小説6

□悪女を自覚している女を悪女とは呼ばない
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悪女を自覚している女を悪女とは呼ばない


ラミア・デリンジャーは悪女だ。
自分でも認めているし、周囲からもそう認識されている。
彼女は西洋の小さな国の女王だった。国民を虐げ、重税を課し、自らは容姿の優れた男を侍らし、私腹を肥やしている。国民達は当然不満を抱えていたが、反逆を企てようものならすぐに見つかり、見せしめに公開処刑されるため、誰も反乱を起こすことはできなかった。
アポロ・ソラニという男は、その異常な街の様子をどうにかすべきだと思っていた。彼は最近移住してきたため、この王国の異常さが他の国民よりもよく分かった。この国は一度移住すれば出ていくことはできないと知ったのも、ここにきてからだ。出入国も厳しく管理・制限されているため、旅行もできない。そのような縛りつけられた状況で、国民達は皆諦めているようだった。何とかしたい。このままではいずれ国民達は飢えに苦しみ、1人また1人と、絶望の中死んでいくことになるだろう。そんなある日、街の中心部の飲み屋の2階に、ある女が住んでいると聞き、アポロは訪ねることにした。エメラルド・コモリというらしいその女は、ラミアをよく知る人物だという。この国にきたばかりのアポロは、そもそもラミアのこともよく知らない。反乱を起こすにしても、まずはラミアのことを知らなければ失敗してしまうだろう。飲み屋は街の情報拠点である。その2階に住んでいれば、ラミアの情報も入ってきやすいに違いない。ノックをすると、中からゆっくりと扉が開いた。

「いらっしゃい。ジェイクから聞いておりましたわ。アポロさん、ですわね?」

ジェイクとは1階の飲み屋の主人である。悪女と名高いラミアをよく知る人物だというから、どんな気難しい女が出てくるか。そう考えていたのだが、エメラルドは悪女とは到底結びつかないような、しとやかで上品な女だった。飲み屋の2階に住んでいることすら信じ難い、それこそ宝石のエメラルドのような女。あまりに想像とかけ離れていたため、アポロは口を開いたまま立ち尽くしていた。エメラルドは不思議そうに首を傾げる。

「? アポロさん?」
「えっ、あ、ああ…すみません。私はアポロ・ソラニと言います」
「初めまして。エメラルド・コモリです」

「さあどうぞ」と言い、エメラルドはアポロを部屋に招き入れる。室内は質素ながら、やはり何処か上品な空間だった。部屋の中央に置かれたソファに腰を下ろすと、エメラルドがキッチンからティーカップを運んできた。ポットから紅茶を注ぎ、アポロの前に置く。

「ありがとうございます」

アポロが礼を言うと、エメラルドは微笑んだ。自身の分も紅茶を注ぎ、口元へ運ぶ。一口飲んでから、カップを置いた。

「さて、ご用件はラミア女王のことでしたわね?」

アポロは頷く。

「貴女はラミア女王についてよく知っていると聞きました」

するとエメラルドも頷いた。

「ええ、事実ですわ。ラミア女王のことは、よく存じております」
「それは何故」
「私、1年程前まで、あのお城に住んでおりましたの」
「は…?」

アポロは目を見開き、そして耳を疑った。しかしエメラルドが前言を訂正する様子はない。

「私の家は、代々王家に仕えておりまして、私も産まれたときからお城に住んでおりました。ラミア様は私よりも1つ年下でして、幼い頃から共に遊び、姉妹のように育ちました」
「…それを…ラミア女王が、追い出した?」
「ええ。ですが誤解なさらないでください。ラミア様は、貴方の思っているような御方ではありませんわ。昔も、今も」
「…? それはどういう…」

