エッセイ集

□読書ノート
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《ニッコロ・マキアヴェッリ/佐々木毅全訳注『君主論』(2)》



『君主論』のキラーフレーズの続きです。


「もう一つ無益なものとして援軍がある。(略)なぜならばそれが敗北すると招き入れた者も滅亡し,他方援軍が勝利するとそれを招き入れた者はこの軍隊の虜になるからである。」(114ページ)
→仕事でも,変に助力を求めたら成果(に対する評価)を持っていかれてしまったりすることがあります。
 ただ,仕事という平面では,応援に来る方も,自分がどんなに働いても,応援に入った部署が評価されて終わるという場面もあって微妙ですが。
 
「【フランス王シャルル7世は】歩兵を廃止し,彼らの騎兵は他国の軍隊に頼らざるを得なくした。スイス人とともに戦うことが習慣となってしまい,彼らなしには勝つことができるとは思えなくなったのである。その結果,フランス人はスイス人に対抗することができなくなり,スイス人なしには他に立ち向かえないようになった。」(118ページ)
→官僚制度を含めた国家制度に依存せざるを得なくなっている私のような小市民には耳の痛いところです。
官僚機構(4)で引用すれば良かったですね。

「君主は戦争と軍事組織,軍事訓練以外に目的を持ったり,これら以外の事柄に考慮を払ったり,なにか他の事柄を自らの技能としてはならない。それというのもこれのみが支配する人間に期待される唯一の技能だからである。」(121ページ)
→これは中々難しい。というのは,軍事は,「市民」にとっては忌避すべき存在ですから。
殊に,現代社会においては,「社会保障制度」のように「国家の中核的な役割ではない」制度を存在させることによって,官僚機構に対する市民の依存を強めているからであり、官僚機構が市民を制御するために用いる手段という側面もあるからです。

「適切かつ望ましいような形で気前よさを発揮する場合,その気前良さは人々の気づくところとはならず,かえって反対の汚名を免れることができないからである。それゆえ人々の間で気前が良いという評判を維持しようとするならば,豪奢に類する行為を避けるわけにはゆかなくなる。」(130ページ)
「君主は,害を蒙らずに,しかも人々に明らかになるような形で気前よさという美徳を示すことができない。したがって賢明な君主はけちであるという評判を気にすべきではない。」(131ページ)
「君主は,けちであるという評判の立つことをあまり気にすべきでない。さもなければ臣民から財産を奪ったり,外からの攻撃に対してぼうえいできなかったり,貧困になって軽蔑されたり,強欲にならざるを得ない羽目に陥ったりするからである。実にけちは統治を可能にする悪徳の一つである。」(132ページ)
→けちな管理職の多い理由がわかりました。

「支配者は自らの臣民の団結と自らに対する忠誠とを維持するためには残酷だという汚名を気にかけるべきではない。実際あまりにも慈悲深いためかえって混乱状態を招き,殺戮と略奪とを放置する支配者と比較して,彼は極めて少ない処罰を行うだけであるからより慈悲深いことになろう。」(135ページ)
→現代の刑事政策を考える上でも,参考になる視点。

「愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である。それというのも人間に関しては一般的に次のように言いうるからである。人間は恩知らずで気が変わりやすく,偽善的で自らを偽り,臆病で貪欲である。」(136ページ)
「人間は恐れている者よりも愛している者を害するのに躊躇しない。なぜならば好意は義務の鎖でつながれているが,人間は生来邪悪であるからいつでも自己の利益に従ってこの鎖を破壊するのに対して,恐怖は君主と常に一体不可分である処罰に対する恐怖によって維持されているからである。」(137ページ)
→自分の人生等に置き換えてみて何を連想するかによって,その人の行き方の背景などがわかりそうです。
なるほどとも思いますが,単に,恐怖を振りまくだけで失敗している管理職も目にしており,難しいところです。

「仮に誰かの血を流すことが必要な場合には,適切な正当化と明確な理由の下に行わなければならない」(137ページないし138ページ)
→相手方から恨みを買うのを避ける。恨んだ相手方に同調する人間が現れるのを防ぐ。

「ハンニバルは無数の人種からなる巨大な軍隊を率い,遠隔地で軍事行動することになったが,軍隊が順境にある時も一度として兵士相互間および支配者に対して内紛が生じたことはなかった。このような結果はひとえに彼の非人間的な残酷さのたまものであり,この残酷さと他の無数の卓越性を具えた彼はどの兵士達の目にも常に尊敬に値する,恐るべき人間と映った。」(138ページ)
→残酷さのほかに存在する「他の無数の卓越性」という点が気になります。やはり,残酷さをフォローする何かが必要なのではないかと思わせます。

「経験によれば,信義のことなどほとんど眼中になく,狡知によって人々の頭脳を欺くことを知っていた君主こそが今日偉業をなしている。そして結局信義に依拠した君主達にうち勝ったのである。」(141ページ)
「君主は野獣の方法を巧みに用いる必要があるが,野獣の中でも狐と獅子とを範とすべきである。それというのも獅子は罠から自らを守れず,狐は狼から身を守れないからである。」(142ページ)
「【アレクサンドル8世ほど】約束の実効性を強調し,大げさな宣誓をしてそれを確認し,しかもそれを守らなかった人間はほかに見当たらない。」(143ぺージ)
「君主がこれらの資質を具え,それに従って行動するのは有害であるが,それを具えているように見えるのは有益である。すなわち,慈悲深く,信義に厚く,人間性に富み,正直で信心深く見え,実際にそうであるのは有益である。しかしそうでない必要が生じた時にはその正反対の態度をとることができ,そうする術を知るように,自らの気質を予め作り上げておくことが必要である。」(144ページ)
→こんな上司もよくいますが,組織の中にいると,見習うべき点もあるのかなと思っています。大体,上司だけではなく,下に来る人たちも「狐」だったりするわけですから。

「君主は非難を招くような事柄は他人に行わせ,恩恵を施すようなことは自ら行うということである。」(152ページ)
→だからこそ,誰かが火中の栗を拾わざるを得ません。
 また,このような態度を取ることが政治家の特性でもあります。本当に耳障りのよいことしか話さないことには腹が立ちます。
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