小説6

□仮面舞踏会
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Magic Mirror...



−仮面舞踏会−



物心ついたときから、私と姉達との間には、明らかな格差があった。姉達がステーキを食べている横で、私にはパンと牛乳だけが与えられた。その食事の際にも、当然のように私は机と椅子の横の床に座らされた。私が母や姉達に発言することは許されず、全ては受け身の生活だった。掃除も洗濯も私の仕事。当然仕事と云ってもお金が与えられる訳ではなく、10歳になれば料理も私の仕事に加えられた。料理が不味い、服に皺がある、床に埃が残っているなど、姉達は何かにつけて文句を言い、それを聞いた母は私の食事を抜いた。そんなこと日常茶飯事だ。何故私だけがこのような仕打ちを受けるのか、全く分からなかった。





私が生まれてから20年程が経った。当然誕生日など祝われていないので、正確に何歳かは分からない。姉達は出会いを求めて合コンというものに励み、私は相変わらず少ない食事でこき使われていた。そんなある日、母が突然事故に遭い、入院した。それでも姉達は心配する素振りだけ見せて合コンへ向かった。家に誰もいない夜はとても落ち着いた。こっそり姉の部屋に入ってみると、沢山の化粧品や服がズラリと並んでいた。全て母から買い与えられたものだ。私には姉達の着古したモノが与えられるだけだった。私は姉の部屋の窓を開けた。

「…お母様が死んでも、お姉様達がいる。お姉様達よりはきっと私の方が先に死ぬわ。いいえ、喩えお姉様達より長く生きたとしても、お姉様達の子供にこき使われるだけ…このまま永遠に、この生活なのね」
「そうとは限らないわよ」

そのとき突然後ろから声がし、私はドキッとして振り返った。もう姉が帰ってきてしまったのかと。しかしそこにいたのは姉ではなかった。緋色の髪の毛に同じような色のライダースジャケット。白いパンツスタイルの女。一体いつからそこにいたのか。というより、何処から入ったのか。私は言葉も出せず困惑していた。

「初めまして? 私は河竹緋鞠というわ。あなたは?」

私の言葉は待たずに、女――河竹緋鞠というらしい――は続ける。私は言葉に詰まった。唾を飲み込み、口を開く。

「…ロリ子。ロリ子と呼ばれてます。本当の名前があるのかは知りません」
「ふぅん。いいじゃないロリ子。可愛らしくて私は好きよ?」
「そう。ならいいんじゃないですか? ロリ子で」
「あなたはそれでいいの?」

河竹緋鞠は私を見て言う。一体何を言うのだろう。

「いいも何も、私に拒否権なんてありませんから」
「じゃあ拒否権があったら? ロリ子なんて名前嫌だって言う?」
「さあ」
「…考えないのね。思考を放棄している。まあ、別に構わないんだけど。でもさっきは“考えてた”わよね。窓の外を眺めながら」
「そうかもしれません」
「そうなのよ。ねえ? もしこの奴隷のような生活から抜け出せるなら、何でもできる?」
「何でもって何ですか? 殺人とか?」
「そんな物騒なことさせないわよ。多分ね」
「……」

河竹緋鞠は怪しく笑う。その手には、いつ何処から出したのか分からないナイフが握られていた。私はその刃先を見つめる。

「ロリ子、合コン行ってきなさいよ」
「は…?」
「合コン。というか、あれはもう婚活パーティね。ロリ子の姉さん達が参加してるのと同じよ。私がセッティングしといてあげたわ」
「はっ…? 何言って…行けるわけないじゃないですか。私は家事をしなきゃいけないし、もし姉様達が帰ってきたときにいなかったら、とんでもないことになるわ」
「大丈夫よ」

そう言うや否や、突如河竹緋鞠の体が光り出した。眩い程の光に包まれて、私は思わず目を瞑る。そして次に目を開けたとき私の前に立っていたのは誰であろう、私だった。

「!?」
「私が貴女の代わりに留守番してるわ。車は下に待たせてあるから使いなさい。場所は伝えてあるから。いい? 必ず夜中の2時までには帰ってくるのよ」
「で、でも服が」
「服なら汚い屋根裏…ああ、ごめんなさい? 貴女の部屋ね。クローゼットを入れておいたから好きな服を選んだらいいわ」

