小説2
□理解不能な恋心は
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「好きです!」
「あ、そう」
理解不能な恋心は
上記のようにして黒木慎之介は、小笠原栄子の告白をあっさりと断ってしまった。断った、とも言えない返答である。というより、ただ単に興味がないと言ってしまっていい。栄子にも、栄子の告白にも、そして恋愛にも。
「あ、そうって…それだけ、ですか?」
「…他になんか言うことある?」
「……」
「大体、君誰? 何年生?」
「あ…小笠原、栄子です。1年の…」
「1年。じゃあ後輩か。へぇ」
知らないな、と慎之介は続ける。栄子は泣いて走り去るだろうか。そう考えていた。
「なら、知って下さい」
「え?」
しかし予想外にも、栄子は泣いていなかったし、走り去りもしなかった。ただ真っ直ぐ、慎之介を見ていた。
「私のこと知って下さい! よろしくお願いします、先輩!」
「あ、ああ…」
頷いてしまったことを、慎之介はこの直後に後悔した。
放課後、栄子はぴったりと慎之介にくっついて来ていた。
「おい」
「はい」
「なんでついてくるんだ」
「好きだからです」
「答えになってない」
「なってますよ。先輩が好きだから、一緒にいたいんです。私のこと、もっと知って欲しいんです」
栄子は真っ直ぐ慎之介を見る。慎之介は栄子の肩に腕を回した。
「じゃあ教えろよ」
栄子の唇を指でなぞり、自分のそれを近付けていく。栄子は目を閉じた。
「…へぇ」
慎之介は唇が触れ合う直前で止め、呟いた。顔を離して意地悪く笑う。
「キスのときそんな顔するんだ」
栄子は目を開いて慎之介を見る。顔が段々紅くなっていった。
「次は何教えてもらおうか。どんな喘ぎ方するのか、とか?」
意地悪く笑いながら慎之介は栄子に近寄っていく。栄子は反射的に後退りした。
「っ…」
「何処が1番感じるか、とか?」
一歩、また一歩と、慎之介は栄子に近付いていく。ついに栄子は壁に追い込まれてしまった。慎之介は壁に手をついて栄子の逃げ道を奪う。
「そっ、そういう意味、じゃ…」
「俺はそっちの方が知りたいんだけど?」
慎之介は栄子の髪に手を伸ばす。毛先をくるくると弄りながら笑う。そのとき。
「っいい加減にしてください!!」
栄子が思い切り慎之介の股間を蹴った。
「った!!!」
あまりの衝撃に慎之介はうずくまる。
「ああっ!! 先輩すみません!! まさかそこに当たるとは…!」
栄子は驚きながら言う。たとえ当たったのが股間でなかったとしても相当痛いであろう強力な蹴りだった。
「狙ってなかったとしともまず蹴んな!!」
「だって先輩が急に迫ってくるから…!」
「お前がもっと知って欲しいって言ったんだろ!?」
「そういう意味じゃありません!!」
栄子はなかなか食い下がらない。慎之介は溜め息をついた。
「俺のこと好きなんだろ?」
「好き、ですけど…」
「だったらいいだろ」
「よくないです! そういうことは付き合ってお互いにもっとよく知ってからするもので、まだよく知らないのに…」
「よく知らないのに、お前俺のこと好きなんだろ?」
「っ好きですけど!」
「俺の何処が好きなんだよ」
「……」
栄子は黙った。いやそこは黙るとこじゃないだろう、と慎之介は思う。何処が好きかと訊いたのだ。考えるようなことではあるまい。しかし栄子は考え込んでいるように喋らない。
「おい」
「全部」
慎之介が声をかけると、栄子は顔を上げて言った。
「です」
真剣な表情で言う。
「は?」
「考えてみたんですけど、やっぱり何処が1番って決められません。全部、好きです」
「…あっそ」
やはり分からない。栄子が何を考えているのか。
「いい加減にして!! もううんざりだわ!!」
「そうかよ、だったら出てけ!!」
家に帰るなり、罵声が聞こえてくる。またやってる、と思った。こんなこと日常茶飯事だ。リビングに入ると、案の定両親は取っ組み合いの喧嘩だった。
