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□誘蛾灯
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『誘蛾灯』(ゆうがとう)  
夜間、害虫を光で誘き寄せ、水に溺れさせて殺す装置である。









空がトマト色を通り越して衣替え
をする頃、俺は高校からの帰り道をゆっくりと歩いていた。いつもと全く同じ道で、全く同じ時間帯だった。
人込みが当たり前のこの東京の都心部で、たかだか一人の人間を気にかける奴はいない。

勿論、俺も例外ではない。

しかし、その日だけは違った。
俺は見つけてしまったのだ。

『彼』を。



第一印象は「綺麗」。
それだけだった。いや、勿論男にしては背が低いな、とか、睫毛が長いな、とか、全体の色素が薄いなぁ、とかかんとか、思った。
けれど、それは彼を見てから何分か経った後の事である。

見た瞬間は実際、何も考えられなかった。
まるでフランスか何処かの教会やら何やらにある絵画の、『聖人』の様だった。

無垢で、純真そうで、彼の周りだけ、何故か穏やかな時間が流れているように見えた。



そして俺は、その名も知らない絵画の聖人の虜になってしまった。




それから帰り道の度に、俺は彼を探した。
制服を着ていたから何処の学校かはわかったが、勿論違う学校なので見かける日と、見かけない日があった。

初めの内は、その綺麗な姿を見るだけでよかった。―――まるで同年代の女子のようだが。
しかし彼と話したかった。
いつも見える横顔ではなく、素顔を見たい。微笑を見たい。

すぐに俺は話し掛けた。
最初は彼も驚いていたが、すぐに打ち解けた。
初めて見た素顔は、思ったとおり、横顔と同様、美しかった。

彼は美しいが故に、俺と同じ考えを持つ人間は沢山いた。

彼自身は気づいてなかったようだが、仲良くなるにつれ、彼の周りとも話をするようになったのだが、その彼らから悪意やら何やらがヒシヒシと伝わってきた。勿論、その『悪意やら何やら』は、俺も持っていたのだが。

俺は彼の特別になりたかった。

本当の『特別』に――――。





俺はいつもの通り、彼を待っていた。
不意にジジッと音がした。
何かが感電したような音だ。
音がした方を見ると、そこには『誘蛾灯』があった。どうやら虫が見事に掴まり、殺されたらしい。
何を感じるでもなく、それをじっと俺は観察し始めた。
殺されるとも知らず面白い事に、害虫達は誘蛾灯の淡い光に誘われ続けていた。
眼の前で何匹もの仲間が死んでいっているというのに、何故気づかないのか不思議である。
だが、面白いと思っていたこれが、不意に恐ろしく感じた。

まるで、『彼』と『俺』のようではないか――――?

しかしその思考は、少し遅れてきた彼の声で遮断された。










日が経つにつれて、俺の欲望は段々と膨れ上がっていった。

――――――足りない。

まるで、金魚が水を求めるが如く、俺は彼を欲した。
心の中で、溢れんばかりの気持ちが黒く、どす黒く渦巻いて、俺を蝕んでいく。

―――――彼が欲しい。

彼は誘蛾灯で、俺は害虫。
誘蛾灯の周りには俺以外の沢山の害虫が吸い寄せられている。
俺だけのものにしたかった。俺だけに心を開き、俺だけを引き寄せる『誘蛾灯』に。




俺は彼に気持ちを伝える事にした。
それが非常識だという事は当然、理解しての事だった。だが、彼を見たあの日から、常識など当の昔に置き忘れてしまったのだ。
それに、俺には確信があった。
彼も俺を愛している、と。
その自信、いや、確信がどこからくるのかは解らなかった。
普段でも確かに、自己を過剰評価している気はするが、自惚れする程ではなかったのに。
その時だけは、確信していた。

「愛している。」

主人の性格を現しているかのように整理整頓された彼の部屋で、彼の少し茶色がかった瞳をじっと見つめながら言葉にした。一瞬、大きく見開いた瞳はうっすらと細くなり、微笑んだ。

「僕もだよ。」


その微笑が欲しかった。
その言葉が欲しかった。


『我を忘れる』。まさにその言葉がピッタリとあった。

俺は彼を引き寄せるといきなり口づけた。

「んっ・・・ふ・・・」

苦しげな声が聞こえた。
それが俺の雄としての官能を、いや本能を呼び起こした。

まるで水が滴るような音が部屋中に響いた。

中心から少し外れた郊外は静かで、ただ愛し合う二人の戸息が非常に大きく感じる。
俺達は「愛している。」そう言うだけでお互いを求め合った。







『幸福』だった。
永遠にそれが続くと思った。
終わりのない、終止など一切来ない幸せな『永遠』が。







しかし、それは唐突に訪れた。
そう、突然なのだ。予期などしていない。否、できなかったのに。

「・・・ごめんね・・?」

彼はいつもと同じように言った。優しい微笑を見せ、俺の頭をゆっくりと撫でながら。

『どうして?』

そう言おうとしたけれど、声にはならなかった。違う。出す事が出来なかった。
何故なら、俺の喉は赤く、深い赤い海に沈んでいたから。

だから、瞳だけで、彼が好きだと言ってくれた漆黒の瞳で、問う。
彼は哀れむような顔で、静かにその問いに答える。

「君は悪くないんだよ?全部僕がいけないんだ。それに僕は君を愛していたよ。本当に。」

『なら、どうして・・?』

「ただ・・・」

そこで一旦、彼は息をついた。そして不意に顔がとても苦しそうに歪む。

「君は違ったんだ。君は『彼』じゃなかった。」

『彼・・・?』

何の事を言っているのか解らない。ただ、本当にとても辛そうな顔になっている。

俺はお前の求めている人間じゃなかったのか?

そうか。俺は不意に気づく。


彼は誘蛾灯だ。
けれど、沢山の害虫の中からたった一匹。求めるものがあるんだ。
ずっと捜し求めているものが。
俺はそれじゃなかったのだ。

段々と俺は首から流れる赤い液体により意識を保っていられなくなる。目が霞み、美しい彼の顔が見えなくなる。

「・・・・ゆう・・き・・・。」

しゃがれた声で、俺は小さく彼の名前を呼んだ。

すると彼はハッと我に返ったように俺を見つめた。

けれど、その顔は直に見えなくなる。



暗い暗い、底の知れない冷たい暗さが俺を優しく包んでいく。


ただ、その片隅で、俺が見たであろう彼の一筋の涙と、そして俺の名前を呼ぶ彼の声が聞こえた気がした。         








END 



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