DARKER THAN BLACK

□茜の空の帰り道
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 特にすることもなく。
 暇だな、と窓から覗く青い空を見上げて小さく呟いた。

 すると後ろから低く、もう聞き慣れてしまった声がかけられ「買い物に行ってくる」と一言。
 いつもなら無感情に返事をするのに何故だか今日は一人でいるのが無性に寂しくて、「一緒に行く」と答えていた。


「………何作るの?」

 何の迷いもなく、買い物かごに詰め込まれていく食材はキャベツやら人参やら。
 肉のコーナーまで足を運ぶと少し吟味するように、一通り見渡して豚肉を三つ。

「ボルシチ……」

 目の前を足早に歩く黒髪から発せられたのは、ひとつのロシア料理。豚肉のブイヨンでじっくり煮込まれた野菜たちを想像して、「あ、そう」と一言返した。
 ロシア料理なら、と口を挟もうとするが、目の前の男に料理の指南は不要なのでやめておく。

「懐かしい」

 料理上手な母が作ったボルシチを思い出して一言呟いた。少し薄目の母の味は、きっともう食べられない。
 だけど代わりに少し濃い目の黒の味も蘇芳は好きだった。

 その呟きを耳で拾ったらしい黒は「そうか」と返してくる。その顔は後ろを歩く蘇芳には見ることができないが、きっとぶっきらぼうな無表情。
 そう考えて蘇芳は小さく笑みを溢した。



 会計が終わり、二つに分けたビニール袋の軽い方を蘇芳が持ってゆっくりと歩く帰路の中。
 すでに空は茜色に染まっていて空気は乾いて少し涼しい。ビニールが擦れ合う軽い音が静かな道路に響いて、無言の帰り道も居心地の悪さは感じなかった。

「…あ………」

 甘い香りが漂ってきて、夕飯時だがそれとはまた違う匂いに蘇芳は目を凝らしてみる。
 すると古く小さな屋台が道路の端に鎮座しており、日に焼けて薄くなってしまった赤い旗が軽やかな微風に揺れている。

「たい焼き……」

 出来立ての生地はまだ湯気を出していて、餡子やクリームが入った胴体は少し膨れていた。
 小麦の香ばしい匂いが辺りに漂う。

「欲しいのか?」

 横を歩いていた黒はたい焼きをまじまじと見つめる蘇芳に問いかける。それに蘇芳は首を左右に振り「いらない」と小さく呟いた。

 小腹が減る時間。だが我慢できずに買って食べたら、きっと子供みたいと笑われる。甘いものを好むのも子供っぽい。
 だが、ちらりとたい焼きが目の端に飛び込むと食べたい衝動に駆られ、それでも我慢しようと目を固く閉じる。


「……これ、二つ」

 耳に入ったのは低い声。それに次いで少し年を感じるしわがれた声で「ありがとう」と一言。
 蘇芳は閉じていた目を開け、そこに映るのは売り子から小さな紙袋を貰う黒の姿。
 たい焼き二つ分の値段を小銭で払い、黒は無感情な濃紺の瞳をこちらへ向けて「行くぞ」と早足に行ってしまった。
 それに付いて行くため、小走りで黒の隣まで来ると蘇芳は長身の彼を見上げて目を細める。

「いらないって言った」

 黒は蘇芳の翡翠の瞳を横目で見ると、ひとつ溜め息をついた。

「別に……俺が食いたかった」

 小さな紙袋に手を突っ込み、黒は一つたい焼きを取り出した。
 涼しい外気の中でたい焼きはまだ湯気を放っており、指が食い込む柔かな生地からは甘い蜂蜜のような香りがする。
 黒がかぶり付くと、そこから白色のカスタードが溢れて甘いクリームの匂いが蘇芳の鼻にも届いた。

 溢れだすよだれを寸前のところで飲み込んで、黒の口に入っていくたい焼きを凝視する。

 すると蘇芳の目の前に小さな紙袋が持って来られ、そこからは小麦と蜂蜜の香りが溢れ出ていた。


「……食え」

 前を向いたままに黒は蘇芳に紙袋を差し出し、ぶっきらぼうにそう言う。
 蘇芳は若干驚いたように翡翠の瞳を丸くさせた。そして「いらない」と再度否定しようとしたのだが、紙袋の隙間から出る誘惑で無意識に首を縦に振る。

「ジュライには秘密だぞ」

「マオにも、ね」


 温かなな熱を溜め込んだ紙袋に蘇芳は手を入れて、残り一つのたい焼きを取り出した。
 鯛の頭からかぶり付くとほんのりと甘い餡子が口の中に広がる。
 茜に染まる地面に長い影を二つ作り、ゆっくりと帰る帰り道。
 たまにはこんなのもいいかな、なんて蘇芳は小さく微笑んで、手を温めるたい焼きを少しずつ大切にかじって食べていく。




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 ボルシチってウクライナだった気がしますが……まあいいや←
 私は頭から食べる派なのですが、「たい焼きは尻尾からだろうが」っていう方は大目に見てやってください。





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