エッセイ集

□読書ノート
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(2)

ラッセル序文

15頁

ウィトゲンシュタインの基本的なテーゼ、即ち、全体としての世界について語るのは不可能であり、語りうるのはいずれも世界の限られた部分でなければならない(後略)



こんなテーゼがあったのだ。
仕事でも、目の前の個別的問題の処理が重要だというとき使えそう。

続けて



表記法上の不規則性はしばしば哲学的な誤謬の最初の徴候(しるし)です


というのも、文脈を無視して、仕事の場面で使えそうな感じです。
書類書きはサラリーマンの宿命ですから。


16頁

我々が全体としての世界についてものごとを語りうるのは、我々が世界の外に出るのが可能な場合、換言すれば世界が我々にとって全体としての世界ではなくなる場合です。


深いような凡庸のような。
私たちが、宇宙の外には何がある、というような小学生的な問いゆ立てるときと、同じ発想でよいのでしょうか。



16頁

世界は自らの外に何も持たないが故に、いかに有限てあるにせよ、限界を持ち得ない。

どこかで言ってみたいですが、ドン引きされますね。



20頁

彼の立場の承認を躊躇させるものがあります。(略)ウィトゲンシュタイン氏は語りえないことについて多くのことを語るのに成功し、それ故(略)何らかの抜け穴があるかもしれない、という示唆をうける、という事実なのです。



ラッセルのこんな逆説的な物言いが好きです。

最後の辺りの言葉も良い。
使い易そうなフレーズです。

22頁

単に誤りの点が見いだせないというだけの理由からでは、当の理論の正しさを確信できない
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