新甲陽軍鑑
□序章
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天文十年(一五四一)六月。
甲斐を治めているのは甲斐の名門守護大名の当主である武田信虎であった。
甲斐の武田家は鎌倉以来の守護大名家ではあったが、磐石な支配権を持っていたわけではない。
同族間の争いが続き、信虎も当主の座を争って、叔父を討ち家督を継いでいた。
信虎は内乱の続いていた甲斐を統一したばかりではなく、領土拡大を目指し、隣国の信濃まで手を伸ばしていた。
しかし何もかもがうまくいっているわけではなかった。
たび重なる戦は民に重い税を課していた。
また甲斐の統一を果たした頃から、信虎は国主となった事からか、常軌を逸した行動をとるようになった。
妊婦の腹を裂いて、胎児の姿を確かめたいと言って、その残虐な行為を実行に移したのだ。
これには民だけでなく、家臣達も嘆き悲しんだ。
「甲斐は一体どうなるのだろう。」