた。
「何? ナルシア」
「姉様はこれでよろしいの? 姉様はレヌコレートへ嫁いで、ナルシアが次期女王だなんて」
「構わなくってよ。リースタも女王にはナルシアの方が相応しいと思うわ」
「姉様…」
「貴女の方こそ、それでよいのかしら? ナルシア」
その言葉に、ナルシアは僅かに表情を動かした。
「…どういう意味ですか? 姉様」
「貴女、リースタが女王に成るのなら、自分は城下へ降りるつもりだったのではなくって?」
するとナルシアは、哀しげに俯いて呟いた。
「…ナルシアは女王になんて相応しくないですわ。ナルシアは民と、あの方ともっと、対等になりたいのです」
「その方に城に上がっていただいては駄目なの?」
「あの方が、それを望むようには思えませんわ」
「父様は、」
「え?」
「…いえ、何でもないわ。レヌコレートの王は、確かこの国の出身ではなかったかしら?」
「ええ、そのように聞いておりますわ。確か、ミルソレイユ女王の一目惚れだとか…」
「王の名は聞かないわね」
「…そういえばそうですわね。王子の名は伝わってきているのに、何故かしら」
翌日。
ミロステル王家一行は、国境を越えてレヌコレート城へ向かっていた。
「リースタ、お前はいつも黒いドレスを着ているな」
馬車の中、ナリシスタが向かいに座るリースタに言った。
「ええ、それが何か?」
「黒しか持っていないのか?」
「ええ、父様。リースタは黒いドレスしか持ち合わせておりませんわ」
「…そうか」
「父様、リースタは黒という色が好きなのです。黒は落ち着いた印象を与えますし」
「…それはそうだがな…」
ナリシスタは溜め息を吐く。
「お、父様、ナルシアはもっと庶民的な衣服が好きですわ」
「そうなのか? お前は派手なドレスが好きなのだと思っていたが」
「こっ、好みが変わったんですのよっ」
「無理はやめなさい、ナルシア」
「む、無理などしていません!」
「貴女が城下に降りるなんて無理なのよ」
「姉様っ」
「ナルシアが城下に?」
ナリシスタは眉をひそめた。ナルシアは目を反らす。
「王族が庶民になるだなんて、簡単にできることじゃなくってよ? そうでしょう? 母様」
「…何故私に訊くの? リースタ」
「あら、母様はその逆を経験してらっしゃるから分かるかと思いまして」
「…まあ確かに、城に上がるより降りる方が大変だとは思うわ」
「…それくらい分かっていますわよ」
ナルシアは不満そうに呟いた。
「それはそうと母様、母様はレヌコレート王国の王様がどのような方かご存知?」
「王? 女王ではなくて? …いえ、そういえば、全くと言っていいほど何も知らないわね」
レヌコレート城の一室で、レヌコレート王国女王ミルソレイユが窓の外を眺めていた。側の椅子には王子レイチェルが、部屋の隅には王らしき男がいる。
そのとき、扉を叩く音がした。
「女王陛下、ミロステル王家御一行様が到着されました」
「…分かりました。この部屋に通しなさい」
「はっ」
「こちらです」
家臣の男に誘導され、ミロステル王家一行はある扉の前に立った。
「よいのか?」
ナリシスタが家臣に向かって尋ねる。
「どうぞ。お入り下さい」
すると中から、ミルソレイユの声がした。
「どうぞ」
家臣が扉を開ける。
一行は部屋の中へ足を踏み入れた。
「お久しぶりです、ミルソレイユ女王」
「ええ、こちらこそ。お元気そうでなによりですわ、ナリシスタ王」
挨拶をしながら、2人は握手を交わす。
「紹介しますわ。ナリシスタ王、王子のレイチェルです。それから――」
ミルソレイユが部屋の隅の男を見る。ナリシスタもそれを追った。レイラシア、リースタ、ナルシアも同様にその男に目を遣る。
そしてレイラシアは、目を見開いた。
「リー」
ミルソレイユが呼びかける。
レイラシアと同じように。