小説2

□W
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『やめてっ…!』
『大人しくしてろ!』


FaKe.−フェイ−W


『いやあああぁ―――――――――――っっ!!!』






「よぉ! なぁーにしてんのっ?」

この街には、全く知りもしない相手に、友達のように馴れ馴れしく話しかけてくる奴らがいる。
まあいわゆる、“ナンパ”というヤツだ。

「何処行くのっ? うわっ、姉ちゃんスゲェの持ってんな! 今、ヒマ? よかったらさ、オレとしない?」

特にこの時間帯に街にいる男達には、そう言う奴が多かった。

「いくら?」
「え?」

言い寄ってくる男達に、女は決まってそう言った。

「1回いくらくれんの?」
「……金取んのかよーいいじゃん、減るもんじゃないし。あ、でも金出したら絶対ヤらしてくれんの?」
「金額によっちゃ途中までだけどね」
「それはやだなー折角こんなイイ女とヤれるんだし、やっぱサイゴまでヤりてぇよなー、1万は?」

男は女の前で人差し指を立てた。

「……」

女は何も言わない。

「んーじゃあ、3万!」
「……」

女がまだ黙っていると、男はため息を吐いた。

「なんだよ、意外にガード堅いな。まあ、確かにそんくらい出す価値ありそうだ。じゃあ5万!」

男がそう言うと、女は薄ら笑いを浮かべた。

「いいよ」
「やりぃ!」

男は女の肩に腕を回し、2人は夜の街に溶けていった。


女の名前は末松朗子といい、年は20歳そこらだった。
親もいない、兄弟もいない、勿論友達もいない。
彼女は10年も前に――売られた。


男から約束どおりの金を貰ったあと、朗子は夜の街をふらふらと歩いていた。
腰が痛い。体がダルい。
毎度の事だが、やはり慣れそうもない。
しかし5万手に入った。
1回で5万なら中々安いもんだ。
自分の体が男に悦ばれるモノでよかったと思う。

ドンッ


「わっ」

突然、何かがぶつかる感覚があって、小さな悲鳴が聞こえた。
ふらふらしていた朗子は、その衝撃でその場に倒れてしまった。

「えっ…!?」

倒れるとは思っていない相手は驚く。そして朗子に恐る恐る近寄ってきた。

「あ、あの…? 大、丈夫、ですか…?」

朗子はのっそりと起き上がる。
綺麗な顔をした少年だった。

「あ、はい…すいません」
「いえっ、こちらこそっ…ごめんなさい、周り見てなくて…そ、それに、倒れるとは思ってなくて…あの、何処か悪いんですか?」

少年は心配そうに訊いてくる。
今にその心配が呆れに変わるだろう、と朗子は思い、言った。

「腰が痛くてね」
「腰、…」

少年は復唱する。

「あと、体がダルいんだ」

これだけ言えば分かるだろう。
見た感じ高校生だ。
高校生にもなってセックスに興味のない男なんていない。

「……病気、なんですか…?」
「は?」
「え、僕なにか、変なこと言いましたっ?」

少年は焦りながらそう言う。


――まさか、高校生にもなって、セックスについての知識がない男がいる…なんて。


呆れるのはこちらのほうだった。

「あ、アンタそれ…ほ、本気で言ってんの…?」
「え、それって?」
「病気なんですかってヤツよ! 分からない? 腰が痛い、体がダルい、理由っていったら、ヤったからに決まってんでしょ!?」
「…何をやったんですか?」
「…え?」

少年は本当に分からないようだ。改めて訊かれると、とても答えづらい。

「何をって…そりゃあ、ナニよ」
「え? なに?」
「もぅ…っ! セックスよ!!」

朗子は苛立ちのあまりつい大声を出してしまい、通行人が一斉に振り返る。
少年は朗子の前で目をぱちくりさせていた。

「せ…??」
「まさか、セックスって言葉も知らないワケじゃあ、ないわよね…?」
「そ、それは…知ってますけど…」
「けど、何?」
「その…、セックス、をすると、腰が痛くなったり、体がダルくなったり、するんですか…?」
「そうよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、腰を振るから?」
「腰、を?」

少年は首を傾げる。
そしてしばらく黙った。
そのあと。

「あのっ、ひとつ訊いてもいいですか?」

少年は遠慮がちに言う。
朗子は、さっきからいくつも訊いてるじゃないか、と思った。

「なによ?」
「え、えと…セックスって、具体的に、どういうことをするんですか?」
「…え?」

予想外の問いに、朗子は返答に困る。説明してしまっていいのだろうか。

「って、そんなこと言わせるなあーっ!!」
「うわっごめんなさいっ!」

少年は両手を挙げ、降参のポーズをとる。
そういうことを恥ずかしげもなく訊けてしまうあたり、本当になにも知らないということなのだろう。

まさか、イマドキこんな純情少年がいるとは。


「アンタ、名前は?」
「え?」
「名前」

朗子が繰り返すと、少年は明るい笑みを見せて言った。

「春枷翔大です!」
「はるかせ、しょうた…」
「お姉さんは?」

少年――翔大は、笑って問う。
汚れを知らない、純粋で屈託のない笑みだった。

「末松、朗子」
「サエコさん! とっても素敵な名前ですね!」
「何処が? しょうたはいい名前だね」
「ありがとうございますっ! 僕も気に入ってるんです」

そう笑う翔大の態度は変わらない。
汚い女だと知ったのに。
それとも、それすらも理解していない?

