小説6

□雪人
1ページ/1ページ


「貴方に奥入瀬を頼みたいの、雪人さん」



記−人嫌いの雪男−


弥山という雪山に、雪女の親子がいた。母親が雲、娘が奥入瀬という名前だった。人間だった頃の名は捨てたと言ったら、雲は「じゃあ雪男だから雪人ね」と笑った。奥入瀬は「ゆきとたんゆきとたん!」と懐いてくれた。そんな優しい親子だった。

「あ、ゆきとたんだー! おかーさんゆきとたんきたー!」
「あら、いらっしゃい。雪人さん」

私は時々、2人の住む弥山を訪れた。そのとき奥入瀬は19歳。人間でいうともうすぐ2歳というところだった。

「大きくなったな、奥入瀬」
「えへへーそお? そお?」
「雪人さんも変わりないようね」
「ああ」

抱え上げた奥入瀬を下ろし、私はお雲に向かって返事をした。

「最近はどう?」

雪の上を楽しそうに走り回る奥入瀬を見ながら、お雲が言う。

「…どう、と言われてもな」

私も奥入瀬を見ながら答えた。

「そうよね…雪妖族って、暇よね」
「…そうだな」
「何か刺激になるようなことがあればいいのだけれど、雪山じゃあ、何もないのよね」
「……」
「今は奥入瀬もああやってはしゃいでいられるけれど、成長していくにつれ、やはりここは退屈になるわよね」
「…何が言いたい?」

私は眉をひそめる。

「あの子もいずれは、麓に降りていったりするのかしらって」
「……お前はそれを許すのか」
「勿論よ。奥入瀬がそうしたいなら」

お雲は微笑んで言った。

「麓には人間がいるんだぞ」
「当たり前じゃない。だから行くのでしょう?」
「人間なんてロクな生き物じゃない。奥入瀬に会わせるべきではない」

私が言うと、ずっと奥入瀬を見ていたお雲がこちらを見た。

「そんなことないわ。素敵な生き物よ、人間は」
「何を言っている。人間なんぞ…」
「だって、貴方も元は人間だったでしょう? 貴方のような優しい人が。だったら人間だって素敵な生き物よ」
「……」
「それに、私も元は人間よ? 雪人さん」

私は黙った。お雲のことを出されては何も言えない。それを確認すると、お雲は再び奥入瀬の方を向いた。








それから35年程が経った。私はいつものように弥山を訪れた。

「あ、ゆきとさん! いらっしゃい!」

いつものように奥入瀬が出迎えてくれる。奥入瀬は55歳になっていた。人間でいえば5歳半といったところだ。

「奥入瀬、また大きくなったな」
「でしょでしょ? あのね、みてこれ! おいらせがとったのよ!」

そう言って奥入瀬は、手に持ったウサギを見せてくれた。

「おお、凄いな。お母さんは何て?」
「おかあさんはね、もうひとりでもだいじょうぶねって!」

奥入瀬は嬉しそうに言うが、私には意味が分からなかった。

「……え?」
「あらあら、雪人さん。いらっしゃい」

そこでお雲が、2人が住処にしている洞穴から出てきた。

「で、話とは?」

お雲が話があるというので、私達は洞穴の中へ入った。奥入瀬はまだ外でウサギを追いかけている。

「雪人さん、私貴方に、奥入瀬を頼みたいの」

何の前置きもなく、お雲は言った。

「…は?」
「何も難しいことじゃないのよ。今まで通り、時々奥入瀬の様子を見に来てくれればいいの」
「…お前はどうするんだ」
「春彩のところへ行くわ」
「はるあや?」

私は眉をひそめる。初めて聞く名前だった。

「…人間か」
「そうよ。人間」
「娘を捨てて…人間なんかのところに行くのか!?」
「そうよ」

お雲は笑う。信じられなかった。お雲がそんな奴だったなんて。

「奥入瀬のこと、よろしくお願いしますね」

そう言ってお雲は洞穴の外へ出た。そして奥入瀬を呼ぶ。お雲は奥入瀬の目線の高さまで屈んだ。

「奥入瀬、お母さん行くわね」
「おとうさんのところ?」

奥入瀬の言葉に、私は目を見開いた。

「そうよ」
「おいらせはだめなんだよね?」
「そう。奥入瀬は奥入瀬の好きなように生きて。ずっとここにいてもいいし、麓に降りてもいいわ。今までのように時々雪人さんが遊びに来てくれるからね」
「ほんとう? わかった。きをつけてね」
「ありがとう、奥入瀬」

そう言ってお雲は、奥入瀬を抱き締めた。そのとき私は、春彩が誰なのか、春彩が今何処にいるのか、お雲が今から何をするのか、そしてお雲が決して奥入瀬を捨てようとしている訳ではないことを悟ったのだ。「奥入瀬にもいつかきっと分かるわ」そう言い残して、お雲は何処かへ歩いていった。









「聞いて、雪人さん。私お慕いしている人がいるの」

奥入瀬がそんなことを言い出したのは、それから100年程経った頃のことだった。この頃には土地の開発が進み、弥山まで来るのに道路という灰色の道を通らなければならなかった。

