小説2

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詳しくはこうだ。
小定川に架る、大屋橋という橋がある。
大屋橋は古くなっていて、トラックが通るのには危ないという話が出た。
そこで、新大屋橋(仮)を建てる事になったのだ。
橋を架ける為には大きめの道路が必要だ。
市役所は最適な道路を見つけた。
しかしその道路まで橋を繋ぐには、何軒かの家が邪魔だった。
結局私が何を言いたいのかというと、その“何軒か”の中にウチが入っていたのだ。
立ち退き料約5000万円と引き換えに、引っ越すよう言われた。
しかし校区内は地価が高いという事で、地価が低い校区外の住宅地を選んだのだ。
場所は東野台グリーンタウン。
引っ越し先も決まり、建築が始まった。


遥名緑の恋 5


7月、上棟式を1週間後に控えたある日。

「お母さん、目が黄色い」

母やよいが入院する事になった。
胆石が見つかったのだ。
母は胆石が出来やすく、昔から時々出来ていたらしい。
なので父も私も水無と潤も大して心配はしていなかった。
そして上棟式も無事に済み、9月には母も退院した。



12月になった。
引っ越しの日は20日に決まり、クラスでは別れの準備が始められた。
そんなある日、ウチのクラスは調理実習をしていた。
メニューはハンバーグ。
1グループ6人程度の6班に分かれ、私は6班だった。
その時に、隣の4班では小2の頃の話題があがっていたらしい。

「そういえば遥名とあきって両思いとか噂あったよなー」

誰かが言った。
そこで私は4班に呼ばれ、話に加わった。

「好きだったの?」

あきが私に聞いた。

「うん」

別に今も好きというワケじゃないし、構わないと思い、私は頷いた。

「そっか……俺も」

あきは頷きながら言った。
最後の方は小声で。

――マジスかあああ!!?

とか頭の中で思いつつ、

「ふぅん」

と頷き、私は6班へ戻った。



そしてついに12月20日、引っ越しの日がやってきた。その日の学級活動は、私のお別れ会だった。
クラスの女子で作ったそのゲームの計画表によると、私と鮎帰は同じチームだった。クラスの女子の殆んどは、私が鮎帰を好きという事を知っていたので、謀られたのだ。
そのお陰で私は、蒼井小での最後の思い出を作る事ができた。



引っ越しは終わったが、終業式はまだだ。
終業式は12月24日。火曜日だった。
その日は新しい家から車で学校へ行く事になる。
その前日、私はなんと、鮎帰へラブレターを書いたのだ。
内容は殆んど覚えていないが、それは勿論告白の手紙だった。
そして翌日24日、終業式で私は作文を発表した。小学校や中学校で始業式・終業式とかで代表になった人が読む、『2学期の反省』だ。
「転校するから最後に、発表しない?」と担任に言われ、人前に出るのが大好きな私は、喜んで承諾した。



「私の2学期  6年2組遥名緑
私は2学期の中で心に残っていることが、3つあります。
まず1つ目は運動会です。
小学校生活最後の運動会、ぜったい優勝したい! と思っていました。私は放送の係でしたが、やっぱり運動会の放送はむずかしかったです。でも、とてもいい体験になりました。そして、最後の運動会で優勝できたこともいい思い出です。
2つ目は観劇会です。
かげ絵を見るのははじめてでしたが、とても楽しくてゆかいなお話で、革でできているなんて思えないほどリアルに動いていたし、私も少しやってみたいなと思いました。
3つ目は、ふるさと先生の授業です。
ふるさと先生が来て下さったことで、歌のことがよく分かりました。歌とは『声を出してうたう、ふしのついたことば』だと辞書に書いてありました。
歌の意味が分かると、前よりも、歌ってすてきだなぁと思うようになりました。
それに前より歌や音楽が好きになりました。
それから私は2学期、友達についても考えることができました。
私の友達は1人でなやんでいました。私は、その友達と話していたのに、そのことに気づいてあげられませんでした。だから、反省しないといけないなぁと思ったし、それに、クラスのみんなともいっしょに考えることができて、その人もきっと心が軽くなったと思います。これを機会にもっと友達とかかわっていこうと思います。
私は今日で蒼井小からいちとみ小に転校します。
蒼井小ですごした時のことを支えに、いちとみ小でもがんばります。蒼井小のみなさん、いままでありがとうございました」




 
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