「…アンタ、変なヤツだね」

朗子は言った。

「…あの、何処が変なんですか? よく言われるんだけど、理由が分からなくて」
「よく言われるんだ…」
「はい」

朗子は呆れ気味だったが、翔大にとっては深刻らしかった。

「まあ、いいよ」
「えっ、ちょっと! 気になるじゃないですかー教えて下さいよおー」
「いいよ知らなくて!」
「なんでですかあー!」

翔大は朗子の腕を掴み、瞬間、朗子はその手を払った。

「…あ…ごめん」
「い、いえ…ごめんなさい」
「アンタが謝ることじゃないよ。アタシには触らないほうがいい」
「え、どうして、ですか?」
「どうしてって…アタシはヨゴレてるから」

翔大にはその意味が分からないらしい。本当に純粋な男だ。

「どうして? サエコさん、とってもキレイな人なのに」
「別に見た目がブスだって言ってんじゃないの。アンタはなんにも知らないみたいだけど、世の中には表と裏があるのよ。アンタが知ってるのは表、アタシが生きてるのは裏。裏の世界にはアンタみたいなキレイな奴はいないわ。世の中の汚い部分に堕ちた人間が生きるところなの」
「…サエコさんも世の中の汚い部分を知ってるってことですか?」
「そう。だからアンタとは住む世界が違うのよ。ここはアンタのいるところじゃないわ」

そう言った朗子は翔大を見て驚いた。翔大の大きくて綺麗な瞳から、涙がぽろぽろと零れていたのだ。

「ちょっ…なんで泣くの!」
「だって…す、住む世界が違うって…目の前に、いるのに…っ悲しいじゃないですか…せっかく、逢った人なのに…」
「そんなこと言われても…」
「サエコさんっ、僕にも世の中の汚い部分を教えてください…っ! 僕もサエコさんと同じ世界に住みたいです…」

翔大は溢れる涙をゴシゴシと擦りながら言う。その涙があまりにも綺麗で、朗子には触れることすら赦されない気がした。

「い、嫌よ」
「どうしてですか!?」

翔大の目から更に涙が溢れた。

「アタシ、アンタを汚したくない」

涙で霞む翔大の目には、辛そうに翔大から目を反らす朗子が映っていた。

「アタシじゃ汚なすぎて、アンタに触れることもできない」

すると翔大は再び朗子の腕を掴んだ。

「…自分のこと、そんな風に言わないで下さいよ」
「ならアンタも、そんな簡単に身売りすんのやめなよ」
「簡単にはしてません! 僕はこれでも本気なんです!」
「アタシはホントの“身売り”してるんだよ」
「……え?」

翔大は目を大きく開いて、朗子の腕から手を離した。

「え? って、それだけ? アンタが知りたがってたこと、教えてあげたのよ」
「ほ、ホントの身売りって…」
「男とヤって金貰うの。今度はもう何をなんてバカなこと訊かないでよ?」
「……」
「相手はそのときによるわ。若い男だったり、オヤジだったり。基本的に自分から声をかけることはないから。大抵は男が寄ってくるの。まあどうしても金がいるときは自分から声をかけるけど」
「……」
「さっきも若い男とヤって金貰ってきたところよ。5万」

朗子は指を5本立てて翔大の前に突き出した。

「5万…」

翔大は5本の指を悲しそうに見つめている。

「こんなもんじゃないわよ、裏の世界は。分かったらとっとと家に帰りなさい。ここは昼間でも来ない方がいいわきっと。もっと明るい街に行きなさい」
「明るい街…?」
「渋谷とか、原宿とか、色々あるでしょ。秋葉原も面白いらしいわね」
「…サエコさんは行ったことないんですか?」
「ないわ。アタシには行ってもつまらない場所だから」
「でも、ここにいてもサエコさん、面白くはなさそうですけど…」

翔大は朗子をじっと見つめる。その瞳が悲し気で、朗子は目を反らす。

「まあ、面白くはないけど…」
「じゃあ僕と一緒に行きましょうよ! えっと…アキバ、ハラ…? でしたっけ」
「秋葉原よ。まあアキバって呼ばれるけど」
「アキハバラですね! 行きましょう? 一緒に!」

翔大はとても楽しそうにしている。それが朗子には酷く眩しかった。

「まさか、アンタ秋葉原知らないの?」
「初めて聞きました! なにが面白いんですかね?」
「変わったものがいっぱいあるって聞いたわ。あぁ、アンタも変わってるけどね」
「だから何処が変わってるんですかぁー!」
「言わない」

翔大をからかう朗子は、心なしか少し楽しそうに見えた。朗子の氷った心が少しずつ溶け始めていたのだろうが、勿論気付いている訳もなかった。





「サエコさんっ!」
「…アンタまた来たの?」
「はいっ」




 
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