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□三世之縁(さんぜのえにし)・前半
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遠くから、沢の音が、夏を知らせる蝉の鳴き声が、耳に届いた。

「…っぁ、は……んぅ、ぅ」

しかし、それはすぐに自分の声に掻き消された。
甘ったるい声だ。鼻から抜ける声。
両足を広げ、曝け出した局部には、翔のものではない男の固い一物が見え隠れしている。健康的な肌色も今では透き通るように白く、そこかしこに鬱血した痕がつけられ、まるで花びらが散らされているかのようだ。赤く鮮やかなものから、薄く消えてしまいそうなものまで様々だ。それは、その行為の月日を語っていた。
両手は後ろに縛られ、力なく横になる上半身と薄い布団に挟まれ、すでに感覚は薄れていた。翔は顔だけ横に向き瞼を閉じて、すべてをただ預けていた。
打つリズムが速くなり、鼓動が高鳴り、喘ぎ声は短い間隔で漏れ、一段と高く漏れたかと思うと、腹の内部に温かさを感じ、その熱に翔も果てた。
肩で息をしていると、ずるりとそれは体内から引き出され、その喪失感と安堵に息をつめた。
大きな手が、汗で張り付いた頬の前髪を退ける。無意識に翔はその手の主に視線を向けた。そこには、自分と同じようにうっすらと汗をかき、微笑を浮かべる父の顔があった。すぐに視線を逸らした。あの日から、半年前から、一度も真っ直ぐに見たことがない。見られるはずはなかった。
悔しさと、悲しさと、憎しみと。色々な感情が混ざり、翔は唇を噛み締め、瞳を潤ませた。

「翔…」

呼ばれる。

「…て、…よ」

「…翔?」

呼ばれる。

「やめてくれよ!!呼ばないでくれ!!!」

翔は叫んだ。四肢が張り裂けそうなほど、叫んだ。

「もぅ、やだ…もう、いやだぁ…」

翔は、今まで一度も行為以外で泣き叫ぶことはなかった。哀願をしたことはある。けれど、激流のように涙を流し、声を押し殺しもせずに、懇願することはなかった。
だが。
半年間、別宅に閉じ込められ、意味も解らず、ただ望まれるがまま足を開き、善がる日々。
終わりが見えぬ絶望に立たされ。
もう。
翔の心は傷だらけだったのだ。

「なん、で…っ、こ、な…こんな…っっ!…父…さ、ん…なの、にっ!!…俺は…男、で……っっ」

嗚咽を漏らし、悲痛な叫びを漏らす。
その様子を、問いかけられた本人は、無表情にも見える変わらぬ笑みで見つめ続けた。翔の言葉が途切れ、ただすすり泣く姿に視線を向けながら黙っていた父は、ゆっくりと口を開いた。

「私は、お前の父親ではないんだよ。」

すすり泣く音が、途切れた。

見開いた双眼が、動揺に揺れた。

「私は、お前の、翔の、本当の、父親では、ないんだ。」

相手の脳に、心に、捻じ込むように一字一句、はっきりと低く囁く。そして、退いたはずのその体を、翔の上に再び寄せて、長く関節の張った10本の指を、戸惑い動けないその首に巻きつけた。ぐっと力を入れる。

「っ―――!?」

親指が、気管を締め付ける。咄嗟にその手を退けようと手を動かすが、縛られているために自身の下で足掻くだけだった。恐怖に声も出ず、翔は震え、じっと父―――否、修一郎(シュウイチロウ)を見るだけだった。修一郎もまた、その視線を射抜き続けた。しかし、不意に指の力を緩めると、恍惚とした表情で呟いた。

