エッセイ集

□数字いろいろ
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15年前



日本の結婚式でブーケトスが行われるようになった時期。



クダラナイ人間なので、クダラナイ話が好きです。

AERA09.6.1号の「ブーケトスは人権侵害だ」というクダラナイ記事をついつい読んでしまいました。
内容的には、披露宴のイベントの一つとしてわざわざ出席した独身女性をマイクで呼んでブーケトスをすることに対する「AERA」世代の独身女性の不満を訴えるという、本当にしょうもないものなのですが…。
そんな記事でも多少は発見があるとうれしいものです。



それが冒頭の日本でブーケトスをするようになった時期。
15年前というと、1994年ですか。
何を基準にしてその始まった時期を決めたのかも、気になりますが、日本で慣習として広まった時期が最近であることは間違いないようです。
西洋式というか、キリスト教式の結婚式がメジャーとなり、派手に行われるようになった高度経済成長期のころにはやっていたのではないかというイメージだったので、意外でした。



私たちが「伝統的だ。」と思っているものでも、意外と最近行われ始めたものは少なくありません。
殊に、「神事」の類は明治期以降に確立したものでしょう。

明治政府の樹立に伴いキリスト教が解禁されたのですが、キリスト教の様々な儀式は大衆には、大変な魅力でした。
やはり、キリスト教の結婚式が洗練されているのは間違いありませんから。
それで、神職の寝食を支える氏子の流出を防ぐため、神前式の結婚式を作り上げたのです。

「○○はいつもトラディショナル」とのキャッチコピーで、神前式の結婚式をアピールする施設がありましたが、伝統でも何でもないわけです。

また、日本式の中途半端な「火葬」も明治期に墓地埋葬法が定められたからによるものであって、それまでは土葬が一般的だったのです。

SPA09.7.28号125頁でも、福田和也が

「わりと最近発見したんですけど、近代俳句の流れを見ていくと、焼き場の句がガーッと多くなるんですよ。大正半ばから昭和にかけて。たとえば、永井荷風の『断腸亭日常』にも、焼き場の話がいっぱい出てくるわけです。」

との発言をしていました。

いわゆる自然葬に反対する意見の中には、日本の伝統的な埋葬法ではないというものがありますが、国家によって押し付けられたにすぎないものなのですから、伝統でも何でもないはずです。

…因みに、私は、「大気葬」を支持します。
以前、ひろさちやがエッセイに書いていたものです。
死体を焼くと骨が残っていきます。
火葬場のお骨は、焼き場の職員の人が炉の温度を適切に調節することによって綺麗に残るものであり、焚きすぎると灰になってしまうことは、故伊丹十三監督の映画『お葬式』でよく知られたところです。



では、灰になった後も焼き続けるとどうなるか?



初歩以前の化学ですが、気化します。



大体1200度くらいで気化するそうです。
1200度というとトンデモなく高い温度に聞こえるかもしれません。
しかし、家庭用ガスストーブでも表面温度は800度くらい行きます。
因みに、性能のよいガスバーナーの火の温度が1200度だそうです。

火葬場では、天然ガスをそれこそ高温で焚くのですから1200度くらい行ってしまいます。
時折、墓地用地の不足が問題となります。また、自然葬で散骨をすることも近隣住民や漁業関係者等から非難されることが少なくありません。
なまじ中途半端に残すから問題が起きるのであり、大気葬なら心配なし。
しかも高温で一気にやればよいので熱効率もよくエネルギーの節約、エコロジーとの両立になります。
何より情緒的にもよい。

「あの人は天に召されたのだ。」

そう語り合い、そう語られることに一種の魅力を感じるのですが…。



随分、本論から外れましたが、“伝統”について、“批判的”に考えるたびに、逆接的ながらすごいなと思うのは、そんな“伝統”を作った人たちです。
明治の元勲は、伝統の全くないところに“伝統”を作り上げたのですから。



しかし、いつか“恵方巻き”が食品業界の陰謀ではなく、本当に“伝統行事”だと思う世代が大勢を占めるようになるのでしょうね。
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