エッセイ集

□数字いろいろ
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第2部



同窓会のHPに弁護士人口の増大により、その質が低下すると掲載した札幌高裁裁判官が総括する部、民事第2部。



先日、札幌高等裁判所の部総括判事が、出身高校の同窓会のHPに弁護士人口が増加することにより弁護士の質が低下するとの記事を書いたことが、毎日新聞等一部マスコミで取り上げられました。
札幌弁護士会の中山博之先生は、「最高裁判所事務総局からにらまれることになる」と毎日新聞に話していたようですが、そんなに大きな問題かなとは思います。

司法改革が話題になっていた平成10年ころは、比較的裁判官も自由に発言をしていたように思いますし、最近は、匿名ながら具体的事件に触れた裁判官のブログもいくつかありますし、今更、大騒ぎするほどのことでもないことでしょう。

しかし、弁護士人口が増えたら、質が低下するということは本当にあってはいけないことなのでしょうか。
私などは当然だろうと思います。

政策というのは、多くの場合、益となる面があれば、害となる面があります。
たとえば、社会保障は、何でも供給できればよいのですが、常に、誰かの財や労働力を犠牲にするから成り立つものなのですから、その均衡をいかに考えるかが問題となります。そこには、予測不可能な領域があることから、政治的な決断が必要になるのです。

どうも、マスコミ関係者を始めとして、その辺りの理解が不十分に思われます。


弁護士の員数の増加が質の低下という害をもたらすとして、その益は何か。
私は、害より益の方がはるかに大きいと思います。

まず、弁護士の絶対数が少ないことが問題です。
これを解決するには、絶対数を増やすしかありません。
とはいえ、質の低下の問題があります。
そのためには、質の低下を防ぐ方策の1つは、教育です。
法科大学院制度はそのための方策の1つです。
しかしながら、教育だけでは上手くいきません。
そのことは、日本の教育制度は、人材開発の面で成功しているか否かということを考えれば明らかです。
質の低下を防ぐもう1つの方法は、競争を導入することです。
そのためには、弁護士を過剰供給する必要があります。
パイを仲良く分け合うようでは、競争が起きず、弁護士一人一人が自分の能力を高める努力をしなくなるからです。
よく弁護士が過剰供給されることにより、十分な仕事が確保されず、弁護士として仕事ができないものが出てくることを問題視する考え方も見られますが、何ら問題ではありません。
それは、競争の当然の結果です。
ドイツやアメリカはそれできちんと動いています。また、日本の研究者が司法制度について議論する際、ドイツやアメリカの制度の良さを引き合いにして、日本の制度を批判することは良くあることです。そのことを考えると、ドイツやアメリカのように弁護士間の競争が増し、弁護士の資格がありながらも、失業をする人が現れることによって、一般市民が被る不利益が低いことは明らかです。

実際、司法修習生を見ても、下位層には、明らかに力不足の人もいますが、中位から上は、将来の競争を見越して、旧試験で合格した世代よりも比較的勉強をするようになっています。また、試験科目で行政法が必修となり、選択科目も復活して法律の知識の幅が広がってきていることも魅力的です。

したがって、弁護士人口の増加は、下位層の淘汰を含めた長期的視野から見れば、良い方向で働くように思うのですが、このような議論が見られないのはなぜでしょうか。
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