小説2

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あれから何年もの月日が経った。
それでもそれは、決して忘れることの出来ない3年間だった。

――彼女にとっては最初で。
――彼にとっては最期の。

2人で同じ時を過ごした、唯一の3年間。

彼女はそれを形に残そうとした。
彼が生きていたことを記そうとした。

やがて彼女が記した1冊の本は、後世へ読み継がれることになる。

その彼の名は――平田聡馬。
そして彼女の名は――平田秀子である。


14個目の季節〜追


4度目の春〜墓前
大切な人を亡くして、1ヶ月が経った。
広瀬秀子は、平田聡馬の月命日に墓地を訪れた。

「…何も持ってこなかったけど、いいよね」

――ここにいるワケじゃ、ないんだから。

今秀子の前にある“平田家之墓”は、形式上の墓であって、実際、聡馬の遺骨はここにはない。
風の吹く爽やかな場所で、風に乗せた。
狭いところに閉じ込めたくなかったからだ。
全員一致の意見だった。
時々耳を澄ませると、聡馬の声が聞こえる気がする。
秀子は墓石の前に座って、目を閉じた。

「秀子ちゃん」

数分後。
後ろから声がして、秀子は目を開けた。
振り向くと、聡馬の母・平田遥乃が立っていた。

「あ、遥乃さん。お久しぶりです」

秀子が軽く礼をすると、遥乃は穏やかな笑みを浮かべた。

「それ、使ってくれてるのね」
「え? …ああ」

秀子はすぐに、聡馬がくれた緑色のシュシュの事だと分かった。

「聡馬がくれたものだから」

遥乃は、持ってきた花を墓石の前に置き、秀子を見た。

「秀子ちゃん、もう少ししたら家に行こうと思ってたんだけど…丁度よかったわ。大事な話があるの」

改まった遥乃の口調に、秀子は本当に大事な話なんだろうと感じた。


「遥乃、…その子が」

そこへ、男が現れた。聡馬にそっくりな、優しそうな人だ。

「ええ。広瀬秀子ちゃんよ。秀子ちゃん、この人は平田陽平。私の夫、聡馬の父親」

遥乃が男を指して言った。男――陽平は優しく笑うと、秀子に一礼した。

「――はじめまして。聡馬の父です」
「あっ、はじめまして。広瀬秀子です」

秀子も陽平に礼を返した。確か聡馬の葬式のときにも会ったが、ちゃんと挨拶をするのは初めてだった。

「今、秀子ちゃんにあの話をしようとしていたところなの」

遥乃は陽平に言った。

「そうか」

陽平は頷いた。

「あのね、秀子ちゃん。この人と2人で話して、これはあくまで提案なんだけど…秀子ちゃんを養子にしたいと思うの」

遥乃の突然の申し出に、秀子は目を見開いた。

「よ、養子…ですか?」

2人は頷く。

「秀子ちゃん、一人暮らしでしょ?」
「あ、はい、そうですけど…」
「まあ、ずっと一人暮らしでもう慣れたかもしれないけど…やっぱり家事があると、勉強に専念できないだろうからと思って」
「でも、あたし1度習えばもう分かるので…」
「ええ。聡馬から聞いてるわ。“副作用”で何でも出来るのよね。でもそれって言いかえれば、可能性がいっぱいあるってことでしょう? 家事をする時間に、もっと沢山のことを学べると思うの。視野を広げてほしいのよ」
「可能性…」


『副作用でも! 秀子には可能性がいっぱいあるんだよ!? 大切にしなきゃ』


半年ぐらい前。三月亜鷺もそんなことを言っていた。


「本当のご両親が何を言うか分からないけど…」
「あっそれは大丈夫です」

秀子は即答した。

「寧ろ喜ぶと思います。あたしが未だに広瀬を名乗ってること自体不快だろうし」
「…なら、大丈夫、かしら」

同意することに躊躇いを感じたが、そう言わないことには進まなかった。

「それで、どうかな…?」

陽平が少し遠慮がちに言った。
秀子は停止したまま動かない。

「秀子、ちゃん…?」

遥乃が秀子の顔を覗き込むと、ようやく秀子は言った。

「でもっ、どうして」

遥乃と陽平は顔を見合わせ、もう1度秀子を見た。

「どうして、かな。寄りによって最期の3年間に、聡馬を独り占めしていたあなたを、少しだけ恨んでいたハズなのにね」
「……」

遥乃が言った。そして続ける。

「あなたも知ってると思うけど…あの子はとても優しい子だったから、好きになってもらうことは時々あったみたい。でも、自分が長くは生きられないこと、分かっていたから、恋をしようとはしなかったの。なのに最後の最後、あと3年しか生きられないって分かっていながら…あの子は秀子ちゃんに出会って、恋をした。後悔はしてなかった。いつもあなたのこと気にかけてた」
「……」
「聡馬が一生分の愛を注いだ相手よ? もし、…もう叶わないけど、もし聡馬がもっと生きていたら、…結婚とか、してたんじゃないかなあ」
「け!?」

秀子は素っ頓狂な声を上げた。

「だからっていうか…あーダメだわ。やっぱりうまく説明できない。とにかく、秀子ちゃんに“平田”になって欲しいと思うの。“広瀬”を名乗るのを嫌がられるのなら尚更。別に他の恋をするなって言ってるワケじゃないけど…聡馬を忘れてほしくはないから」