そのとき、部屋のドアを叩く音がした。2人はドアに目を遣り、エメラルドが近付いていく。

「はい」

エメラルドは呼びかける。

「国防軍の者だ。今すぐ扉を開けろ。さもなければ撃ち抜く」

扉の向こうで、カチャリと銃器の音がする。エメラルドは全く動じなかった。

「あらあら、扉如きで。物騒ですわね」

言って鍵を開け、扉の向こうの人物と相対する。そこに立っていたのは、如何にも軍人というような屈強な男だった。確かに国防軍の紋章の入った軍服を着ている。その後ろには、同じく国防軍の軍服をきた細身で背の高い男と、小柄で横に太い男が控えていた。

「何かしら?」

威圧感のある男達を見ても、やはりエメラルドは動じず言った。

「用があるのは貴様ではない。アポロ・ソラニという男がここにいるはずだ」

アポロはドキッとする。何故そのことを知っている? だが、すぐに思い当たる。そうだ。ここは街の中心、情報拠点ともなっている飲み屋の2階だ。そしてここへ来るために、アポロは店の中を通った。店の客に密告されていても可笑しくはない。アポロは立ち上がり、男達へ近付く。

「私がアポロ・ソラニです」

屈強な男の前に立ち、アポロは言った。すると男はアポロの腕を掴み、その手に錠をかけた。

「貴様が反逆を企てているとの通報があった。よって貴様を反逆罪で連行する」

アポロもエメラルドも驚かなかった。国防軍がアポロを訪ねてきた時点で用件は決まっている。アポロは、もう片方の手に錠をかけられるときも抵抗しなかった。敵の懐に潜り込めるのだから、むしろ好都合だ。そう思っていた。振り返ってエメラルドを見る。エメラルドは微笑んでいた。

「お気をつけて」







捕らえられたアポロは、そのまま馬車で城へと連れていかれた。馬車といっても、それこそ女王が乗るような豪華なものでは勿論なく、鉄格子の檻に車輪をつけただけのものだ。中が丸見えであるため、城までの道中出会った国民達は、一様にアポロに注目していた。
城に着くと、すぐに謁見の間へと連れていかれる。まさか真っ先に女王の元へ連れていかれるとは思わず、アポロは驚いていた。謁見の間の扉が開くと、正面の大きな椅子に、小さな女が座っているのが見えた。アポロは部屋に押し込まれる。女の前まで連れていかれ、床に座らされた。

「妾が女王ラミアである」

女は言う。

「…どうも」

アポロはぽかんとしたままそれだけ言った。悪の女王とのファーストコンタクト。どうもそんな雰囲気ではなかった。まず第一にアポロが思ったのは、本当にこれはラミア女王なのかということだ。誰かがラミア女王の振りをしているのではないのか。本当にこれがあの、悪女と名高いラミア女王なのか。
何故なら、今目の前にいる女は、小柄で、整った大人しそうな顔立ちで、可愛らしい声で、とても国民を虐げて私腹を肥やすような悪女には見えなかったのだ。

「…なんだ、どうもとは。それが女王に対する挨拶か」

ラミアは眉をひそめる。そんな表情をしても、やはり全く悪女には見えなかった。

「…すみません」
「フン。まあよい。そなた、自分が何故ここに連れてこられたか、分かっておろうな」
「…反逆罪、と先程言われましたが」
「何を他人事のように言っておる。自分のことであろうが」
「そうですね、反逆罪です」
「…では認めるのだな」
「認めますよ。先程までは、貴女を殺してこの国を平和にする方法を考えていました」

その言葉に、ラミアは僅かに反応する。

「先程までは?」

アポロは頷く。

「先程ある人に会って、そして今貴女に会って、考えが変わりました」
「…聞こう。誰に会った?」
「エメラルド・コモリです」
「…エメラルド、」
「ええ、貴女もよくご存知のはずです」
「…お前達、席を外せ」

突然、ラミアが控えていた家臣達に言う。アポロの腕を掴んでいた兵士達にもだ。

「しかし…」
「妾の言うことが聞けぬのというのか」

ラミアはジロリと家臣達を見る。家臣達は唾を飲み込み、何も言わずに部屋を出ていった。部屋にはアポロとラミアだけが残る。目の前にいるのは自分に仇なそうとした反逆者だというのに、無用心ではないか。ここでもしアポロがナイフでも所持していて、襲いかかってきたら一体どうするつもりなのだろう。まあ、何も武器は持っていないし、そんなことはしないが。

