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□金魚の眼
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 夕日に照らされる白い頬にはどんな表情も浮かんではいなかった。正面を見据える凶暴なまでの眼差しは、その瞳の色を問うことが不可能なほどに鋭く。ただ、その真正の無表情からつむがれた言葉は柔らかく、声音は母が子に語りかけるほどに優しかった。どういう意味か聞き返そうとして、いつもそこで目が覚める。夢。

 自称、生活していく上で必要なもの意外置いていない乱雑な部屋の中で、少年は目を閉じていた。白い無地のタンクトップに、丈の合わぬだらしないジーンズの姿。その首にはドックタグが3枚ぶら下がっていた。少年が身じろぐたびに小さな金属同士がぶつかる音を立てては静寂にかき消されていく。少年の部屋は独りで住むにしてはやや広い。部屋が二つあり、今少年がソファを占拠している部屋にはモニターの割れたブラウン管のテレビ、やや旧型ではあるが役割は果たしている音楽再生機器、雑多なモノで溢れかえっている机、サイドテーブル、古ぼけたソファ、雑誌等々。綺麗な部屋とは言いがたいものである。もう一方の部屋には、2段ベッドがひとつ置いてあり、折りたたみ式のベッドが折りたたんだ状態で窓際に放置されている。ベランダにはいくつかのハンガーとピンがあるばかりで、他には何もなかった。ベッドルームで最も印象的なのは、ほんの少しのハードカバーの本が納められている背の低い本棚の上に、水槽が置いてあることだった。少しの水草と、2匹の金魚。そして数匹のタニシが這っている。それだけの水槽である。2匹の金魚はヒラヒラと水の中を誰に見せるでもなく泳いで見せながら、水面を揺らしている。少年は立ち上がってキッチンへ歩いていった。キッチンは独立している。ここは他の部屋に比べて綺麗だった。綺麗だというよりものが無い。さらさらと音を立てる程度しか米は無く、ジャガイモなどの根菜が少し、葉物の野菜などは無い。冷蔵庫を開ければそこはがらんとしており、少しの飲み物とバターやチーズといった乳製品、ベーコンの切れ端、固形のコンソメの欠片、そしてひとつだけポツンとプリンが入っていた。少年はしばらく躊躇った後そのプリンを手にとって古くなって鉛色のさらにくすんだような色のスプーンを持って先ほどのソファまで戻っていった。
「プリン、食べちゃうよ」
 少年はソファで前を見据えたまま膝にプリンを乗せて右手の指でスプーンをもてあそびながらそう声をかけた。
「好きにしろ」
 寝室の方からくぐもった低い声で間をおかず返事があると、少年はプリンを開けながらどうしようもないくらい嬉しそうに笑った。

 2匹の金魚のうちの1匹の背中に小さなイボが出来た。そのイボは見る見る大きくなったように思う。今は種類の違う金魚みたいに背中に大きな瘤を背負っている。瘤がだんだん白くなって、真っ黒で大きい目にも白い斑点が出てくるようになった。瘤が重いのか、それとも目が曇ってしまったのか、その1匹は一日中ほとんど動かずじっとしている。少年はその金魚をじっと眺めるのが好きだった。最近は一日のほとんどの時間をそうやってすごしている。外に出るのは買い物に行くときだけだ。
「動かなくなった」
「金魚?」
「うん、でも、生きてるよ」
「そうか」
くぐもった声はだんだん重苦しくなってくるので、その辺で少年は無駄口をつぐむ。そして黙って金魚を見つめる。じっと動かない灰色の曇った金魚の瞳が、ぎょろりと少年を見つめ返している。そして怖くなって、少年はソファに逃げるのだ。
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