それを聞いて私は自分の部屋へ走る。河竹緋鞠の言ったように、埃まみれの汚い屋根裏部屋だ。それでもだいぶ綺麗にはしたのだが、何分掃除するのに使う道具も汚いので、どうしても限界がある。家の他の部分を掃除する道具は、私の部屋を掃除するのには使わせてもらえない。
部屋の扉を開けると、真っ先に大きなクローゼットが視界に入る。汚い屋根裏にそぐわない立派な装飾のクローゼット。只でさえ狭い部屋を更に狭くしてしまっている嫌がらせのような大きさだが、とりあえずそれは置いておく。ゆっくりとクローゼットに近寄り、扉を開けた。私は目を丸くする。そこにはあらゆる種類の服がズラリと掛けられていた。好きなものを選べと言われても、多すぎて何がいいのか全く分からない。

「決めかねるなら私がコーディネートしてあげるわよ?」

するとまた突然声がする。振り返ると、そこにはいつの間にか河竹緋鞠が立っていた。私の部屋の扉は、開閉すると古い扉特有のギイィという音がするのだが、それも全くなかった。

「どうするの? 自分で選ぶ?」

私が黙っていると、河竹緋鞠が続ける。

「…選んでください」

私は言った。河竹緋鞠は微笑む。

「了解」

そう言った直後、今度は私が光り始めた。そしてまた眩い光のあと、私の服は見たこともないような可愛らしいドレスに変わっていた。姉達がいつも合コンに着ていくような服と同じだ。

「……」
「さあ、時間がないわロリ子。早く行きなさい」

私が言葉を失っていると、河竹緋鞠は言った。私は顔を上げる。

「…貴女、一体何者なんですか?」
「私は魔女よ。言ってなかった?」
「…聞いてません。魔女…」
「そう、魔女。差し詰め貴女はシンデレラってとこね」
「私がシンデレラ? どういう話なんです? 昔うちに本があったのは知ってるけど、私は読ませてもらえなかったんです」
「ああ、知らないのね。シンデレラという名前は言ってしまえば悪口なのよ。貴女がロリ子と呼ばれるようなものね。シンデレラは意地悪な継母と義姉達に毎日こき遣われて、お城で開かれる舞踏会にも連れていってもらえなかった。そこへ魔女が現れて、綺麗なドレスにガラスの靴、カボチャの馬車で舞踏会へ行く…王子はシンデレラに一目惚れして、2人は一緒に踊るの。けどシンデレラは魔女に、12時までに帰ってくるよう言われていたのよ。魔法が解けてしまうからね。いつの間にか12時が迫っていたことに気付いたシンデレラは慌てて帰る。そのときお城の階段にガラスの靴を片方落としてしまうの。後日王子はガラスの靴にぴったり合う足の持ち主を捜して若い娘のいる家を1軒1軒回って、ついにシンデレラを見つけるのよ。そして2人はお城で幸せに暮らしましたって話ね」
「……」
「そっくりでしょう? ロリ子。貴女は意地悪な母と姉達に毎日こき遣われて、外出もできないし当然、合コンなんて行けない。そこへ魔女の私が現れて、綺麗なドレスに…ガラスの靴、ではないけど。馬車の代わりに車も待機してるわ。これから貴女はパーティに行って王子様に出逢い、幸せになるのよ」

本当にそんなことが起こりうるのだろうか。お伽噺のような…というか、まるでお伽噺そのものだ。私が黙っていると、河竹緋鞠は背中を押した。

「さあ早く。パーティが始まっちゃうわよ?」

何故こんなことをしてくれるのだろう。河竹緋鞠には何もメリットはないはずだ。でもシンデレラの魔女だって何か得した訳じゃない。私は走り出す。家を出ると、河竹緋鞠が言った通り目の前に車が停まっていた。

