03/20の日記
08:36
ブツブツ独り言
---------------
ああああ
そうか
なんかピンと来た
私が成功したくない、努力したくない、前にすすみたくないのは
多分五割くらい、親の喜ぶ顔が見たくないからだ
苦しませたいんだ
それに一旦喜ばせるようなことして、次失敗すると三倍怒られるから
勝手に期待するくせに、その期待が裏切られたとかなんとか言って怒ってることが多々あった
やっぱり許せないんだよ
これは、自分を犠牲にした
緩やかな復讐なんだ
じゃあ親が自分のしたこと認めて謝ってくれたら
少しは楽になるのかなぁ…
結局、周りの友達も担任もどうしてそこまで親を憎むのかわからないって顔したままだったな
むしろみんな信じてないんだろう
そりゃそうだよな
学園祭だって差し入れ持ってきてくれたし
卒業式も至って普通だったし
今の親見てると自分でも信じられなくなるくらいだし
仕方ないよ
逆に私が必要以上に冷たくあしらってるように見えるんだろうな
反抗期的な(苦笑)
なんか、特に担任、
あれだけ話してもまだわかんないんだよなぁ…
いくら手が震えてくるの我慢して嫌なこと思い出して話しても、出来事として゛つらかった゛ということは理解できても、その時の感情までは想像できないんだろう
多分、人を恨んだり憎んだりした経験もないんだろう
人にボッコボコに殴られたことも、精神的にギタンギタンにされたこともないんだろう
普通に生きてきた人ってやっぱり想像できないもんなのかなぁ…
話すだけエネルギーの無駄だったかも
ふとした拍子に出てくる過去ならストレス発散になるけど
改めて思い出して話すってのは、相当消耗する
その消耗して話した後の反応がアレだったりすると、凄い虚しくなる
やっぱりsちゃんの言う通り、他人を理解するなんて不可能なんだよね
あれじゃ「担任しねばいいのに^p^」って言われるのも無理ないかも…
一部でもいいから理解してほしいと思ってしまう私が間違ってんだけど、それは止めようがない欲求で
sちゃんみたくもっとクールにバッサリ切ることができたら
もう少し楽になるのかなぁ
今まで誰かにわかってほしくていろんな人に話してきた
でも返ってくるのはみんな半信半疑だったり、全面的に信じてなくて「それはあなたがそれだけのことしたからでしょ」「子供を愛さない親なんていない、それは愛してるから叩くんだ」とか(苦笑)
叩くんじゃなくて殴られるって言ってる意味がわからないんだろな。笑える
この20年で、全部手放しで信じてくれたのは学年主任のN江さんだけ
「お前は悪くない、環境が悪かった」ってハッキリ言ってくれたのもN江だけ
カウンセラーだって医者だって半信半疑なくらいだし
なかなか言えない一言だよね
信じるか信じないかなんて、ホント一瞬の判断で、その一瞬で全部を信じる決断ができる人はそうそういないんじゃないかな
最早尊敬の域だわ
担任でもないのにどの先生よりもお世話になった気がする(笑)
まぁ例え20年に一人でも
わかってくれる人はいるわけだから
多分、これからも私は話し続けるんだろう
つか話さざるを得ない(苦笑)
前へ|次へ
□ コメントを書く
□ 日記を書き直す
□ この日記を削除
[戻る]