夜の本

□明石と妖
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いいか、森へ行ってもぬるぬるさんには絶対に近付くな。

ぬるぬるさんは寂しがりだ。

目があったら憑かれるぞ。

ほったらかしたら増えて手に負えんくなる。

いいか、絶対に近付くんじゃないぞ…。



子供の頃、親にきつく言われた言葉。
それも大人になり、忙しさに追われれば覚えている余裕もなくなるものだ。

故に、これは招いてしまった悲劇。
ある種の喜劇。
行く行くは惨劇になるのだろう。

「痛…っ!!」

用事で実家へと帰省中の青年、明石は森で奇妙な生き物にまとわりつかれ、その場に転ぶ羽目になった。


地に手をつき、身をおこし、土を払ってからウェーブのかかった中途半端に長い髪の乱れを正す。
左側に泣き黒子のある、どこか不健康めいた印象の彼の眼差しは、忌々しげに足元へとまとわりついた厄介者へとむけられた。

足に絡みついたのは、他のどの生き物とも一致しない奇妙なものだ。山椒魚のような、いやうなぎだろうか、ぬめぬめとした質感で、杭のような形をしていた。胴回りはおよそ一尺(約30センチ)程である。そして中心に山吹色の目玉のようなものがふたつ。
その特徴に、明石は都会で聞いた話を思い出した。
実家に戻って来たとはいえ、皮肉なことに故郷の思い出はほとんどなく、親が耳が痛くなるほど言って聞かせたことはとうに忘却してしまった上で。

「ははぁ、さてはあれだな?」

かじった知識にすぎないが、確かこの特徴は昔…
体についた油を人にまとわりつかせた妖怪変化だと思った。
海坊主の一種だったか…妖怪の存在には驚いたが、事実疲れても居ないのにそんなものが見えるのだ、認める他無い。
第一油だ。毒でも無い。さしたる害も無いんじゃあないか。

確か、ぬるぬる坊主などと呼ぶ場合もあったような…どこか滑稽な名が記憶の片隅に引っかかる。しかし明石は親の忠告をすっかり忘却していた為にそれ以上気にすることはなかった。

せいぜい怪談本で面白可笑しく得た知識のぬるぬる坊主と、この妖怪は全くの別物であることが分かれば、これから起こる悲劇は回避出来たかもしれないというのに。

「わかったわかった、油が厭なのだろう。だが私にはどうしようも無いから早くどこかへ行ってくれ」

粘つく油が不快でならず軽くあしらおうとした。
尚もまとわりつくそれに 苛立ち、睨み  

目があった。


そして…木の上から沢山のそれらが明石にぼたぼたと降り注ぎ…今に、至る
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