小説4
□拾参
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最近大学へ行くと、正一がニヤニヤしながらこっちを見てくる。なのに何故だか知らないけど話しかけてこない。それが余計に気になった。
雪妖記 拾参
「おい、正一」
我慢ならなくなって、今日は自分から正一の隣に座ってやった。
「あ? 何だよ」
やっぱり正一はニヤニヤしてやがる。何なんだよ一体。
「お前何なんだよ最近。ニヤニヤしながらこっち見やがって。なんか言いたいことあんなら言えよ」
「いや? お前が好きな奴ってさあ、真冬にノースリーブ着るような女なんだろ? えーっとなんだっけ…白菊、ちゃん?」
僕は驚いて正一を見た。なんで知ってるんだコイツ。
「…誰に聞いたんだよ」
「今西だよ今西」
そういえば今西は彼女に2回会ってるんだった。僕は溜め息を吐く。
「今西か…」
「何だよ何だよ何処の子だ? 紹介してくれたっていいじゃねぇか。可愛いのか?」
「…白菊は誰よりも可愛いよ」
頬杖をついてボソッと呟くと、正一は更に表情を弛める。
「うわ…完璧惚れてんなそれ。白菊ちゃんが知ったらなんて言うかねぇ」
「…は?」
僕は顔を上げて正一を見る。正一は相変わらずニヤニヤしっぱなしだ。
「なんだよ?」
「知るも何も、言ってるし」
「は!? 世界一可愛いって!? お前付き合ってないのにそれ…」
「? 何言ってんだよ」
正一は驚いている。しかも訳が分からない。付き合ってないなんていつ言った?
「白菊は僕の彼女だ」
僕が宣言すると、正一は大袈裟に驚いて机に手をついた。
「…は!? え、何、妄想じゃなくて!?」
「妄想じゃねぇよ!」
失礼なこと言うなコイツ。思わず叫びそうになって声量を抑える。ちなみに今は授業中だ。一応履修はしてるけど別に取れなくてもいい授業。ああ、でも正一は取れないとマズいんだっけ。まあどうでもいい。
「まじかよ…お前に先越されるなんて…」
「どういう意味だよ。お前ホント失礼な奴だな」
「いやだってさー…」
正一は溜め息を吐きながら前を向いた。そうだ、お前は授業を聴け。僕も前を向いて聴き始めた。この教授の話し方は単調で、何人かの生徒は睡眠学習に入っている。すると隣で正一が船を漕ぎ始めた。ホントに落とすぞ、お前。でも起こさない。コイツは起こされると機嫌が悪くなる。自分で起きてもらうしかない。
「で?」
隣から声がした。見ると、いつの間にか目覚めた正一が再びニヤニヤしながらこっちを向いていた。僕は眉をひそめる。
「なんだよ」
「白菊ちゃんと何処までいってんだ?」
「…は? 何もねぇよ」
「……は? 何もってなんだよ。てかお前らいつから付き合ってんの? 何ヶ月目?」
そういえば、何ヶ月とかカウントしてなかった。初めて出会ったのが冬休みのときで、付き合い始めたのは4月でー…
「…2ヶ月、まだ経ってない」
「2ヶ月か…でも2ヶ月ぐらい経ってりゃ、キスぐらいはしただろ?」
「…キス?」
僕はその言葉を初めて聞いたかのように繰り返す。いや、キスぐらい知ってるけど。
「なんだよ。まさか…」
正一が呆れた顔で見ている。
「してないよ。キスも、何も」
キスなんて考えたことなかった。だって考えるだけ無駄なんだ。
「嘘だろ!? じゃ、じゃあ手…ぐらい繋いだことあるだろ!?」
「手…」
あれは繋いだうちに入るんだろうか。だって絶対に繋げない。ホントは凄く繋ぎたいけど、でも繋げない。それを考えて白菊が出した方法がアレだ。指の感覚がなくなりそうなほど冷たかったけど、幸せだった。繋げないけど、確かに僕らは繋がってた。だったら、繋いだって言っても間違ってないだろうか。
「まさか…手も繋いでねぇの…?」
「…手は」
そのとき、授業終わりのチャイムが鳴った。僕は丁度よかったと立ち上がる。
「おい、隆茂…」
「僕今日これで終わりだから、帰る」
正一に背を向けて、僕は歩き出した。
「お前! ホントにそれ付き合ってんの…?」
後ろからそんな声がした。僕は振り返らない。
分かってる。
ホントは“付き合う”ってことは、手を繋いだり、キスをしたり…それ以上のことしたりするもんなんだ。でもそんなこと白菊には言えなかった。できないことばかり並べられて、その上で付き合ってなんて言って、彼女は頷いてくれただろうか。
したくないとは言わないけど、僕は別に白菊とそういうことがしたいから付き合いたかった訳じゃない。白菊にも言ったけど、確かに僕達の場合、付き合うことで変わるのは気の持ちようだけで、それ以外は今まで通りだ。
それでもいい。
それだけで幸せなんだ。たとえ、その手に触れられなくても。その体を抱き締めることができなくても。
“好きだけど、抱き締められない相手を末永く愛すことはできない”
白菊の言ったことが頭の中で反響する。
そんなことない。
抱き締めてあげられなくても、愛していける。
『…彼も最初は言ったわ。抱き締められなくても、お前を一生愛すって』
「…早く帰ろ」
僕は頭を振って呟いた。
きっと白菊がアパートの前で待ってくれてる。彼女の笑顔を見ればこんな気持ちなんかすぐに吹っ飛ぶんだ。
僕は走り出した。
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