「そうやって私を追い出して別の女を連れてくるつもりなんでしょ!?」
「だったらなんだよ! お前だっていつでも転がり込める男ぐらいいくらでもいるんだろうが!!」
今回の喧嘩は父親の浮気が原因らしい。ちなみに前回は母親の方の浮気だった。
この2人にとっては些細なことでも喧嘩の原因になる。家庭崩壊なんて言葉、聞いて笑ってしまう。そもそも家庭なんてあったもんじゃない。
「…あら、慎之介。帰ってたの?」
今慎之介に気付いたというように、母親は言う。父親もこちらを見ていた。
「…ああ、ただいま」
言ってリビングのソファにカバンを置き、キッチンに向かう。冷蔵庫を開けて食べ物を探す。
この男が食べるものを何故私が作らなきゃいけないんだ。それが母親の持論だった。ついでに慎之介の分もない。ないので自分で作るしかない。こんなの家庭などとは呼ばないだろう。ただ他人が同じ建物で暮らしているだけだ。
「…シズル」
慎之介は冷蔵庫の中を見たまま言った。
「何?」
母親が返事をする。慎之介は両親を名前で呼ぶのだ。家庭ですらないこの家の中で、親子という関係が成立しているとは思えない。かつてはお父さん、お母さんと呼んでいたこともあったような気がするが、今やこの2人はお父さん、お母さんではない。自分をこの世に産み落としただけの人間だ。母親は黒木シズルという。ちなみに父親は黒木大貴といった。
「卵切れてる」
「あーそう? 買っといてくれない?」
「…ああ」
慎之介はシズルの財布を掴み、家を出て行く。間もなく喧嘩が再開されるだろう。別に慎之介がいたから喧嘩をやめていた訳ではないが。
スーパーへ着くと、真っ先に卵売り場へ向かう。10個入りを1パック手に取り、レジへ足を向けた。
「あれ、先輩?」
栄子がいた。
手には買い物カゴを持っていて、カゴには人参とキャベツが入っている。
「…何してんだ」
「何って、買い物に決まってるじゃないですか」
「何で買い物してんだよ」
「御飯を作るためですよ。それ以外に理由がありますか?」
「お前が作るのか?」
「そうですよ? こう見えて、私料理得意なんですから」
栄子は自慢げに言った。
「…へえ。なら作れよ」
「え?」
「お前の料理俺に食わせろよ。そしたら惚れるかもしれないぞ?」
「っホントですか!? なら私張り切って作っちゃいますよ?」
栄子は嬉しそうにはしゃいでいた。単純過ぎる。慎之介は思った。
「じゃあ明日、弁当頼むわ」
「はいっ! 頑張ります!」
「先輩何が好きですか?」と栄子は楽しそうに言った。好きな食べ物も知らないのに、人を好きになれるものなのか。慎之介には理解できない。
「…唐揚げ食べたい」
「分かりましたっじゃあ鶏肉買って帰りますね!」
栄子はニコニコしながら肉売り場へ駆けていった。慎之介はその後ろ姿を見ながら溜め息を吐き、レジへ向かった。
慎之介が家に戻ると、意外にも室内は静まり返っていた。まだ喧嘩しているものと思っていたのに。
「…ただいま」
リビングに入ると、シズルがソファに座ってうなだれていた。大貴の姿はない。
「ああ、慎之介。お帰り」
慎之介の声に気付いたシズルが、顔を上げて言った。慎之介は黙ってキッチンへ向かう。卵をパックから1つ取り出し、残りは冷蔵庫に入れて調理を始めた。
「慎之介」
ソファに座ったまま、シズルが慎之介の方を見ずに言った。
「何」
「離婚、するから」
「あぁ、そう」
慎之介は全く驚かなかった。寧ろ何故今まで離婚しなかったのかの方が疑問だ。やっとか、という感じだった。
「アンタはどっちについていきたい?」
「どっちでもいいよ」
どちらについていっても愛人との生活になるのだろう。正直どちらにもついていきたくはなかった。
「どっちでもってアンタね…」
「じゃあ大貴にするよ。苗字変わんの面倒だし」
「…そう」
シズルは大きく溜め息を吐いた。
「アンタはあんな男にはならないでね」
