エッセイ集

□数字いろいろ
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昨日の朝刊に立花隆が東大のゼミで、最首悟などといったかつての全共闘運動の幹部を呼んでシンポジウムをやり、その際、学生を相手に全共闘運動に対する評価に関しアンケートを実施したところ

評価する 14%
やや評価する 47%

との結果が出たということでした。

立花隆は、この結果を

余り肯定的な評価ではない

とまとめていたのでしたが、員数はわかりませんけれども、肯定的に評価する人が半数以上いたというのは驚きでした。
学生運動など最後は殺し合いの内ゲバに過ぎなかったという歴史の記憶が薄れているのではないか、怖いものを感じます。

ただ、立花は

未曾有の経済危機・政治危機が日本を襲おうとしているのに,自らの行動で社会を変えようとする学生の動きは,いまはほとんどゼロである。

と語り、学生運動が下火になりすぎていることに危機感を持っているようで、現在の社会問題について学生が政治に働きかけようとしていないことに対する不満を述べていました。

学生運動が下火になって理由としては、大きく

(1)社会問題の解決が単純なものではないという認識が根付いてきたこと
(2)社会問題の解決に当たっては、自らの自己犠牲が必要であるという認識が広まってきたこと

にあると思われ、これらのことはそれ自体健全なことであると思います。

(1)についてですが、かつての学生運動は、ある意味単純な発想でなされていました。
1つは、問題解決に当たって攻撃する対象がわかりやすいものでした。戦争に関わる問題であれば単純に政府を批判すればよく、また、元々全共闘は大学に関する問題に端を発するものでしたが、それについては、大学当局を批判すれば事足りていました。
もう1つは、現在の制度を破壊した後の社会の構想がわかり易い「と思われていた」。実際には、問題が多い解決方法であったのですが、「それで解決する」と思い込んでいた。
その解決策は、社会主義でした。戦後から1980年代半ばにかけて、社会主義が非常に理想的なものとして捕らえられていました。
けれども、その実情は、旧ソビエトや、現在の中国、北朝鮮のような悲惨なものでした。当時、学生運動をやっていた人たちは、十分な情報がなかったことから、社会主義のプロパガンダを間に受け、制度を破壊した後は社会主義化すれば良いという極めて単純な発想を持っていたように思います。
実態は、元連合赤軍の植垣康博が語るように

しょせん僕らが目指したのは人民ではなく党がすべての権力を握る一党独裁体制でしかなかったのだ。もしあのまま僕らが権力を奪っていたら,もっと悲惨な世界になっていただろうと思う。
(久能靖「連合赤軍・植垣康博と山岳アジト巡礼」『文藝春秋83巻8号』324頁)

というようなものでした。

実際には、社会問題の解決は、容易なものではありません。1人の人間の行動の予測すら困難なのですから、社会全体の動きを予測して適切な対処をすることが極めて困難であるということは現在の社会学では当然の常識です。更に利害関係も複雑で、対応の仕方を間違えば、問題提起をした本人が不利益を被ることになります。
結果、安易な政治や社会に対する批判がなされなくなったものと考えられます。

(2)は、以上の話のうち、「問題提起をした本人が不利益を被ることになる」ということに関わります。

現在の社会問題は、外交問題や教育問題よりも、経済問題が重要になってきています。
そのことは、昨今の不況に伴う解雇の問題を考えてみれば明らかでしょう。また、高齢化社会化に伴う介護の問題や年金問題も、結局は、その経済的負担を誰が負うのかという経済問題に行き着きます。
とはいえ、社会に存在する財の量は限られています。
したがって、経済問題の解決は、財を持つ人が財のない人にそれを分け与えるという形でなされます。

かつての左翼運動が弱者救済を語りながら、財の限定性についての考慮が乏しかったのは、その基礎にあったマルクスの考え方自体が、元々

「生産力には際限なき発展が可能であることを,論証もせぬまま,あたかも自明の真理のごとく想定」

していた(シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』20頁)というあまりにも楽観的なものであったからのように思います。

さて、翻って、大学生とは、殊に東大生とはどのような立場の人なのでしょう。
彼らは、俗耳に沿う言い方では、いわゆる「勝ち組」に属します。
最近の東大生の親の所得が高まっていることはマスコミでよく報道されているところです。
また、彼らの多くは、卒業後、大手の企業の幹部候補生となり、豊かな経済生活を営めるようになることが保障されています。
すなわち、彼らは、現在富裕層に属しているか、将来的に富裕層に属する可能性が高い人たちです。
現在問題になっている各種の経済問題の解決に当たって、財を提供すべき犠牲を払うべきなのは、彼ら自身です。

とはいえ、財のある人たちが自分たちの生活水準を下げてまでその財を放棄するものでしょうか。
それが困難であることは、当の立花隆自身、マスコミの世界では成功した人間である一方、その豊かな経済生活を放棄する様子がないことからも明らかでしょう。

学生運動が下火になった理由は、極めてわかりやすいと思います。
それは、現在の社会問題、すなわち、経済問題を解決しようとすれば、学生自身がその豊かな経済生活を放棄しなければならなくなり、問題がわが身に降りかかってくるということをわかっているためであるからと思うのですが。
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