小説4

□浮気
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その日も白菊は、隆茂の家へ向かって歩いていた。最近は涼しくなってきたので、幾分か過ごしやすい。
しかし角を曲がり隆茂の家が見えたとき、白菊は歩みを止めた。隆茂の家の前に、隆茂と知らない女がいたのである。思わず雪になって近付く。

「あ、雪だぁー初雪ー♪」

隆茂の腕を掴んで女が笑ったとき、何かが崩れる音が聞こえた気がした。


記−貴方の恋人−


白菊は隆茂の家に行かなかった。雪になってそのまま住処に帰ってしまった。

「……」

住処の真ん中に立ち尽くす。今のは何だったのか。1人考える。

「…知らない人だったわ」

白菊は呟いた。

「とても仲良さそうだった…」

自分で言って虚しくなった。白菊の表情が段々と歪んでいく。その場に座り込んで俯いた。

「隆茂…」

白菊の目から涙が零れる。地面に落ちる前に雪に変わり、やがて空から雪が降り出した。

「どうして…?」

白菊は呟いて泣いた。






「白菊来ないなあ…」

隆茂は部屋で1人呟いた。もう日も落ちてきている。昨日も来なかったというのに。何かあったのだろうか。隆茂は頼子に電話することにした。

『もしもし?』

3コール目で頼子が電話に出た。

「あ、今西? 今日白菊見てない?」
『白菊? 見てないけど…何? 来ないの?』
「うん…何かあったのかな」
『そんなことあたしに訊かれても困るけど』
「そうだよね…ごめん…」
『明日には来るんじゃない? 体調が悪かっただけかもしれないし』
「うん…ありがとう。じゃあ」

隆茂は電話を切ると溜め息を吐いた。



一方の頼子も溜め息を吐いた。

「これでいい?」

そして少し離れたところにいる白菊に言った。

「ええ…ありがとう」
「何があった訳? 急に隆くんに会いたくないなんて」
「…次会ったら、別れの言葉を聞かされるわ」
「でも会わなくても自然消滅になっちゃうんじゃないの?」
「自然消滅…?」

白菊はその言葉を初めて聞いたようだった。

「お互い別れようとか言ってないけどいつの間にか自然に別れてること」
「…そんなのがあるの?」
「あるよ」
「……」
「何があったの?」
「……隆茂が、知らない人と一緒にいたの」
「…へえ」
「腕を組んで、とても仲良さそうだった…」
「浮気かもってこと?」

白菊は頷いた。

「気にし過ぎじゃない?」
「とても仲良さそうだった…」
「アンタ達も十分仲良いじゃん」
「腕を組んでたわ…」
「それは…」

頼子は言葉を濁す。白菊が再び口を開いた。

「浮気、って何なのかしら? 何処からが浮気なの?」
「それは人によるよ。自分に内緒で2人で会ったら浮気って人もいるし、やることやんなければOKって人もいるし」
「やること?」
「…聞かないで」
「…ああ。“キス以上”というやつね?」

頼子は白菊を見た。

「…白菊、空気が読めるようになったのね」
「? 空気って読めるものなの?」
「…なんでもないわ」
「?」

白菊は首を傾げる。頼子は溜め息を吐いた。

「で、アンタはどうなの? 隆くんがその女と腕組んでんの見てどう思った?」
「…仲良さそうだと思ったわ」
「他には?」
「羨ましいと思った」
「…嫌、ではなかったの?」
「嫌…だとは思わなかったわ。ただ、私なんかよりあんな子がいいのかもしれないと思った」
「アンタそれでいいの!? そいつに取られちゃうかもしれないってことなんだよ!?」
「…でも、あの子は隆茂に触れられるわ」
「隆くんはそれでもいいって言ってくれたんでしょ!?」
「人の考えなんていくらでも変わるわ」
「そうと決まった訳じゃない!!」

白菊が黙って、室内がシンとなった。頼子は続ける。

「隆くんと話しもせずに逃げてきて、隆くんの気持ち勝手に決めつけてんじゃないわよ」
「……」
「アンタちょっと決めつけすぎなんじゃない? 隆くんが自分から離れても当然なんて考え捨てなさいよ。いい? 隆くんにとって、アンタが人間か雪女かは関係ないの! アンタが好きなのよ、奥入瀬白菊が!!」
「私…」
「“触れられない”程度の障害なんてあってないようなもんよ。それでも好きって言ってんだからいいじゃない。アンタは隆くんを信じてればいいのよ」
「隆茂を信じる…」
「嫌なら嫌って言ったっていいの。ちょっとくらいワガママ言ったっていいのよ」
「ワガママ…」
「それが恋人じゃない」

“恋人”という言葉に、白菊は薄く頬を染めた。

「…そうなの」
「そうよ」
「…そう。ありがとう」

白菊は微笑んだ。

「それにしても頼子、何だか優しくなったわね。前は“そんなのでよく人の彼女やってるね”とかって言っていたのに」
「あのねぇ…私だっていつまでも隆くんばっかり追いかけてるワケじゃないんだからね! ずーっと白菊のことライバル視してるワケじゃないの!」