「…これでいいのかしら」

すると車の窓が開く。運転席の男がこちらを見ていた。

「早くお乗りください。ロリ子様」

河竹緋鞠にしか名乗っていないはずなのに、男は言う。魔女が連れてきた男なのだからそれほど不思議ではなかった。私が乗ると、車はすぐに動き出す。道中男は一言も喋らなかった。車が停まった直後、「パーティは既に始まっています」と告げただけだ。私は礼を言って車を降りる。私からすれば、それこそお城のような建物が、目の前にはあった。こんなところに足を踏み入れるのは産まれて初めてだ。緊張しながら、それでも勇気を出して一歩踏み出した。
内側は外から見るより更に豪華だった。広々とした玄関のような場所を少し歩くと、受付が目に入る。

「いらっしゃいませ」

女性に笑顔を向けられ、慌てて頭を下げた。近付いていくと、何やらプレートを差し出される。

「こちらを分かりやすいところに付けてください」
「……?」

受け取り、目を遣る。それはネームプレートのようだった。“間瀬礼羅(22)”と書かれている。私の名前、だろうか。学校に行っていないので漢字は読めないが。横の数字は流石に分かる。だが何の数字かは分からなかった。分かりやすいところに付けてと言われたので、とりあえず他の人を参考にしながら腰の辺りに付けた。会場内に入ると、沢山の視線が私に集まる。私は思わず固まった。皆が私を見ている。先程まではざわざわとしていたのに、一気に静かになった。何だろうこれは。やはり私は浮いているのだろうか。ここに来るにふさわしくなかっただろうか。すると奥の方から、1人の男がこちらに歩いてきた。その男は私の前まで来ると、手に持っていたグラスを差し出す。

「お名前、お訊きしても?」
「っ、え…? あの…」

突然のことに戸惑っていると、男は私が先程腰に付けたネームプレートに目を遣った。

「間瀬礼羅さん?」

男が呼んだ名前を聞いて、私は目を見開く。そして理解した。間瀬、といえば私の母や姉達の苗字だ。つまり私の苗字でもあるはず。礼羅は恐らく、シンデレラからきているのだろう。

「あ、はい…そうです」
「僕は不破淳耶といいます。よろしく」

男――不破淳耶は笑う。私は差し出されたグラスを受け取り、「あ、よ、よろしくお願いします」と返した。それから殆んどの人は、私と不破さんから視線を外してまた目の前の人と会話を再開した。一部の人はまだこちらを見ていたが。

「礼羅さんは22歳ですか。お若いですね」

その視線を気にしていると、不破さんが言う。私は慌てて視線を戻した。というか、何故私が22歳だなんて分かるのだろう、と考えて、名前の横に書かれた数字を思い出した。そうか。これは年齢だったのか。思って私は不破さんのネームプレートをこっそりと見る。名前の横に、“(30)”と書かれていた。

「あ、え、そうですか…?」
「そうですよ。そんな若いのにもう結婚を考えてるんですか?」
「えっ結婚?」

私は思わず驚いてしまう。そういえば、結婚相手を探しにきたようなものだった。

「え、違うんですか?」
「え、あ、ああ、いえ! そう…そうです。結婚を…」
「何か事情でもおありなんですか? その歳で結婚なんて…」
「え……ああ、ええ…逃げたい、です。今までの…生活から。それには、結婚しかなくて…」

私は言った。初めて心の底にあった願いを口にした。ずっと目を伏せてきた願い。逃げたい。不破さんは何か深い事情があると察したような表情をしていた。それからパーティの間、私は殆んど不破さんと会話していた。参加者1人1人と順に話す時間もあったが、その間も不破さんのことを考えていた。パーティは11時頃には終わり、一部の人で二次会というものをやるらしく、不破さんに誘われたので参加した。カラオケというところだったが、私は勿論初めてだ。皆が歌っているのをずっと見ていると、隣に座っていた不破さんが話しかけてきた。

「礼羅さん、歌わないんですか?」
「え? あ…私、歌は、知らないんです」


 

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