log

□Short1
1ページ/1ページ

来てくれたの、と彼女は少し驚いたように言って、来客である俺に向けてスリッパを並べてくれた。
玄関からリビングをつなぐ細い廊下の壁には、クレヨンで描いた色とりどりの絵が飾ってあった。大きな画用紙とでも思ったのだろうか、いくつかの落書きは直にその白い壁に散らばっていた。
子は親に似るとはよく言ったもので、このやんちゃぶりでは彼女も手を焼いていることだろう。


彼女に続いてリビングへ入ると、膝を抱えてテレビを見ている小さな背中がこちらを振り返った。

「ママ、誰かきたの」

屈むようにして彼女の背中に隠れていた俺は顔を出して片手を上げた。

「よお、元気だったか?」
「あきらくん!」

弾かれたように駆け出すと、俺の膝辺りに顔を埋めてしがみついてきた。
ねえ、あきらくんどうしたの、ねえ、どうしたの、と30回くらい繰り返して、「今日ね、ぼくママとケーキ買ってきたの、あきらくんも一緒に食べようね」と小さな手で俺の腕を掴んでめちゃくちゃに振り回す。
抱き上げると、うれしそうな笑い声を上げた。


「おまえ、ちょっと見ねー間にずいぶんとデカくなったんじゃねえの」
「そうだよ、ぼくもう4才だもん。ウルトラマンだもん」
「ウルトラマンなら、くすぐられてもへっちゃらだよなあ?」


甲高い笑い声が部屋いっぱいに響く。俺、ガキなんか嫌いなはずなのになあ。冷静な自分が飽きれ気味に頭をかいていた。


「あきらくんもケーキにする?
コーヒーゼリーもあるよ」
「俺のはいいよ、急に来たのは俺の方なんだし」
「ううん、ありがとう。あきらくんに祝ってもらえるなんてこの子もすごく嬉しいと思う」

「あきらくん肩車してー!」


こいつが俺に懐くのは寂しいからなのか。
ガキが嫌いなのに、優しくする俺はあいつに対する優越感に浸りたいんだろうか。
俺はまだここにいる、おまえはもういない。同じ未来を約束したはずの彼女をおまえは置いてった。
おまえを惜しむ人は世界中にたくさんいただろうけど、世界中で一番悲しんだ人を、俺は、知っている。


「あきらくん、ぼくね絵かいたんだよ。見せてあげる!肩車もういい!」

言われるがままに肩から下ろしてやると、ちゃんとそこにいてね、と念押しして裸足の小さな足音が廊下に消えた。


「俺、あいつにプレゼントもってきた」
「ありがとう。あきらくんから貰えばきっと喜ぶよ」

「おまえは、喜ばないかも」


俺は床の上に転がっているおもちゃを拾い上げた。丸いスイッチを押すと気の抜けた音が鳴り響いた。ばかだなあ、こんなのでウルトラマンにはなれないんだぜ。ガキは単純でいいよな。
鼻で笑ったら、テレビの横に置かれた写真と目があった。そうだよな、おまえの子どもなら尚更だ。


「あいつにサッカーボールやったら怒る?」


彼女がテーブルに置いたマグカップが音を立てる。
そっと目を閉じて、ゆっくりと息を吐くのがわかった。


「あの子のね、左目のところ、うっすらとだけど黒子があるの。笑っちゃうでしょ?
それ見たら、もう仕方ないなあって。
あの人もきっと今のあきらくんと同じことを思うよ。」

そう言い切った彼女の眼差しに、迷いはなかった。


「ママー、ぼくの絵がないー!」


べそをかく声が、聞こえた。
それを追うように、彼女はリビングを出ていった。


おまえはずるいよ、藤代。
置いてったんじゃない。連れてったんだ、彼女の心を。誰にも持って行かれないように。隙がねえよなあ。それはもういっそ、憎らしいほど。

写真の中のあいつは、彼女の肩を抱いて笑っていた。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