小説4
□拾漆
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外に出ると、もわっとした空気が2人を襲う。
「…蒸し暑いね」
「…蒸し暑いわ」
2人の意見は一致していたが、感覚としては白菊の方が辛いだろう。隆茂は白菊の浴衣の袖を握る。
「こうするの久しぶりだね」
隆茂が言った。
「夏は掴むところがないものね」
白菊が答える。
そして2人で笑った。
雪妖記 拾漆
「大丈夫?」
「…ええ。でもなんだか昔祭りに来ていた頃より暑い気がするわ」
「温暖化かな…」
「温暖化? 恐ろしい言葉ね…」
「確かに君にとっては怖いことだね…」
6時を回ったばかりだというのに、祭りは既に賑わっていた。食欲をそそる香りと楽しそうな人の声は、今も昔も変わらない。
「どこから行こうか」
「どこでもいいわ」
「何が好き?」
「何が?」
白菊は首を傾げる。
「え、何?」
「何?」
「…え、来たことあるんだよね? 祭り」
「…ええ。でも来ただけよ。来て、見ていただけ」
「…そういうことか」
隆茂は溜め息を吐く。
「だってお金がないもの。何もできないわ」
「そっか…そうだね」
「けれど暑いから、氷が食べたいわ」
白菊は氷と書いてある屋台を指差して言った。
「…氷、食べるの?」
「? ええ」
「え、でも、それ、共食い…」
「え?」
白菊の声が低くなった。眉をひそめて隆茂を見る。
「…すいません」
「行きましょう」
白菊は隆茂をかき氷の屋台へ連れて行く。
「…私は雪よ。氷じゃないわ」
その途中、白菊は呟いた。
「え? 何?」
「…何でもないわ」
かき氷の屋台に着くと、白菊は目を輝かせて氷を見ていた。
「お嬢ちゃん、かき氷好きかい?」
屋台の中年の男が声をかけてくる。
「ええ! 氷は大好きよ!」
「そりゃあよかった」
白菊はいつになく弾んだ声で答える。男も上機嫌だ。
「何味がいい?」
隆茂が白菊に尋ねた。
「味?」
白菊は聞き返す。
「イチゴとーメロンとーレモンとーオレンジとーハワイアンブルーがあるけど。あとみぞれとー、宇治金時もあるよ」
「…それを氷の上にかけるってこと?」
「うん。そうだけど」
白菊は氷をジッと見た。そうしている間にも、客が来てはメロンだのハワイアンブルーだの(ハワイアンブルーが1番謎だ)と言って氷の上に色の着いた液体をかけてもらっている。
「…私は氷でいいわ。氷だけでいいの。味なんて要らないわ」
「え? いやいやちょっと待って。それやめて! 君だけで食べるんじゃないんだからね!?」
「え?」
白菊は隆茂を見た。
「え、もしかして1人で食べる気だった?」
「ええ…貴方も食べるの?」
「うん…食べたかった…」
「…貴方の好きな味でいいわよ。私は氷が食べたいだけだから、何味でも構わないわ」
「ホント?」
隆茂は落ち込んでいた顔を上げた。少し嬉しそうにしている。
「ええ」
「おじさん、イチゴ!」
白菊の返事を聞いてすぐ、隆茂は言った。屋台の男が氷にイチゴ味のシロップをかけて隆茂に渡す。
「ほい、300円ね」
「はい」
かき氷を受け取った隆茂は男に300円を渡し、そのままかき氷を白菊に渡した。
「ありがとう」
白菊は微笑んで受け取る。シロップがかかっていても氷は氷だ。白菊は目を輝かせている。ストローで氷をすくい、口に運ぶ。
「どう?」
隆茂が尋ねると、白菊はとても幸せそうな顔をした。
「…美味しい…!」
「えー、ねぇ、僕も食べたいんだけど…」
隆茂はそわそわしている。白菊はかき氷をすくって隆茂に差し出した。
「はい、どうぞ」
「あーん」
隆茂が口に含もうとした瞬間に屋台の男が言い、隆茂はむせた。
「ちょっと、大丈夫!?」
白菊が心配そうに尋ねる。
「ちょっ、おじさん!!」
隆茂は男に抗議した。
「青春だねぇ」
男はニヤニヤと2人を見ている。
「もう、行こ!」
隆茂は白菊の袖を引いてその場を去った。
「あ、隆茂」
その言葉に反応し、頼子は正一の目線の先を見てしまった。急ぎ足で白菊を連れて歩く隆茂の姿を。
「……」
「あれが例の白菊ちゃん?」
「…うん」
「へぇー、確かに美人だな。でも年上には見えない」
「…うん」
「…ホントに手、繋いでねぇ…」
正一は信じられないという口振りで言う。隆茂は白菊の袖を握って走っているのだ。
「だから抱きつけって言ったのによ…どう見ても勝手悪いだろ、あれ……あれ?」
正一が目を凝らして言う。
「あの浴衣…お前持ってなかったっけ?」
「…うん」
「…まさか、あれ」
正一は頼子の方を向く。
「…あたしの」
「貸したの?」
「…うん」
「…へぇ」
「…断れるワケないじゃん。隆くんに頼まれたら」
「…だよな」
正一は溜め息を吐いた。
「ちょっと! どうしたの? ねぇ、何故そんなに走るの?」
白菊は自分が着ている浴衣の袖を握ったまま前を行く隆茂に問いかける。昔は浴衣で山を駆け回ったりしていたものだが、浴衣を着るのはほぼ100年振りなので走りにくい。
「ねぇって! 聞いていないの?」
2度目の呼びかけで、隆茂はようやく立ち止まった。白菊が顔を覗き込むと、隆茂は真っ赤だった。
「…どうしたの?」
白菊はもう一度問う。
「…君には、分からないよ」
隆茂が呟いた。
「…何よそれ。分かる訳ないわ。貴方が言ってくれないと」
「言えるワケないよ…こんなこと」
「なら言わなくてもいいわ。だからお願いよ。私のことを無視しないで…」
隆茂は振り返って白菊を見る。白菊は哀しげな目で隆茂を見ていた。
「…ごめん」
すると目の前にかき氷が差し出された。
「はい。これで仲直りよ」
再び隆茂の頬が染まる。
「…いいよ…自分で食べるから」
「何故? いいじゃない」
「だって…」
隆茂はそれきり口を噤んだ。
「……もしかして貴方、これが恥ずかしかったの?」
白菊が言うと、隆茂の頬は更に紅くなった。
「だっ、だって! 僕は普通に食べようとしてたのに、あの、おじさんが『あーん』とか言うからっ…!」
「あーん?」
白菊は首を傾げる。知らないらしい。しかし隆茂には、“あーん”の持つ意味を説明するような余裕はなかった。
「だから、意識、しちゃって…」
段々語尾が小さくなる。白菊は首を傾げたままだ。
「あーん」
白菊が言った。
「!?」
隆茂は顔を真っ赤にしたまま白菊を見た。白菊は相変わらず首を傾げている。隆茂は意を決し、かき氷を食べた。イチゴの甘味が口いっぱいに広がる。
「美味しい?」
白菊に微笑みかけられ、隆茂はただ無言で頷く。
「そう。良かった」
そして白菊はかき氷を食べ始めた。幸せそうにパクパクと食べている。
「ねぇ…僕にも…ねぇ」
隆茂のことなどお構いなしに白菊はかき氷を食べ続ける。
「無視しないで!!」
そのまま白菊はかき氷を完食し、隆茂はふてくされていた。
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