小説6
□夫婦
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「あ、あの!」
「え?」
雪妖記−隆茂と雪女の妻−
それは突然だった。隆茂と白菊が結婚して次の冬。結婚してからの白菊は、できる限りの家事をしようと奮闘していた。その日もいつものように買い物をし、家路を歩いているところだった。1人の少年が声をかけてきた。高校生ぐらいのその少年は、夏の間白菊が毎日のように涼みに行っていたコンビニで、アルバイトをしていた子だった。
「あら、こんにちは」
白菊は微笑む。
「お久しぶりです」
少年は言った。
「どうして最近こないんですか」
何も言わない白菊に、少年が続けた。
「え? あー…冷房の季節が終わったから」
「え?」
「私暖房は苦手なの」
「……」
少年は言葉を失っていた。そんな理由で行かなくなったと言われては無理もない。気を取り直して、少年は口を開いた。
「名前、教えて下さい」
「…内田白菊よ。貴方は?」
「薩上、成史と言います。…白菊さん」
「なるふみ。そう。ところで、何か用かしら?」
白菊が微笑むと、少年――成史は携帯電話を取り出し、白菊に差し出した。
「連絡先、交換してくれませんか」
白菊は目をぱちくりさせる。
「……ごめんなさい。私携帯電話を持っていないの」
「え?」
成史は驚いて顔を上げた。無理もないだろう。白菊の見た目は20歳ぐらいだ。その歳で携帯を持っていないというのは珍しい。
「私携帯電話を持てないの」
「え、あ、そうなんですか…? え? じゃああの、家電は…」
「いえでん…?」
「家に電話は、ありますか…?」
「…ええ、あるわよ」
「ならっ…」
成史は慌てたように財布からレシートを取り出し、裏面に何か書き出した。そしてそれを白菊に差し出す。
「よかったら、連絡下さい」
白菊が受け取ると、成史は走り去っていった。白菊はレシートを買い物袋に入れ、家に帰る。買ってきたものを冷蔵庫に入れ、レシートはテーブルに置いた。
「ただいまー」
夜、白菊がご飯を作っているときに隆茂が帰ってきた。
「おかえりなさい」
白菊は微笑んで言う。
「シチューだ!」
匂いで分かったのか、隆茂が嬉しそうにキッチンに入ってきた。
「当たりよ」
「白菊ホント料理うまいなあ。200年以上料理したことがなかったとは思えないよ」
「ふふ、母さんが料理上手だったみたいだから、受け継いだのかもしれないわね」
「そりゃよかった」
隆茂は言いながらリビングの方へ向かう。そしてテーブルの上にレシートが置いてあるのを見つけた。
「? これ何?」
隆茂はレシートを手に取る。白菊は隆茂の方を見た。
「ああ。コンビニの店員さんに貰ったの。なるふみっていうのよ」
「コンビニの店員?」
「そう。夏の間毎日涼みに行っていたコンビニの店員さん。さっき偶然道で会ったの。よかったら連絡下さい、って。でも私電話持てないでしょう? だからどうしようかと思ってて。そうだ。隆茂がかけてあげてくれないかしら」
白菊はシチューをかき混ぜながら言う。隆茂はレシートの裏面を見つめていた。そこに書かれているのは紛れもなく、携帯番号だ。
「…多分白菊からでないと意味ないと思うよ」
「え?」
白菊は隆茂の方を向く。
「その男、白菊を狙ってるんだよ」
「狙ってる…? 私狙われているの? 危険なの? 雪女ということがばれたのかしら?」
「そういう意味じゃなくて…」
「?」
慌てる白菊に、隆茂は言った。
「白菊のこと好きなんだよ」
白菊は目を丸くする。
「え? そんな、だって彼多分高校生よ?」
「それは関係ないだろ。白菊見た目は20歳ぐらいなんだし、高校生だったら2、3歳しか違わないように見える」
「でも…」
「大体、雪人さんと蜜樹ちゃんだって結構年の差あるだろ? それこそ出会ったときは蜜樹ちゃん高校生だったし、雪人さんは白菊より上に見えるし…」
「……」
「年齢は関係ない」
「…そうね」
白菊は呟いた。そこで隆茂は白菊の後ろでグツグツ音がするのに気付く。
「白菊! シチュー!」
「え? あっ!」
白菊は慌てて火を止めた。シチューは少し焦げ臭い。
「ごめんなさい…焦げてしまったみたい」
白菊が言うと、隆茂は後ろからお玉でシチューを掬い、ペロリと舐めた。
「…うん。大丈夫だよ、これくらい。美味しい」
「…そう? ならいいんだけど…」
白菊は振り向き気味に言う。隆茂は白菊の頭に顎を乗せた。
「隆茂?」
白菊は上目遣いに隆茂を見る。
「…白菊」
「どうしたの?」
「白菊はどうしたい?」
「…何を?」
「その…なるふみって人に、電話したい?」
「…私は別に、電話しなくてもいいわ。なるふみが私の事を好きかもしれないなら…期待を持たせる訳にもいかないし」
「…そっか」
呟いて隆茂は、白菊から離れた。
「…で」
テーブルにお茶の入ったグラスを置いて、頼子が言う。
「何でウチに来るの?」
テーブルの傍には落ち込んだ様子の隆茂がいた。
「いや…なんか、こういうときは今西かなって」
「何ソレ」
笑いながら頼子は床に座る。
「…白菊はそのなるふみって子には全然興味なさそうなんでしょ? だったらいいじゃん。気にしなくて」
「うーん…そうなんだけどさー…」
