いろいろ
□指切リ
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世界がぐにゃり、と歪んだ気がした
「・・・っ」
バランスを崩す身体を支えようと、机に手をつく。
その衝撃で書類はバラバラと音を立てて雪崩を起こし、冷めた緑茶の残る湯呑を倒した。
「・・・あーあ・・・」
いっそ自分が倒れていた方が良かったのではないだろうか・・・
今の僕には水分で滲んだインクを恨めしそうに見る事しか出来なかった。
「顔、死んでんぞ」
と、言われた話は置いておいて。
とりあえずこのままだと作業が進まないと考え、使い物にならなくなってしまった書類の再発行を頼みに各隊舎へと足を運ぶ。
この忙しい時期だ。
当然、足取りも軽いわけがなかった。
それでも皆表面上か本心か、快く引き受けてくれた。
何だか気味の悪い反応だったが、頼んでいる身なのでそれ以上はこちらも何も言わなかった。
あとはここ、九番隊だけ。
「失礼します・・・三番隊副隊長吉良イヅルです」
おー、と心の篭っていない返答を聞き、執務室の扉を開けた。
「悪ぃ、ちょっと待ってくれ」
あとちょっとだから、と書類から顔を上げることなく言われ、仕方なくソファに腰掛ける。
そういえば、ここに来るのは随分とご無沙汰だった。
どのくらい足を運んでいなかっただろうか。
最近、忙しかったからな・・・
「待たせたな、で何?」
現れた顔は、先程の書類と睨めっこしていた時とは違う柔らかな表情だった。
「申し訳ないんですけど・・・」
本当はこの人にはお願いしたくなかったな・・・と思いながらももののそのままにしておくわけにもいかず、これまでの経緯を説明し、頭を下げた。
「その件は了解。それよりオマエ・・・」
そこまでいうと妙な距離感で僕の顔を覗き込む。
そして、あの発言に戻るわけだ。
「心配しなくても僕らはもう死んでますよ」
「ちげぇよ、馬鹿野郎」
青い顔しやがって、と目の前で溜息を吐く。
「いや、あの・・・そっくりそのままお返ししますよ、それ」
「な・・・」
「聞こえませんでした?檜佐木さんこそ青いですよっていったんです」
この野郎、人が折角心配してやってんのに・・・といわんばかりに皺を寄せる。
悪い目付きが更に悪くなる。
「・・・俺は色白なんだよ」
「肌でいうなら僕の方が色白です」
「馬鹿野郎、そういう事言ってんじゃねぇだろ」
「言い出したのそっちじゃないですか」
だぁっ、と溜息に声を混じらせ頭を抱えソファに腰掛ける。
「吉良、オマエきちんと休んでんのか?」
「・・・それもそのままお返しします」
「・・・面倒くせぇ奴だな」
「性分ですので」
違いねぇと笑う檜佐木さんを見ていると、何だか少し安心した。
この人は昔から変わらない。
口が悪くて、柄も悪い。
でも、いつも周りに気を配っていて、正直自分の事は二の次だ。
だから、書類の事にしたって確実に引き受けてくれるとわかっていた。
わかっていたからこそ頼みたくなかったのだ。
この人は、優しすぎる。
「で、飯は食ってんのか?」
「・・・まぁ」
「嘘だな」
「・・・」
「寝れてんのか?」
「・・・まぁ」
「・・・駄目じゃねぇかよ」
何度目かは詳しくは覚えていないが、確実に"僕の為"に吐き出した溜息が妙に耳に残った。
「・・・そりゃ、休めませんよ・・」
「吉良?」
思わずそう零してしまった口を手で慌てて塞ぎ、地面を見つめた。
無意識に手が震える。
「・・・隊長、いなくなっちゃいましたし」
元来あの人・・・市丸隊長は仕事をするほうではなかった。
だからいなくなったからといって別段仕事量が急激に増えたわけではないけれど。
でも。
「檜佐木さんなら・・・わかるでしょ?」
「・・・吉、良・・」
「アナタだって、青い顔して、無理して笑って・・・そうせざるを得ないことくらい、わかるでしょ?」
ぽっかりと穴が開いた姿は、まるで己があの虚のようで。
肉体は存在するのに、心はどこか別の場所に置いてきてしまったかのようで。
あぁ、僕は裏切られたんだ。
置いていかれたんだ、って。
そんな風に突き放そうとしてみたけど、やっぱりあまりにも大きすぎた存在で。
大切な人を失うとは、
こういうことなのだ。
「僕、元々愛想は悪いほうなんで」
本当は、僕はこれでいいんですって言いたかったけど、それだとまた檜佐木さんが辛そうな顔をするから止めた。
膝の上で握る掌に爪が食い込む。
自然と痛みは感じなかった。