何でも辞典

【お】 5件

【花魁 (おいらん)】

「花魁」とは、江戸の吉原遊郭における高位の遊女の事。
また、現代では遊女そのものを挿すこともある。


花魁は、吉原で最も格の高い遊女で張り店を行わないので、
客は引手茶屋という茶屋を通して「呼び出し」をしなければならなかった。
その事から、初期の花魁の格にいた「昼三」の遊女を「呼び出し昼三」等と呼んだりもする。

客に呼び出された花魁は、
妹分である禿や振袖新造を従え、遊女屋と揚屋・引手茶屋の間を行き来する。
これを、「おいらん道中」という。


花魁は教養も必要とされ、
花魁候補の禿は、幼少の頃から徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれていた。


花魁を揚げる(買う)には莫大な費用が要り、
一般庶民にはなかなか手が出せなかった。

人気の花魁は浮世絵に描かれることもあった。


花魁は「伊達兵庫」と言う髪型をし、
これは花嫁の髪型として知られる「文金島田」を左右に引っ張って伸ばして形作る。

前髪や髱に鼈甲で出来た松葉や琴柱などをかたどった簪や、珊瑚の玉簪を挿した。

また、最高位の花魁は、髷の後ろに揚巻を結んだ。


【鴛鴦・雌(髪型) (おしどりめすかみがた)】
日本髪の一種。

江戸風は唐人髷に橋の毛を掛けたものである。
対象年齢層は裕福な町屋の10代中ごろの少女。

京風は島田髷系統の髷である。
結綿に油付きの橋の毛を掛けたもの。
対象年齢層は婚約を済ました町屋の娘。

江戸風に比べて京風の方が対象年齢が高い。
髷の印象も江戸風の方がコロンとしていて可愛らしい。


イラストは舞妓のもののため京風。
飾りも少し派手めである。


【おふく (おふく)】
日本髪の一種で、現在では京との舞妓の髪型の一つとして結われている。


もともと少女の髷としてゆわれていた。
吹髷とも。


見た目が異なるものの、京都の嶋原太夫に結われているものも、おふくの一種。


勝山髷系統で、吹輪から派生した髷。
はじめ、大奥に仕えた若い見習いの女中に結われていたが、
民間に広まったことでアレンジされて、現在の舞妓に結われている。


主に舞妓さんの髪型としては、
舞妓になってある程度の年数を経て、
置屋のおかあさんの許しを得て初めて結うことが許される。

大人に近づき、可愛らしい割れしのぶが合わなくなった頃に、
おふくに「髷替え」をする。

おふくになると、正月や節分、八作の時には「奴島田」、
祇園祭の時には「勝山」に結い変え、
さらに「おしゅん」、「お染」、「おしどり」などの
髷を結うことができるようになる。


割れしのぶには「ありまち鹿の子」という赤い絞りの縮緬を使って髷の上下の割れ目から見せるが、
おふくは銀箔を押した赤い縮緬を髷の下部分に留める。

この縮緬には、白っぽいピンク色もある様子。


【女 (おんな)】
女に生まれ、女として生きているが、とても謎の多い生き物だ。

特に感情面。
恋愛だの、結婚だの、やたらそういうことに興味があるらしい。
学校の休み時間は、友達と恋バナで盛り上がる(→それが理解できない女)。

しかし、実際、女は愛に一途だと思う。
恋多き女といわれる女性も多いが、そんな女性たちでも、愛には一途に違いない。

愛する男のためなら何でもする、という女性の考えや想いは分からずでもないし、愛する人との子なら、これ以上ないほどに可愛がる。

女にとっての幸せは、愛する人と添い遂げ、貞操を堅く守ること。
女にとっての喜びは、愛する人の子を授かること。
女にとっての誉れは、愛する人との子が、立派に成長すること。

女にとっての生きがいは、愛する人との子を惜しみない愛をもって、育てること。


【女三宮 (おんなさんのみや)】
紫式部著、「源氏物語」の中の登場人物で、
主人公、光源氏の三人目の正妻であり、
源氏の三歳上の異母兄・朱雀帝の第三皇女。


光源氏の姪であり、二品内親王。
母は藤壺中宮の異母妹・藤壺女御。

出家することになった朱雀院が、
まだ幼い女三宮に後見もいないことを憂い、
准太上天皇となっていた弟・源氏へ降嫁させた。

源氏は正妻格に最愛の紫の上があり、
初め断ったが、兄に逆らえず、
彼女を正妻として六条院春の町の寝殿に迎えた。


結局は、源氏も内親王の称号を持つ女性を手に入れることと、
紫の上と同じく紫のゆかりであることに魅かれて結婚を承諾した。

しかし父に溺愛されて育ったためか、
源氏は彼女の幼さに失望し、
ますます紫の上への愛を増した。


彼女に恋慕していた頭中将(内大臣)の子、柏木との強引な逢瀬で、
不義の子・薫を産んだことで成長。

更に、柏木との仲に気付いた夫の態度に耐えられなくなった彼女は、
父・朱雀院に乞うて出家する。

尼となった彼女を源氏はその若さ故に惜しんだが、
彼女は夫を無視した。

源氏没後は六条院を出て、
父に譲られた三条宮で余生を送った。


子育てに見向きもせず、
仏道をゆく彼女の姿は実子・薫にも影響し、
薫が成長してからは親のように頼りにした。



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