「何を聞いた、エメラルドから」

誰もいなくなった部屋で、ラミアは言った。それを問うために、彼らを追い出したのか。やはりエメラルドは、ラミアに関する何か重要なことを知っていたようだ。国防軍がもっと来るのが遅ければ、聞けていたのに。

「…何も」
「嘘を吐け! エメラルドに会って考えが変わったと言ったであろう! 何か聞いたからではないのか!!」
「まだ、何も。ただ、貴女は昔も今も悪女ではないと、それだけ」
「…妾は、悪女よ」

大人しくなったラミアは、ぽつりと言った。アポロにとっては予想外の言葉だった。"悪女"という単語を出されたことに、激昂しても可笑しくはないと思っていた。それか悪女だと認めるのであれば、高笑いでもしながら。しかしラミアは怒りもせず、笑いもせず、無表情のままぽつりと呟いた。その中には少しの物悲しささえあった。少なくとも、悪女がするような表情ではないだろう。

「…私は初めて貴女を見たとき、本当にこれが悪女で有名なあのラミア女王なのかと思いました。とてもそんな風には見えなかった。いや、今もそんな風には見えない。だから考えが変わったと言ったんです」
「どのように変わった? 申してみよ」
「貴女が根っからの悪女なら、貴女を殺す他ないと思っていました。しかし貴女はそうではない。貴女自身を変えることができれば、貴女を殺さずにこの国を平和な国に戻せる」
「…妾を変える? 温いな。妾を殺さずして国を変えようとは、生温い」
「では貴女は殺されたいとでも?」
「誰がそんなことを言った? 妾は殺されるつもりもないし、この国を平和に戻すつもりもない」
「何故です、貴女の国でしょう。貴女の国民でしょう」
「所詮は父上から譲られただけの国だ。この国に平和など要らぬ。いや、決してやらぬ」

そのラミアの表情に、アポロはドキッとした。恨みのこもった瞳、声。そして知った。ラミアはやはり、噂に聞くような悪女ではない。国民を虐げ、自らは贅の限りを尽くす。そんな風に聞いていたが、城の中を見ても、それ程特別に金をかけている様子もない。城として当たり障りない程度の装飾だ。彼女が国民を虐げている理由はそこではないのだ。恨み。彼女は国民を恨んでいる。虐げ、殺し、恐怖で押さえつけ、尚も治まらぬ程に。

「…何が貴女をそこまでさせるんです」

答えてもらえるとは思わなかったが、アポロは訊いた。ラミアは恨みのこもった瞳のまま、アポロを見た。

「そなたらは、妾のメーリを殺した」

アポロは目を見開く。

「メーリ?」

聞いたことのない名前だった。メーリとは一体誰のことだ。アポロが考えていると、ラミアは再度口を開いた。

「メーリは、妾の可愛い娘だった」

アポロは再び目を見開く。ラミアに娘がいたなんて話、聞いたことはなかった。しかもそれを国民達が殺したと?

「…何故です? 貴女の娘なら、国民にとっては王女でしょう?」
「無論。だがそれは、きちんとした王との間に産まれていればの話だ。妾の夫…婚姻の儀はまだであったが、夫となるはずだった男は、エリックといってな。イズリア王国の王に仕えていた男だったのだ」
「イズリア王国…ですか」

アポロはこの国の出身ではないが、イズリア王国とこの国の不仲はよく知っていた。交易もなく、外交もほとんどない。国王同士の会談が行われても、それはあくまで形だけ。そんなあからさまに形だけの外交でも、批判する国民さえいた。国民同士も仲が悪く、争いも頻繁に起こっていた。そんな国の王に仕えていた男との婚姻など、国民は当然快くは思わないだろう。

「エリックと妾の婚姻を発表したとき、妾は既にメーリを身篭っておった。国民は猛反対し、エリックを…殺した」


 

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