何でも辞典

【き】 4件

【皇后宮 (きさいのみや)】

天皇の妻を指す。
ほぼ同位に中宮があるが、現在は中宮の称号を廃し、皇后の称号が天皇の妻の呼称である。

古く、天皇の妻妾を「きさい」と呼び、その筆頭にあった「きさき」を「おおきさき」とよんだ。
これが現在の皇后である。


大宝律令によると、皇后の一段下の妃の資格が「四品以上の内親王」とされることから、皇后も当然内親王であったとされるが、
その規定も時代と共に変遷し、皇族よりも藤原氏のほうが皇后の出身氏族として尊重されるようになった。


元は定員一名だったが、一条天皇が藤原定子を皇后に冊立する際、既に先帝の皇后・藤原遵子が在位していたにも関わらず、
先帝の皇后と今上の皇后は並立できるものして、皇后の並立が強行されて以来、同時にニ人まで冊立可能になる。
定子と遵子を区別するため、遵子には皇后宮職の「皇后宮」とし、定子には中宮職の「中宮」とした。
さらに、藤原道長の一女・彰子(女御だった)立后に際して、定子を「皇后宮」、彰子を「中宮」とするニ后並立がなる。


後年、皇后は必ずしも天皇の妻ではなく、母の出自が低い天皇や皇太子の仮の母(准母)として、内親王などがその号を賜る例もあり、
藤原定子から江戸時代までは、「皇后」よりも「中宮」の方が、天皇の正妻としての意味が濃く取られがちである。


【希望 (きぼう)】
文字通り、望みのこと。
それも、明るく、自分にとって有益な望み。

こうなったらいいな、ああなったらいいなという自己の強い望み。

希望があるからこそ、人は頑張れる。

たとえ希望がなくても、「きっと大丈夫」という希望を持つことで、人は立ち上がれるのでは。


【桐壷 (きりつぼ)】

京都御所・内裏における後宮の一舎、淑景舎の別称。
壷(中庭)に霧が植えられていたことによる。
淑景北舎が服属し、天皇の御座所・清涼殿からは最もとおく離れており、
位の低い納言家の姫である更衣などが住んだ。


紫式部著、「源氏物語」の巻名のひとつ。
第一巻で、源氏の父・桐壷帝と母。桐壷の更衣との恋、源氏の誕生から更衣の死と、源氏の元服、臣籍降下、葵の上との結婚、藤壺の宮の入内までが描かれている。

巻名の由来は、母が居た局から。


【桐壷 (きりつぼ)】

京都御所、内裏における後宮の一舎、淑景舎のこと。
淑景北舎が服属し、天皇の御座所、清涼殿からは一番離れているため、位の低い更衣などが住んだ。



紫式部著、「源氏物語」の中の登場人物で、
主人公・光源氏の実母。


父は亡き大納言、母は北ノ方。
早くに父を亡くしたために後ろ盾が無く、天皇の妃として一番位の低い更衣の地位にありながら、
若宮を産んだ弘徽殿の女御よりも天皇の寵愛を一身に受けた。


その低い身分のために、高位の女御や他の更衣に嫉妬され、
扉を締め切られたり、彼女が通る廊下に汚物を撒かれたりと
陰湿ないじめを受けた。

見兼ねた桐壷帝の計らいにより、天皇の御座所・清涼殿の真隣りの後涼殿に移るが、始めそこにいた女御に嫉妬されてしまう。


そのためか、病気がちになり、度々宿下がりをするようになる。


やがて、桐壷はのちの光源氏を産むが、
若宮を産んだことでより一層妃たちのいじめは壮絶なものとなる。


そんな日々が続き、幼い光源氏を遺して亡くなる。



光源氏にとって、母・桐壷はやはり特別な存在らしく、
母の面影を醸す父の妃の一人、藤壷を母と慕い、いつしか一人の女性として恋慕する。

また、藤壷の姪であり、彼女によく似た若紫……のちの紫の上を引き取り、
養育したのちに、正妻として迎えている。



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