そして遥乃は黙った。真っ直ぐに秀子を見つめる。

「平田、秀子…」

沈黙の中、秀子が静かに言った。

「変、じゃ、ないですかね…?」

続けてそう言うと、2人は嬉しそうに頷いた。



その後秀子は、約3年ぶりに広瀬家を訪れた。
養子の話をすると、両親は何故だか少し寂しそうに承諾した。
妹の瑠子はいつも通り、『秀子は何があってもあたいの大事なお姉ちゃんだよん♪』と言い、ニヤニヤしながら(秀子が“平田”になるからだ)祝福した。
そして『また髪切りに行くねん♪ これで聡馬はあたいのお兄ちゃんなのかなっ』と笑った。


その翌日。
秀子は学校へ行く途中で、亜鷺に会った。

「おはよう亜鷺」
「あ、おはよー秀子」

すると後ろから甲高い叫び声が聞こえた。

「しゅこたあああああん!!!」
「あ、愛乃忘れてた」

秀子と亜鷺は振り返った。
近くを歩いていた他の生徒も同時に振り返る。
少しして、栗村愛乃が秀子達に追いついた。

「しゅこたああん!! ひどいです!! どうしていつもいっつもおいてくですかあー!?」

愛乃は秀子をポカポカ叩きながら抗議する。

「ごめんごめんι 今日はホントに忘れてたの」
「何でですか! ひどいですよ忘れるなんて!」
「おっ落ち着いて愛乃っ」

愛乃をなだめるのには数分を要した。
あと10分で遅刻というところで、ようやく3人は歩き出した。

「あのさ」

歩き出してすぐ、秀子が切り出した。

「ん?」

亜鷺が聞き返す。

「あたし、引っ越すんだけど、手伝ってくれない?」
「え! 引っ越すですか!?」

愛乃が哀しそうに言った。

「うん」
「何処に?」

今度は亜鷺が尋ねた。
一呼吸置いて、秀子は口を開いた。

「実はさ、平田になったの」
「え?」

一瞬2人は止まった。それだけでは分かりにくかった。
しかしそのすぐあと、愛乃は気付いたように驚いた。

「しゅ、しゅこたん!? つ、つ、ついに結婚したですか!!?」

周りにいた生徒が再び振り返った。

「違うわ!」

珍しく秀子がツッコミ調子だった。

「え、ひらた…? 平田?? 平田って、あの平田? え?」

亜鷺は混乱している。
それを見ながら、秀子は声を殺して笑った。

「養子」
「よ?」

2人は目を丸くして同時に呟き、それが可笑しくて、秀子はまた笑った。



そして引っ越しの日。

「秀子ーこれどこに置く?」
「それはそこ」
「しゅこたんこれは洗濯機行きですか?」
「なんで!? 普通に本棚でしょ!!」
「秀子ツッコミうまくなったよね」
「それ嬉しくないよ…」

平田家の一室で、秀子、亜鷺、愛羅、雪見、愛乃の5人は騒いでいた。
聡馬の使っていた部屋が、秀子の新しい部屋だ。それでいいのかと秀子は尋ねたが、遥乃はその方がきっと聡馬も喜ぶ、と言った。
聡馬の物はそのまま、聡馬と“同居”するような形で秀子の物を配置していく。
はっきりいって秀子の荷物の方が少ない。それでも昔よりは増えた方だった。

「聡馬…」

秀子は部屋を見渡して呟いた。
すると雪見が秀子をつっついてきた。

「どおーよ秀子! 気分は新婚ってカンジ?」
「雪見空気読め!」

愛羅は雪見の頭をぱしんと叩いた。

「あーいい音。雪見の頭は空だから楽器になるわね」
「いったーぁ! ちょっと! 余計バカになるじゃん!!」
「あはは」

やっと秀子が笑ってくれたので、雪見と愛羅も笑った。

「もぉー仕事して下さいですよー」
「ごめんごめん」

そこへ遥乃が盆を持って入ってきた。

「ふふ。賑やかね」
「遥乃さん」
「お茶とお菓子持ってきたわよ。少し休憩したら?」
「遠慮なくv」
「遠慮しろ!」

愛羅が再び雪見を叩き、部屋中に笑いが溢れた。




4度目の夏〜必然
平田家での生活にも慣れてきた。聡馬の性格はどうやら母譲りのようで、遥乃は毎日楽しそうに秀子の髪をアレンジした。

その日、秀子が下校していると、曲がり角から自転車が飛び出してきた。

「うわぁっ!」
「きゃっ」

自転車の少年は避けようとして転倒し、秀子はその場に尻餅をついた。
少年はすぐに起き上がって秀子に駆け寄ってきた。

「すいませんっ大丈夫ですか?」
「えっ? ああ、はい」

秀子は真っ直ぐに少年を見た。
聡馬のように、優しい目をした少年だった。
少年の方も、真っ直ぐ秀子を見ている。

「あ…広瀬さん、だよね。いや、平田、さんか」

少年がそう言ったのを聞いて、秀子は少しだけ眉をひそめた。

「そう、だけど…誰?」

昔の秀子だったなら、“目”で名前を見てそれを呼んだかもしれない。
しかし今の秀子は昔のように対人関係に疎い訳ではない。クラスメイトも覚えているので、見覚えがないということは本当に知らないのだ。
それなのに名前を呼んだりしたら、逆に不自然だ。
ちなみに少年の上には『村尾聡志』とある。

「あー俺は9組の村尾聡志。クラス遠いから、まあ知らないのも無理ないよね」
「さとし、か…」




 
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