「あの時に…そっくりだ。まるで、昔を見ているようだよ…、翔。」

熱いはずの夏の空気が、そこだけ冷えきり、その冷えた空気をいきなり吸ってしまい、翔はゲホゲホと噎せ、体を捩じらせた。その背中を上下に擦りながら、男は言った。










「そうだ、翔。」










「昔話をしてあげよう…。」










「お前の父親は」

「殺されたんだよ。」

「私に。」








翔は硬直した。









「…な、に……?」

「庭から続く林の奥に、大きな石がある。そこに、お前の父親は埋まっているよ。」

「…ころ、した……?うま…て?」

「そう…。こうやって…」


両の手が、伸びてくる。

「お前とそっくりの怯えた瞳を、向けて…」

先ほど締められた感触がじわじわと蘇る。再び、その指先が首筋を捕らえた。




「やめろぉおおおおおぉぉぉおっっ!!!!!」




動かせる足をむちゃくちゃに動かし、かぶりを振り、髪を振り乱して、体全体で拒絶をした。殺されると。死にたくないと。
ただ闇雲に翔は叫び、体を動かし続けた。そのうち、手首を拘束していた布が外れ、両手足を使い空間を引っ掻いていたが、翔は気づかなかった。
迫りくる死に必死に抗った。それは、決して物質的なものからだけではなかった。



ガチャリ、と。
重い金属音が落ちた。



その音に、翔は我に返る。一度だけ、そう、半年前にも聞いたことのある音だ。

翔の抵抗からすり抜けていた修一郎は、どこからか持ってきたそれを、半年前と同じように投げたのだ。翔の肩のすぐ横に、投げられていた。

同じ柄の刀。母を斬った刀だ。
鞘から抜いてあり、手入れが行き届いていたのか鋭く刃が光った。
翔の脳裏にあの日の情景が思い起こされる。
鮮明で、色褪せることなく。凄まじい速さで駆け巡る。
目の前の男への憎悪が噴き出す。

「翔。自由になりたいか?」

睨む視線を真っ向に浴びながら、修一郎は言う。

「なら、それで、ここを刺せばいい。」

何も纏っていないため、むき出しになった胸元に手を当て、淡々とした口調で告げた。


(―――じ、ゆう…?)


そうだ。
この刀で、心臓を刺せば、男は死ぬ。
そうすれば二度と、あんな行為をしなくてすむ。
母の仇も、本当の父の仇も取れる。


徐(オモムロ)に、手が刀に触れた。

(だけど――――)

鈍い音。耐え難い声。赤く噴き出す血液。くず折れる体。
思え出されたその光景に、翔は恐怖した。
指先が震え、手にした刀の先が大きく揺れる。
すると。
一歩。二歩。
修一郎は翔に近づいた。

「ぇっ―――」

見上げれば、見たことのない顔。表情のない、否、全ての表情が混ざっているようなそれは、言い知れない不安を翔に与えた。
本気の目だ。
もし、このまま殺さなければ、自分は確実に殺されるのだと。
翔は息を飲んだ。






「ぃっ―――!来る、な…来るなぁっっ!!!」











鈍い音。







唸る声。





赤く噴き出す血液。








それは、閉まっていた記憶となんら変わりがなく。

「かけ…る…」

刃を伝い、流れる血が太ももに垂れた。ビクリと震え、咄嗟に刀から手を離すと、突き刺さったままの体は、支えを失ったようにくず折れた。
翔の上に倒れ込んだその体の重さと温かさが気持ちを高ぶらせる。
心臓から外れてしまったのか、修一郎は汗をかき、息も荒く、苦しそうに眉間を寄せている。だが、視線だけは翔から離さない。

「翔…。よく、覚えておきなさい…。」

「…ヒ、ぃ……」

「人を……『憎い』者を殺すということが…どうい、う、こと、か…。死は…人を縛り付ける…深、く。とても、深く…。お前に、も…すぐに…解、る…さ…」

色を失う顔が、なぜか、翔が共に過ごした中で一番、修一郎が生き生きとして見えた。

「じゆ、…になど…なれなぃ…」

頬に手が触れる。














「…………愛しているよ…」








唇が寄せられる。









「ショゥ、イ…ロウ…」













だが。










それが触れる前に。

修一郎は、事切れた。




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