book御題

□10.みずたまり
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「雨の日は憂鬱になるなぁ」



「どうしたんですかィ近藤さん・・・いつもの元気がありやせんよ」



「総悟だって元気ないじゃないか」



「雨の日はどうも嫌なことばっかり考えて・・・」



「俺もだ、総悟。しかも今は梅雨真っ盛りだからな、暑苦しくて練習どころじゃないな」



「ですね・・・」



「俺は例え暑くてもジメっとしててもお妙さんが好きだけどな」



部活の休憩時間に、冷たい烏龍茶をガバガバと飲みながら近藤さんは言った。



近藤さんは随分前からお妙さんのことが好きだが、彼女のどこがいいのかさっぱりわからない。



暴言を吐くわ態度は横柄だわ・・・何をとっても凶暴しかねェってのに。



「俺はお妙さんが好きなのに、なんで振り向いてくれないんだ・・・」



「近藤さんが変態のストーカーだからですよ」



「いや、ストーカーじゃないし」



「変態は否定しないんですかィ?」



近藤さんは涙を浮かべた。



「総悟は好きな奴とかいないのか」




そう聞かれて、一層憂鬱な気分になった。




今はその話はしたくない。




「別に」



「最近結構ボヤっとしてることが多いし、そうなんだろう?いるんだろう?」



「いやせんよ」




お願いでさァ。




「今は、その話は勘弁してくだせェ」



「おお?なんだ、お前にしちゃ謙虚じゃないか」



「・・・そんなんじゃねぇです」




「それほど本気ってことだな?」




「だからそんなんじゃねェんです!!」



大声で言うと、近藤さんを始め道場にいた奴らはしん、と静まった。




近藤さんは何かにハッと気がついて押し黙った。



土方さんが近寄ってくるなり竹刀を振り下ろした。



それを竹刀で受け止める。




「どうした、総悟。むしゃくしゃしてるじゃねぇか。相手になってやる」




「そんな気分じゃねェんです」



ぎろり、と土方さんを睨む。



「なんだ、腰抜けか」



「生憎俺ァ今機嫌が悪ィんだ」



土方さんの竹刀を押しのけ防具を外した。



「おい待て総悟」



肩を掴まれたが、近藤さんが土方さんを制した。


「ちょ、近藤さん」


「トシ、いいから。総悟、長くいたら風邪ひくからな。早く戻ってこいよ」



近藤さんは俺の背中に言った。







*





校舎の裏手で、空を眺めた。




誰もいない場所で、どんよりとした空から降ってくる雨。





立って手を伸ばしてみれば、開いた指の隙間から雨が顔に落ちて、頬を伝っていく。




雨の日は、気分が憂鬱になる。




普段思わないことを考えてしまう。




俺には姉上がいる。




だけど今は一緒に住んじゃいねェ。




両親もいないたった二人の家族なのに、なんで一緒に暮らしていないかとよく聞かれる。




それは単純で、姉上は既に結婚して家庭を築いているからだ。




当初結婚したときは、俺は姉上と一緒に暮らすつもりだったけど、新婚の家に居座ることは、旦那にとっちゃ俺は邪魔な存在でしかねェ。




それでなくとも、俺は初めから姉上達と暮らす気など毛頭なかった。




家族になるということが、不安に思えたんだ。




「姉上とだけなら、一緒に居たかったんだけどな・・・」




なんで結婚なんかしたんだよ。




足元に溜まっていく水溜りを蹴った。





かつては他の奴らと同じように両親がいた。





父親の記憶はまったくない。




でも、うんと小さい頃、母親と一緒に雨の中、手を繋いで歩いた記憶がある。




黄色い長靴を履いて、同じく黄色い合羽を着て、母親の手に引かれて歩いた。





記憶の中じゃ、母親の手は細くて、ざらざらしていた。




俺と姉上の二人を養うために、親一人で仕事をしていたから、手だけじゃなく、顔も少しやつれていた気がする。





毎日食べていたご飯、毎日着ていた洋服、我が儘言って買ってもらったお菓子、戦隊物のおもちゃ、成長していく体。




全部、磨り減っていく母親の命と引き換えに手に入れたものだった。




俺の母親は、安い賃金でいくつもの仕事をこなしていた挙句、




その仕事のやり過ぎで、死んだ。




働くという生活を、生活という人間の営みを、何もできない幼い俺の代わりに母親が紡いでいたからだ。




雨の日はいつも思い出す。




母親と手を繋いで歩いた日を。




俺の手を引いて、楽しそうに笑う母親の顔を。




晴れの日よりも、雨の日のほうが、その何倍も楽しかった。




母親と手を繋いで歩いた記憶が、





たくさん、





俺の中に水溜りを作っていく。





溜まった水溜りは、俺の中から少しも蒸発していかない。




ずっと、溜まっていく。




水溜りでいっぱいになっても、




俺の中に新たな空間を作って、




それを削って、削って、磨り減らして




そこにまた水が溜まっていく。




いつしか水溜りは母親の記憶ではなくて




罪悪感として溜まっていった。




母親との記憶は、いつから罪悪感に支配されるようになったんだろうか。






俺は、このまま生きていていいんだろうか。





誰かの為に自分の身を犠牲にすることができるのだろうか。




母親のように、




生きる為に死んでいくのだろうか。





雨の日は気分が憂鬱になる。





手を繋いだ温かい日を思い出すから。




10.みずたまり


温もりを失った母親の頬に当たる、


冷たい雨を思い出すから。






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