エッセイ集

□読書ノート
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(3)



ラッセル序文の後は、高度な読解か必要になってきます。
無論、管理者の手に余るので、一般的な発想――もちろん、文脈を無視するので、間違っている可能性大ですが――で使えそうなフレーズを求め、3節へ。



3・03
我々は非論理的なことを思考できない。というのも仮に思考可能とすれば、その折には非論理的に思考せねばならなくなるからである。
3・031
神は全てのものを創造しうるが、しかし論理法則に反するものだけは例外である、とかつて語られた。というのも「非論理的な」世界についてそれがどう見えるかを我々は語りえないからである。
3・32
言語において「論理に矛盾する」ことを描出するのが不可能なのは、幾何学において空間の法則に矛盾する図形を座標により描出すること、あるいは存在しない点の座標を陳述することが不可能なのと同様である。



引き続き4節。


思想とは有意義な命題である。

4・001
命題の総計が言語である。

――ソシュールとの発想の近似性はこんなところでしたか。



4・002

各々の語がいかに、そして何を意味するかについての観念を少しも持たずに、各れの意義をも表現しうる言語を構成する能力を人間は有している。これは個々の音がいかに産出されるかを知らずとも話をするのと同様である。
(略)

4・003

哲学的な事柄について書かれた大抵の命題や問は、偽なのではなく無意義なのである。それ故我々はこの種の問いに決して答えることはできず、問の無意義さを確認することしかできない。哲学者の大抵の問や命題は、我々が我々の言語の論理を理解しないことに起因している。
(略)
最も深遠な問題が、実は全く問題ではないことは驚くべきことではない。
――情緒的には、問題だが、解決が本質的に不可能なので考えても仕方がない、ということか。

4・0031

全ての哲学は「言語批判」である。

――こういったフレーズが好きです。実際、未だに有効な考え方だと思いますし。

4・01
命題は現実の像である。

4・0312

命題の可能性は、記号による対象の代表、という原理によっている。
私の根本思想は、「論理定項」は代表機能を持たない、事実の論理は代表されえない、というものである。

――無限後退の問題が生じるから。

4・11

真なる命題の総計が、総ての自然科学の総計である。

4・111

哲学は自然科学の一つではない。
(「哲学」という語は自然諸科学より上位もしくは下位のものを意味すべきであって、自然諸科学と並んであるものを意味してはならない。)

4・112

哲学の目的は思想の論理的な明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学的著作は本質的に解明からなる。
哲学の結果は「哲学的諸命題」ではなく、諸命題が明晰になることである。
(略)

4・113

哲学は思考可能なものを限界づけ、これにより思考不可能なものを限界づけねばならない。
哲学は思考不可能なものを、内側から思考可能なものによって限界づけねなばならない。

――好ましい哲学観を全て打ち込んでしまった。
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