エッセイ集

□貧困に関する諸問題
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「貧困と教育のこと」



 最近,興味を持っているテーマは,やはり,貧困です。
 その関係で,東洋経済の2008.10.25号の「家族崩壊」の特集を感心しながら読んでいます。
 なかなか仕事やこの「日誌」を書く関係で読み進まないのですが……。
 個人的な不勉強もあるのですが

 全妊娠に占める流産の割合は,一般的に10〜15パーセントであるところ,看護職の切迫流産の経験者は30パーセントくらいいるとか……。
 ただ,誌面には「流産」の割合と書いてあるのですが,数字的に高すぎるので,正確には「切迫流産」なのかなとも思います。
 ちなみに,切迫流産は,早期に生まれそうになる場合で,実際には生存して生まれるときも含む概念です。

 生涯賃金は,大卒男性正社員なら2億8100万円であるところ,パート,アルバイトだと5000万円になるとか……。ちなみに約40年働くとして,前者が年収700万円,後者が年収120万円ちょいになりますね。大変だ……。
 
 興味深く読んでいたのですが,ちょっと突っ込みたくなったのが,教育問題に関する点です。
 
 大阪大学大学院の小野田正利教授によれば,いわゆる「モンスターペアレント」の原因は,「教育の商品化」にあるとされます(以下の記述中引用に関する点は,前掲文献90〜91頁によります)。 
 親が学校のことを「金を払って商品やサービスを得るのと同じ感覚で考えるようになってきた」(=教育の商品化)ことから,「どの教育の場を選んだかで親の務めが終わり,そこからよくしていこうという発想がなくなること」になり,よい学校に入れたはずなのに,期待していた結果が出ないと学校にクレームを言いにくることになると言います。
 そして,「教育は出来上がった商品ではなく,一緒に作っていくもの。最初は嫌だなと思って入った学校で,友と出会い,感動的な文化祭や体育祭を経験して,涙,涙の卒業式を迎えたとする。それこそ価値が上がったということですよ。」と言います。
 
 しかし,学校での生活の中で主に行われていることは学習であり,その点に関する考察が欠落している点で問題に思いました。思い出作りのために存在するのであれば,あの大量の授業時間というものは何なのでしょうか。
 ……ただ,引用部分の最後の文章は,余りに極論のような感じがするので,雑誌社の記者や編集者による編集上の誤りではないのかという気もするのですが。 
 
 また,「教育の商品化」を進めていったのは何よりも既存の学校それ自体ではないでしょうか。
 学校のパンフレットを見ると,いかにも,その学校に入れば明るい人生が開けるかのようなことが書いてあります。
 けれども,人には個性があり,この人には有益な教育方法でも,あの人には無益,更には有害ということはよくあることです。
 受験勉強は,暗記だ,知識偏重だと評判が悪いのですが,それなのに,実際に難関大学に合格した生徒の学習方法が多様であることは,巷の合格体験記の類をみれば明らかでしょう。
 ですから,或る学校に入ったからといっても将来が保証されるわけでもないのは当然なのですが,そのことが誠実に語られることは稀です。
 なぜかといえば,本当は学校に入れるだけではだめということを誠実に述べれば生徒数が減り,学校経営者や教員自身が不利益を被ることになるからです。
 そのような事情は大学であっても,同様でしょう。
 たとえば,法科大学院のパンフレットを見ると,いかにも優れたカリキュラムが組まれていて,容易に司法試験に合格するように書かれているのですが,実際にはそうではなく,また受かっても就職難が待っています。
 
 論者のような学校教育に携わる人自体が,自らの所得を確保するため,教育の商品化を進めていることに対する反省のない点で,疑問に感じた次第です。
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