そう呟いて、シズルは再び下を向いて顔を手で覆った。言われずともなるつもりなどない。
食事を終えて部屋へ戻る途中、大貴に会った。どうやら自室へこもっていたようだ。大貴は慎之介の姿を認めると、「アイツから聞いたか」と言った。
「離婚のことだったら聞いたけど」
「そうか。どっちについていく?」
「大貴についていくよ。苗字変わんの面倒だから」
「…そうか」
「お前はあんな女には引っかかるなよ」と言い残し、大貴は自室に戻っていった。言われずとも、引っかかるつもりはなかった。愛なんて信用できない。
『好きですっ!』
愛なんて。
4限の授業が終わり、慎之介は席を立った。いつも昼は売店でパンを買う。売店へ向かう為、慎之介は教室のドアへ歩いた。すると勢いよく走ってきた栄子が慎之介の道を塞いだ。
「先輩っ!」
栄子は息を切らしながら笑顔で言った。
「何だよ」
慎之介が言うと、栄子は手に持った紙袋を示して言った。
「お弁当、作ってきました」
「…ああ」
そうだった。昨日スーパーで弁当を作ってこいと言ったのだった。すっかり忘れていた。
「ああ、じゃありませんよっ席何処ですか?」
「え? 真ん中の列の前から4番目…」
「失礼しまーす」
栄子は慎之介の横を通って教室に入る。
「あっおい!」
慎之介の言葉を無視して、栄子は慎之介の席へ向かっていた。周りの生徒はその光景を驚きの表情で見ている。
慎之介は栄子を追う。
「…おい」
「なんですか?」
栄子は既に慎之介の1つ前の机を動かして、慎之介の机とくっつけていた。
「お前も一緒に食べんのかよ」
「当たり前じゃないですか」
「なんで当たり前なんだよ。全然当たり前じゃないだろ」
「当たり前ですよ。私先輩と一緒にお弁当を食べたいんです」
栄子の発言に周りは驚く。ヒソヒソと話をしていた。
「…勝手にしろ」
慎之介は溜め息を吐いて椅子に座った。栄子は嬉々として紙袋を机に置く。袋から弁当を2つ取り出すと、1つを慎之介の前、もう1つを自分の前に置いた。
「いただきますっ」
栄子は手を合わせて弁当箱を開ける。
「…いただきます」
「はいっ」
慎之介も弁当箱を開けた。中には昨日慎之介がリクエストした唐揚げをはじめ、卵焼きやミニトマトなど色とりどりの食べ物が入っていた。弁当箱は2段になっており、下には炒飯が入っていた。
「これ…お前が全部作ったのか?」
「そうですよ? どうですか? 惚れ直しました?」
「いや、惚れ直すも何もまだお前に惚れてねぇし…」
「まだ? まだってことは、この先好きになってくれるってことですかっ?」
「そんな予定ねぇよ」
「えー」と言いながら栄子は唐揚げに箸を伸ばす。
「…いつも」
「え?」
「いつも自分で弁当作ってんのか?」
「そうですよ? あ、なんだったら毎日作ってきてあげましょうか? 1人分も2人分もあんまり変わりませんし、人の分を作る方が楽しみが増えます」
「…じゃあ、頼むわ」
昼食を買う手間も省けるし金も浮く。愛とは使えるものだ、と慎之介は思った。
「はいっ」
栄子はまた笑顔で言った。その笑顔にも少しも胸は痛まない。自分の心は死んでいるのかもしれない。そう慎之介は嘲笑った。
「あれ?」
すると栄子が言う。見ると、栄子は慎之介が食べている弁当箱を見ていた。
「なんだよ」
「先輩…ミニトマト食べないんですか?」
「えっ?」
慎之介はミニトマトだけを綺麗に残していた。
「ミニトマトもちゃんと食べて下さいよ?」
「…なんでだよ」
「なんでだよじゃないでしょう! 何の為に野菜入れたと思ってるんですか?」
「だったら他の野菜にしろよ。なんでミニトマト入れるんだよ」
「…先輩、トマト嫌いなんですね?」
栄子は確信めいた口振りで言った。慎之介は目を泳がせる。栄子がニヤッと笑った。箸でミニトマトを掴み、慎之介の口元へ持って行く。
「あーん」
「!?」
慎之介は驚く。周りも驚いて2人を見る。この子は何を言ってるんだという目である。