「けど何?」
「なんか…白菊を縛ってる気がして」
「……」
「若い子の方が白菊も…」
「隆くんだって十分若いでしょうが」
「そういう問題じゃないんだよ! だって白菊は出会ったときと全然変わらない! 可愛いままだ! でも僕はどんどん年取ってく! そしたら白菊だって若い男の方がいいに決まってる!!」
隆茂が叫ぶ。頼子は溜め息を吐いた。
「…隆くん、前に白菊が同じように悩んでたの知ってる?」
「え…?」
隆茂は顔を上げる。
「結婚前の話だけど。隆くんが知らない女の子と歩いてて、浮気かもしれないって。そのときも白菊ウチに来て、今の隆くんみたいにウジウジしてた。自分は隆くんに相応しくないんじゃないかって、人間の女の子の方がいいんじゃないかって、そのときだけじゃない。ずっと悩んでたわ白菊。だけど隆くんは白菊が雪女だなんてこと全然気にしてなかった。雪女だろうとなんだろうと白菊が好きだった。違う?」
「そんなの…当たり前だろ」
「だったら白菊も同じ気持ちだってなんで分からないの? 白菊だって隆くんがおじさんになろうとおじいさんになろうと隆くんが好きなのよ。隆くんが年取ってくことなんか白菊は気にしてないわ」
「……」
「アンタ達お互いの気持ちちゃんと言わなすぎなのよ。もっと自分に自信持ちなさいよ。夫婦でしょ? 隆くん何のために白菊にプロポーズしたのよ」
「…そっか。そうだよな…夫婦、だもんな…」
「そうよ」
「そっか…」
「お姉ちゃーん雪人さん今日、あ隆茂さん」
「何!?」
そこで蜜樹がドアを開ける。続いて雪人がその背後から部屋を覗く。
「貴様奥入瀬というものがありながら…!」
「うわっち、違いますこれは…!」
「そうよ雪人さん! 隆くんは白菊のことで相談にきただけなの!」
「…ならいい」
襲いかかりそうだった雪人が落ち着いたので、隆茂と頼子はホッと息を吐いた。
「でもお姉ちゃんに何の相談?」
蜜樹が訊ねる。隆茂は蜜樹を見た。蜜樹は隆茂と同じ立場だ。蜜樹の意見を聞いてみるのもいいかもしれない。そう思った。
「白菊が高校生の男子に告白されたんだって」
「…蜜樹ちゃんはさ」
頼子が言ったあとに、隆茂が呼びかける。蜜樹は隆茂を見た。
「どう思う? 蜜樹ちゃんは年取ってくのに、雪人さんは変わらない。今はまだ蜜樹ちゃんの方が年下っぽいけど、そのうち雪人さんの見た目に追いついて、追い越してくだろ? そのとき…“私より相応しい人がいるんじゃないか”って思わない?」
「…うーん…そう言われても、私雪人さんと同い年になったら雪女になるって決めてるしなあ…」
「え!?」
隆茂は驚く。頼子と雪人は驚かなかった。知っていたようだ。
「じゃ、じゃあ…死ぬってこと…?」
「まあ…そうなるね」
「大丈夫、なの…? 雪女って…100%なれるもんなの…?」
隆茂は雪人に訊ねる。
「恐らく。雪男が生まれる確率は低いが、雪女はかなり高いらしい」
「でも、100%じゃないんだよね…? もし、そのまま死んだら…」
「そのときは私も死ぬ」
隆茂は何も言えなかった。2人の表情からは覚悟が窺える。2人共本気だった。
「そもそも私と雪人さんは種族が違うし、私は雪人さんには相応しくないよ。それでも雪人さんが私を選んでくれたんだからいいの」
そう笑う蜜樹は、随分大人に見えた。4歳も年下のはずなのに。
「だが奥入瀬はそれは望んでいない。お前が雪男になることは」
隆茂の思考を見透かしたように雪人が言う。隆茂は雪人に視線を向けた。
「え…?」
「男の場合はそのまま死ぬ確率の方が高いしな。奥入瀬はお前にそこまでは望んでいない」
「……」
「私達は私達、お前達はお前達だ。奥入瀬はお前が老いて死ぬとき、共に死ぬつもりなのだろう?」
“隆茂が死んだら…私も死んでいいかしら?”
白菊の言葉を思い出して、隆茂は頷く。
「…帰る。白菊が心配してるだろうし」
「雪人さん今日泊まるの?」
「うん。そうだよそれを言いにきたんだよ!」
「世話になるな」
「いいけど蜜樹はこの間みたいに風邪引かないでよ」
「分かってるよ!」
頼子に向かってムキになる蜜樹は、いつもの“妹”に戻っていた。隆茂はそんな3人に背を向け、玄関へ向かった。
その頃白菊は、例のコンビニの前いた。コンビニを覗くとレジに成史がいる。すると成史がこちらに気付き、店から出てくる。
「白菊さん! 会いにきてくれたんですか!」
「え、ええ…あの…」
言い辛そうにしながら白菊は頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え…?」
「私…やっぱり貴方に電話できないわ」
顔を上げながら白菊が言う。成史は表情を失っていた。
「それは…」
「突然こんな事を言って信じてもらえるか分からないけど…私人間ではないの」
「はっ…?」
「雪女なの。だから長時間機械を持つと凍らせて壊してしまうから、電話はできないの」
「…何ですか、それ」
成史は眉をひそめる。信じていないようだ。
「本当よ? 何なら触れてみる?」
言って白菊は成史に手を差し出す。成史は恐る恐るその手に触れた。そしてすぐに手を引っ込める。
「冷たい…」
成史は呟いた。その手の冷たさは、冷え症なんてレベルではなかった。まるで氷に触れたかのような冷たさだ。