DARKER THAN BLACK
□看病は心配性な彼によって
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短く規則的な高音が部屋に響いた早朝。
白色の体温計を熱を持った口元から取り出し、小さな画面を見ると黒は深い溜め息をついた。
「38.2℃……病名、風邪」
それだけ言うと黒は濃紺の双眼を細めて蘇芳を睨む。
今朝、蘇芳が目覚めると激しく脈打つ頭痛と嘔吐感に襲われた。
なんとか這いずり出し、黒の元でそれを伝えると死ぬ気で出てきた布団に押し込められ、今に至るのだが。
体調管理ができなかったのは反省すべき点ではあるだろうが、病人相手に睨むことはないと思う。蘇芳も仕返し、とばかりに睨んでみるが、高潮した顔に潤んだ瞳では迫力も半減。
現に目の前の黒髪は脅えるどころか逆に機嫌を悪くしたように眉間に皺を寄せた。
「……お前は寝てろ」
再び溜め息をついて、端が乱れた布団をかけ直しながら黒が言う。完全に呆れられている。
微小な反抗として起きていようか、とも考えたが、瞼を上げていることすら頭痛を招くので、素直に目を閉じることにした。
風邪を引いた原因は考えればいくらでも出てくる。
風呂の後にすぐに髪を乾かさない。「日向は暖かい」と不可解な理由で薄着で外へ行く。寒いくせに強がって上着を着ない。
確か全て黒に注意された記憶がある。その度にそんなに弱くないと根拠も証拠もないことを言って逃げていたが。
案外自分は身体が弱いのかもしれない。
そこまで考えて閉じていた目を開けた。確か昨夜、黒は何かを言っていた気がする。
大切な何かが。
大切な仕事がある、そう言っていた。それを終わらせればこれから動きやすくなる、そう言っていたのだ。
「………黒」
掠れた声は小さく、聞き取りづらい。だが部屋の端からは低く落ち着いた声が返ってくる。
「なんだ」
静かな足音で近付いてきた黒は蘇芳の横になる寝具まで来ると、無表情をこちらに向ける。
まだ部屋にいてくれたことは嬉しく安心したが、同時に申し訳なさも込み上げてきた。
「……仕事は?」
細かく痛む喉を必死に動かし、空気を揺らす。それから二、三度咳を繰り返して黒を見た。
若干驚いたように目を見開いたが、黒はすぐに元の無表情に戻して目線を反らす。
静寂の中で蘇芳の荒い息遣いだけが鳴っていた。
答えない黒に蘇芳はもう一度尋ねようとしたが、炎症を起こした喉には先程の問いで限界だったらしく空気が漏れる音しかしない。
秒針が九つほど鳴った後、不意に黒の低い声が部屋に響いた。
「別に……次の機会はいくらでもある……」
照れたように視線は横にずらしたままぶっきらぼうに放たれた言葉。それに蘇芳は頭痛も吐き気も忘れて、ただ驚いた。
それから何だかすごく嬉しくなって音の出ない喉の代わりに、翡翠の瞳を細めて笑みを作る。
今日はきっと動くべき時だったのだ。都合の良い日だったに違いない。
それでも黒は勝手に風邪を引いた蘇芳の傍にいてくれた。
悪いことをしてしまったな、と思う反面、なんだか風邪を引いて良かったな、なんて不謹慎なことを考える。
「何を笑ってる……気持ち悪い」
急に笑顔になった蘇芳に驚いたか不機嫌になったか。
眉間に皺を寄せた黒は少量の水分を残した濡れタオルを蘇芳の顔に乱暴に投げ飛ばした。
正直、痛い。
それでも部屋にいてくれる彼は実のところ非常に優しく、非常に心配性なのだと思う。
これからはこの不器用な保護者の言うことを聞かなければいけないな、と頭の隅で考えた。
そして声の出ない口で「ありがとう」と告げてみる。
伝わっているのかいないのか。
「……移すなよ」
なんて今日三回目の溜め息を吐きながら、黒はぶっきらぼうに言う。そのまま部屋の端の卓まで移動してしまった。
しかし蘇芳を見た黒の口元は少し微笑んでいた気がした。
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お粥作ってみたけど恥ずかしくて出せないでいればいい。それでもったいないから自分で食べればいい。