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□三世之縁(さんぜのえにし)・前半
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翔は何をすることもなく、縁側に座り、ただぼんやりと庭を見ていた。
夏の暑い日差しが、よれた白いワイシャツに反射する。その漆黒の瞳には、眼の前の瀟洒(ショウシャ)な風景が映し出されるだけだ。
心地よい爽やかな風が通り過ぎる。無造作に伸びた黒髪が踊る。白くはないが、焼けていない黄色の首筋がちらりと現れる。肌蹴た襟首や、半袖から覗く骨格の張った身体には、既に情事の痕は消え失せ、その上には新しい皮膚が形成されていた。
翔は、そっと瞳を閉じて、障子の淵にゆっくりと頭を預けた。
暗闇の中で感じるのは、五月蝿いほどの蝉の声に、近くの沢の流れる音。庭から繋がる林に聳える木々の、柔らかな葉のぶつかる音。湿った土に、青臭い緑の匂い。


しかし。
浮かぶ光景は、あの日の悲劇。
赤く染まる視界に、くず折れた男の身体。


穏やかだった翔の心は、ざわざわと騒ぎ出す。無意識に眉間に皺がより、手はぎしぎしと軋みそうなほど強く握られる。


肉を突き破る感覚に、
鈍い音。
小さく唸る声に、
流れ出る血飛沫。

事切れ、脱力した体に、
湿った土の匂い。
大きな石に、
白い骨達。


時が経てば経つほど、より鮮明に、強烈に、翔を蝕む。



解放されたはずの身体と心は、ただ呆然とした。
そして、束の間の安堵の後には、激情が。

憎かった。憎い。

全てを裏切った彼が。


乾いた重音が響いた。
高ぶった感情に支配され、翔の拳は障子戸を突き破っていた。
肩が大きく上下に揺れる。
翔は、高ぶったそれに促されるまま、叫ぼうとした。


「っ―――――!」


それは、声にはならなかった。

「っ、くっ…ぅ」

翔は、泣いた。頬をしとどに濡らし、小さく嗚咽を漏らし。
泣いた。
泣くしかなかった。泣く以外の術を持たなかった。

自由になりたいと願い、忘れられるはずの記憶は、一向に色褪せない。感情と共に、体を支配し続ける。心臓を鷲掴まれるような苦しさと痛みに襲われ、息ができないほどの感情に押しつぶされそうになるのだ。
それは止めることができなかった。理性で抑えられるものではなかった。


『翔…。よく、覚えておきなさい…。』

『人を……『憎い』者を殺すということが…どうい、う、こと、か…。死は…人を縛り付ける…深、く。とても、深く…。お前に、も…すぐに…解、る…さ…』

『じゆ、…になど…なれなぃ…』

修一郎の言葉が思い起こされる。

(俺は、)

(確かに)

(自由になれていない――。)

より一層、深く深く、縛られている。
縛り付けられている。

「っん――」

消えたはずの痕が甘く疼いた。

「ちくっ…しょ、ぅ…」

翔は呟く。

『…………愛しているよ…』

修一郎の言葉と共に、無意識に、指で唇に触れる。

『ショゥ、イ…ロウ…』

「――――!」

翔は、唇を噛み締めた。





憎い、憎い、憎い、にくい、
―――ニクイ?





ならば、この感情は、なんなのだろうか。









「俺は、『カケル』だ…」










解らなかった。










「俺は…っ」



『ショゥ、イ…ロウ…』



「カケルだ、よ…」









何がそんなに辛いのか、苦しいのか、悲しいのか、憎いのか。
この想いを止めるにはどうするべきなのか。


これを『憎悪』と呼んでよいのか。






全て、解らなかった。











●END●

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