DARKER THAN BLACK
□まだ届かない秘密の言葉
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虹の架った空は青に輝き、どこまでも続く深い海に、日光を吸収した木々が集まる森は美しく。
以前は感動的なものは一枚の絵として残しておいたのに、今現在はそれらをカメラに収めることを拒否する。シャッターを押すことを躊躇わせる。
理由は簡単。
契約者になったから。
感情と呼ばれるものは排除され合理的な思考だけを求める脳だこが残った。
それはきっとすごく哀しいことなのだろうが、現在の蘇芳にはその意味は理解できないし、知る必要もない。
「ねぇ……」
水同士がぶつかり合う音がやけに大きい。
それに掻き消されない程度の声量で隣の黒髪を呼んだ。
返事がないあたり、この海の波音が覆って消されてしまったか、と蘇芳はもう一度尋ねようとするが、若干の間を置いて「何だ?」と低音が返ってくる。
服が汚れることも気にせず浜の砂上に座る二人以外にこの海に人間はいない。海開きも当分先のこの時期。
何をするでもなく、海に来た蘇芳を疑わし気に見ながら付いてきてくれた保護者には感謝するが、やはり会話がないこの人物と二人きりというのは少々気まずい。
「僕は……何なの?」
突拍子もない問いだということは蘇芳自身にも分かっている。
ただ、自分は彼にとって何なのか、それが気になった。
契約者ではないが、確実に自分よりも強い男と、契約者のくせに合理的な判断が下せない子供。
何のために連れ回しているのか。
答えを聞いたらきっと後悔するのだろうな、と頭の隅で考えて翡翠の瞳を保護者に向けた。
「別に……役に立つから」
抑揚のない声。
いつも通りの声は躊躇いもなく淡々と告げられた。
その答えに何故だか酷く胸が痛んだ。契約者に感情はないはずなのに。
仮に未発達の子供であるから感情の欠落ができていないとしても一体これがどのような想いなのか分からない。
しかし、どこか冷静な部位もあって小さな声で「あ、そう」とだけ返す。
蘇芳は少し伏せた瞳を持ち上げ、隣に座る黒髪を見る。
彼の濃紺の瞳は真っ直ぐと同色の海を見ていて、蘇芳もつられて波打つ海面を眺めた。
「…………あ」
思わず声を上げたのは海の果てに鯨がいたから。
黒色の巨体を半分ほど大気を出して、水面と鯨がぶつかる重たい音が彼らの鳴き声のように聞こえた。
蘇芳は目を見開いて、一瞬固まったが、すぐにカメラを取り出して、シャッターボタンに指を乗せる。だが、それを押す気にはなれない。
鯨をカメラに収めることで、どうなるのだろう。
一体何に使うのだろう。
きっと邪魔になる。
こんな時ばかり自分の頭は合理的になる。何とも不自由で不可解な脳。いつからこんな風になってしまったのだろう、考えるのだが未だに答えは出てこない。
そう思案している内に再びけたたましい音で、鯨はしぶきだけを残して深い海の底へと帰ってしまった。
「……行っちゃった」
何となく後悔のような感情が生まれて、カメラのレンズ越しに辺りを見渡した。
しかし、この地は平穏と化しており、蘇芳は小さく溜め息をついた。
すると隣から鼻で笑うような掠れた音が聞こえて、瞳をレンズに預けたまま蘇芳は横を向く。
そこには保護者の黒髪があって何となく、本当に気まぐれでピントを合わせてみる。
覗き込んだレンズの先には濃紺の瞳を細めて微笑む黒の横顔。
笑う姿なんてものを見るのは初めてで、意外と綺麗な笑顔をレンズに映したまま、蘇芳は顔の熱が上がっていくのが分かる。
何故だかその表情は自分だけのものにしたくて、蘇芳は無意識の内にシャッターボタンに指をかけ、押していた。
その音は波音で消されたのか、隣の黒髪は気付くことなく、海を眺めている。
蘇芳は若干うつ向いて、カメラのモニターを確認した。
初めての笑顔はこのカメラの中に保存され、もう一度自らの目で見てみよう、と顔を上げる。
しかしそこにはいつもの無表情に戻った保護者が一人。
若干残念のように思えたが、自分の手の中の機械には彼の笑顔が入っていて。
そう考えるとどこか優越のような気持ちが沸き上がってくる。
この感情が一体何なのか分からないけれど。
「笑ってた方が格好いい」
なんて、波音よりも小さな声で呟いたことは彼には秘密だ。
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これがスランプですか?
すみません。