「彼も私を愛してくれているのよ。麓の町に住んでいる人なのだけれど、とても優しくて素敵な人よ。志成さんというの」
「…人間か」
「そうよ?」

奥入瀬は幸せそうに語る。人間如きの為にそんな表情をするなど…許せない。どんな男か見てやろうと、私は山を降りた。

「志成!」

しばらく歩いていると、そんな声が聞こえた。見ると、人間の男と女が立っている。

「ねぇ志成! いつになったら私と結婚してくれるの?」

女は男に向かって言う。奴が奥入瀬の言っていた男だろうか。奥入瀬のことを愛しているという。

「だからもう少し待ってくれと言ってるだろう。まだ彼女が…」
「まだ!? その子のことはもうやめるって言ったじゃない!」
「いや、だからな…」

私は雪になり、急いで奥入瀬の元へ戻った。

「奥入瀬!」
「あら、雪人さんどうしたの? そうだ。その名前なのだけれど…」
「それはいい! 奥入瀬、あの男は駄目だ!」
「え?」
「そのしせいという男、他の女と結婚の約束をしている!」
「…何を言っているの?」
「お前のことはもうやめると言っていたんだ!」
「そんなはずないわ! だってずっと一緒にいると言ってくれたもの!」
「奥入瀬!」

奥入瀬は走って山を降りていった。男を問いただしに行ったのだろう。私はそこで待っていたが、その日奥入瀬は帰って来なかった。後日再び弥山を訪れたとき「しせいという男とはどうなった」と訊ねると、奥入瀬は「しせい? 何方?」と笑って言った。








それから更に50年程の月日が経ち、奥入瀬はどうしているだろうかと思ったのは、人間共が私の住む山で騒がしくし始めたからだった。今年の冬に間に合うように、すきーとかいう娯楽を行う場所を作るのだという。そうして騒いでいる人間共を見ていて、奥入瀬を思い出した。あれから奥入瀬はどうしているのだろう。そして私は、久しぶりに奥入瀬に会いに行くことにした。

「…なんだ、この暑さは…」

道路を歩きながら、私は呟いた。弥山までの道は、すっかり変わっていた。おまけに信じられない程暑い。雪妖族は人間より体温が低い為、夏をより暑く感じることは分かっていた。しかしそれにしても暑すぎる。これでは弥山に着く前に倒れてしまいそうだ。そう思ったときには、既に私は倒れていた。道路が熱を持っているようで、更に熱い。これでは…

「う…焼ける…」
「焼ける??」

そのとき傍で誰かがそう言うのが聞こえた。そして遠くで人が騒いでいるのが聞こえる。
ああ、本当に人間は五月蝿い生き物だ。
そうして私は不覚にも、人間に助けられてしまった。蜜樹とかいう、しつこく話しかけてくる五月蝿い女だった。蜜樹に案内されて辿り着いた弥山に、奥入瀬はいなかった。私は日が暮れるまで待ち、なんとか帰れそうな気温になったのを確認して真江山へ戻った。






それからすきー場とやらが完成し、人間共が大量に押し寄せるようになった。そんなある日、人間共の中に奥入瀬がいるのを見つけた。人間の男と共にいる。

「…雪人、さん…?」

奥入瀬が1人でいるのを見つけて近寄ると、奥入瀬は漸く私に気付いた。聞けば、あの男は奥入瀬の恋人であるという。奥入瀬はまた人間などに恋をしていたのだ。

「貴方が人間だったとき、貴方の近くにいた人はみんなロクな人じゃなかったの? みんな嫌な人だったの?」

反対した私に奥入瀬は言う。奥入瀬のその言葉に、私は何も言えなかった。今まで思い出そうともしなかった人間だった頃の記憶が、微かに蘇る。

「……」
「いい人は1人もいなかったの?」
「…それは」
「優しい人だっていたはずよ。人間だって1人1人違うわ。いい人も悪い人もいる。雪妖族だって一緒よ。そんな風に人間に嫌悪感を剥き出しにしていたら雪人さん、貴方の嫌な人間と同じよ」

奥入瀬は真っ直ぐに私を見、はっきりと言う。

「…奥入瀬、お前変わったな」
「そんなことないわ。私は最初から人間を恨んだりしてないもの。雪人さん、私は人間が好きよ。人間にはいい人も沢山いるわ」

そのとき私の頭に、蜜樹の顔が浮かんだ。道路で倒れていた私を家に連れ帰り、弥山まで送り届けてくれた五月蝿い女。

「……そうかもな」

気付けば私は、そう呟いていた。人間の女に助けられたと告げると、奥入瀬は笑った。

「何がおかしい」
「いえ…、いい子ね、その子」
「……」
「大嫌いな人間に助けられたのが気に食わなかったんでしょう? でも分かってるのね。悪い人ばかりではないって」
「……五月蝿い」
「ふふ…なら、もう少しね」
「は?」

それから奥入瀬は、迎えに来た例の男と共に山を降りていった。たかしげとかいう、大切なものを見る目で奥入瀬を見る不愉快な男だった。奥入瀬もその男の隣でとても幸せそうにしていて、それが余計に不愉快だった。

「…人間なんて」

人間共が騒ぐすきー場を見ながら、呟く。

『だから、冬になったら! また遊びにきて下さい!』

不意に蜜樹が言っていたことを思い出す。思い出して、顔をしかめた。

「ゆっ…雪人さーん! いないんですかー!? 雪人さーん!!」

そのときそう呼ぶ声が聞こえ、私は振り返る。やはり人間は不愉快な生き物だ。



end


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