白菊はきょとんとして頼子を見る。

「らいばるし…?」

頼子は溜め息を吐いた。

「…敵視って言ったら分かる?」
「てきし? ……! 私、頼子に敵だと思われていたの!?」
「ああ…そこから気付いてなかったのね」
「ごめんなさい…」
「いいわよ。もう敵視はしてないから」
「今は…じゃあ何だと思われているの?」
「! アンタ…そんなこと訊く?」
「え?」
「…友達よ、友達」
「友、達…」

知らない訳ではなかったが、それは白菊にとって新鮮な響きだった。

「何? 友達知らないの?」
「いえ、知っているけれど、初めてだわ。友達…」
「…ずっと1人だったんだっけ? …200年ぐらい」
「ええ…いえ、正確に言えば、最初の50年程はお母さんと一緒だったわ。それから途中1年程親しくしていた人がいた。それ以外は1人よ」
「それって楽しかった?」
「それ、って1人でいること?」
「うん」
「いいえ、全然。つまらない日々だったわ。ただ、楽しさを知らなかったから生きていられた。今もう1度あの生活をしろと言われたら、退屈過ぎて生きてはいられないわ」
「…そう」
「全部隆茂がくれたのだと思っていたのだけれど…違ったのね。頼子もだわ」
「っ何言ってんのよ。別にアンタのためじゃないわよ」

微笑んで見ると、頼子は動揺しているようだった。白菊は思わず笑い出す。

「ふふふ」
「…何が可笑しいのよ」
「それ、つんでれっていうのよ」
「は?」
「“別にアンタのためじゃない”っていうの、ただの照れ隠しなんだって隆茂が教えてくれたわ」
「っ隆くん変なことを…」
「ふふふ…」






頼子の家を出たあと、白菊は隆茂の家へ向かった。「あの女は誰なの?」と問い詰めてみるのもたまにはいいかもしれない。しかしいざ隆茂の家が見えるところまで来ると、急に足が竦んでしまう。もし別れようと言われたら…どんどん思考がネガティブになっていく。やっぱり明日でもいいか、なんて考え始めたとき。

「あれ、もしかして白菊さんっ?」

そんな声がして、白菊は振り返った。そこには昨日隆茂と一緒にいた女がいた。
しかも女は白菊のことを知っているようだ。

「っあ、…」

突然のことで、どうしたらいいか分からない。白菊が戸惑っていると、女はどんどん白菊に近付いてきた。

「うわあホントに真っ白! 初めましてっ! いつも兄がお世話になってます!」

女は笑顔で言う。白菊は頭が真っ白になった。この女、今なんと言った?

「あ、に…?」
「あっ白菊! なんで昨日来なかったんだよ! 僕すげー心配して…!」

そこへ隆茂がやってくる。白菊は女を指差して言った。

「隆茂こ、この子は…?」
「僕の妹のたゆみだよ」
「いもうと…?」
「内田たゆみです! よろしくお願いします!」

女――たゆみは笑顔で言う。白菊の頭はようやく現実へ戻ってきた。

「っい、妹!? 妹がいるなんて聞いてないわ!」
「だから紹介しようと思って連れてきたんだよ」
「もっと早く言ってよ!」
「無茶言うなよ」

2人の言い合いを聞きながら、たゆみはニコニコと笑っている。勝手に勘違いして勝手にショックを受けていた自分が段々馬鹿らしくなってきた。

「わ、私、貴方が浮気、したのかと…私のことなんて、もう好きじゃないのかと、思って…!」
「浮気!?」
「するわけないじゃーん!」

そう言ったのはたゆみだった。

「お兄ちゃん白菊さん大好きなんだもん! 私といても白菊さんの話ばっかり!」
「え?」
「たゆみ!」

見ると、隆茂は真っ赤になって白菊から目を逸らした。

「隆茂…」
「っそういうことだからっ…僕は、白菊しか見てないんだからね!」

ああ、私は本当に何を心配していたのだろう。
白菊はそう微笑んだ。

「…ごめんなさい」
「…あの、ところで今度さ、僕の…実家に行こう?」
「え?」
「親に…会わせたいんだ」
「!」
「お兄ちゃん唐突すぎ」

たゆみが苦笑いをする。2人のあまりのラブラブっぷりに目を覆いたい気分だった。

「たゆみ、ちゃん…は、私のこと知っているの?」
「私のことって? 白菊さんが雪女ってこと?」
「…ええ、知っているのね」
「まあね。絶対嘘だと思ったけど」
「嫌じゃない?」
「へ?」
「お兄ちゃんの恋人が雪女で…嫌じゃない?」
「ぜーんぜん! 会ってみるまで分かんなかったけど、全然普通の人じゃん! 怖くもないし、近寄りがたくもないし」
「……そう」
「大丈夫だよ白菊さん。ウチの親は人間とか雪女とかで反対したりしないから」
「白菊…そんなこと心配して…? 大丈夫だよ、僕の親なんだから」
「そーそー」
「…そうね」

隆茂とたゆみを交互に見て、白菊は微笑んだ。
何も心配はいらなかったのだ。
自ら離れていこうとした白菊を抱き締めてくれた隆茂なのだから。
そんな隆茂の家族なのだから。


end


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