ノベル

□代償
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※病み、自傷行為注意







勝つこと、ただそれだけだった。

ただ勝つこと、それだけのために生きていた。

なぜ勝つのか、理由など探してはいけなかった。

それ以外のことについて思考することなど許されなかった。

勝つこと。

ただそれだけに俺たちは執着していた。






そして、負けた。







代償


あの高く熱い太陽がじりじりと照りつけた夏が終わり、時折涼しい風が吹き始めていた。
柳は部活を引退し、それでも生徒会の引継ぎや進路のことなどでそれなりに忙しい毎日を過ごしていた。

だから、気付かなかったのだ。

自分たちの勝利への執着が生んだ代償に。

赤也は今日の練習を終えて水道の蛇口から勢いよく出る冷水で顔を洗っていた。今日はどの先輩も来なかったなあなどと少し寂しく思いながら顔をあげるとすっとタオルを差し出してくれる腕があった。

「…柳さん!」

「赤也、おつかれ。」

「柳さんこんな時間まで学校にいたんスか?」

「ああ、調べ物があってな、教室を開放してもらっていた。」

手触りのいい白いタオルを受け取ってそれに顔をうずめると柳の匂いがしてふと赤也の口元が緩んだ。柳は赤也の髪の毛を掬うように優しく撫でて微笑む。

「着替えてこい、一緒に帰ろう。」

「はいっ。」



久しぶりに二人きりの帰り道。もうすっかり日は落ちて二人の体も闇に溶けかかっていた。人通りの少ない路地に出たときどちらからともなく指を絡めて、ぎゅっとかたく互いの手を握りしめた。

こうやって体温を確かめ合うのも久しぶりで、嬉しくもあり照れくさくもあり、そしてその体温を互いにとても愛しく思った。

沈黙のままでいるのもなんだか気恥ずかしく口を開いたのは赤也だった。

「あ、柳さんもう腕のリストバンドしてないんっスね。」

「ん?ああ、弦一郎や精市なんかはまだしているが、俺には必要ないと思ってな。」

「テニス…」

柳はテニスをやめてしまうのだろうか、と不安げに赤也は瞳を揺らした。それさえ見透かしたように柳はふっと微笑む。

「高校に行って、早くまたお前と一緒にテニスがしたいな。」

ああ、いつだって欲しい言葉をくれるその唇が綺麗な三日月のような形になるのが好きだ。
少し熱を帯びた頬を夜風が掠める。

「そうだ、明日は土曜だが練習は何時からだ?」

「明日は9時からっスね。」

「そうか、だったら、今日は少しうちに寄ってくか?」

「え、いいんスか?!」

「ああ、お前がくるとうちの家族も喜ぶからな。」

「じゃ、俺家に電話するっス!」

「ああ。」


嬉しそうな赤也の横顔を見ていると柳も嬉しくなった。随分長い間張り詰めていたものがぷつんと切れたような気持ちになりふっと息を吐き出した。

そうして柳の家で談笑しながらの晩御飯のあと、二人は柳の部屋がある二階へとあがる。
柳は部屋の扉を開け先に入るよう赤也に促す。

「柳さんの部屋、久しぶりっス!…わっ!」

部屋の扉が閉まる音と同時に赤也は柳に抱きすくめられて身動きが取れなくなった。

「…赤也…。」

赤也の形を確かめるように柳は手のひらで赤也の腕や腰や首筋をなぞり、その度力を込めて抱きしめた。
ふと腕が緩んだ瞬間、赤也もくるりと体の向きを変えて柳の背中に腕を回してぎゅっと抱き返す。
赤也が上目で柳の顔を覗くと視線がぶつかった。そして唇が重なる。

触れるだけのキスでぴりぴりとしびれるような快感が走る。

抱きしめあったまま、扉のすぐ近くにあるソファに崩れ落ち重なり合う。

何度も唇に優しくキスを落としながら、柳は赤也の制服のボタンを外していく。電気のついていない薄闇の部屋にも目が慣れてきて、その白い肌が微かな光を反射する。
制服をするりと腕から抜いて傍らに置いた。

そのついでに柳は赤也のリストバンドに手をかけ、外そうとした。その瞬間赤也はビクっと体を波打たせ柳の手を払った。
さっきまで流れていたムードがばっさりと切り取られてしまう。
我に返ったとき、呆然とする柳の表情を見て赤也はさらに体をこわばらせる。

「どうしたんだ?こんなときくらい外しても誰も怒らないぞ…。」

「あ…あ…い、いいじゃ…ないっスか…」

明らかにおかしい態度であることは明白だった。しかしなぜ。理由がわからない。

「俺に、隠し事か?」

柳を見ずにふるふると首を横に振る赤也。

「本当に…?でも俺はいつもの赤也じゃないように見えるぞ…赤也は今のこの状態がいつもどおりか…?」

柳の言葉が優しく赤也に落とされていく。もう一度赤也は首を横に振った。
そしてぎゅっと柳にしがみついて引き寄せた。赤也は柳の首筋に顔を埋めて小さく震えた声で話し始めた。

「…俺、おかしいんです…俺…も、どうしたらいいのか…わかんなっ…い…うっ…」

話す声は少しずつ嗚咽に変わっていき、赤也はぼろぼろと涙をこぼした。
柳は赤也の頭を優しく撫でながらそれをなだめようとするが、収まりそうにもない。

「赤也…」

「き、気づいたら…毎日、俺、血塗れになってて…俺、なんで…こんなことしてるのか…わかんなくて…」

その言葉で柳の推理は確信に変わり、ゆっくり赤也から体を離す。緩んだ赤也の腕を取って、リストバンドを外してやる。もう抵抗はなかった。
それを見た柳は全身の血が一気に引いていくような感覚を覚えた。青ざめるとはまさにこのことなのだろう。
赤也の手首には切り傷が何重にも何重にもなって、赤く太く腫れ上がっていた。そっと親指の腹で触れるとそこはまだ湿っぽい生傷の感触。

「うっ…っ…お、怒らないで…ごめんなさい…ごめんなさい…」

赤也はまた嗚咽を漏らしながら涙を流し始めた。柳は赤也の頭を撫でてやった。どうして怒ることなどできるだろうか。

「大丈夫だよ…赤也…。しかし、これは…いつ頃からだ?」

「…初めて、だったのは、名古屋の外人と戦った日の夜…」

「…っ。」



あの日のことは鮮明に覚えている。

あの日の俺たちは勝利という言葉の奴隷だった。

そしてあの日、赤也について特筆すべきことといえば、そう、






―悪魔化。








相手を傷つけるテニスで、誰よりも傷ついていたのは赤也の心だったのか。

これは、この傷は赤也の良心の叫びだろうか。

これが、勝利に執着し、手段を選ばなかった俺たちへの、代償だというのだろうか。




まだ新しい傷口がぱっくりと割れて、まるで自分を嘲り笑うように見えた。

赤也はその傷の上にまた今夜も、傷を重ねるのだろうか。

どうすれば癒える?

どうすればお前の心についたその傷は癒えるのだろうか。

俺たちの業の代償を、お前は一身に引き受けてしまったんだ。



どうして気づいてやれなかったのだろう、誰も。


どうして気づいてやれなかったのだろうか、




俺さえも。









赤也の傷口に、柳の涙が堕ちた。









それが傷口に沁みて、赤也は少し顔を歪めた。










…end










20100702晴雨


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