エッセイ集

□読書ノート
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森下忠「海外刑法だより・死刑、終身刑、無期刑」を読む



 判例時報に連載されている森下忠先生の「海外刑法だより」が好きです。
 元広島大学の刑事政策の教授で,現在,弁護士である先生のエッセイは,捜査機関,そして,それと対立する弁護士(会)の双方に対して舌鋒が鋭く,いつも襟を糾して読むと同時に,披瀝されるその幅広い学識に目を見開かされることも多いのです(我ながら凡庸な表現しかできないのが残念です)。

 判例時報2013号(25頁〜26頁)の同連載は,「死刑,終身刑,無期刑」とのものですが,これも,興味深く読みました。
 殊に,終身刑(「死ぬまで刑事施設に収容する刑」)と「重無期刑」とが相違する概念であるということは,初めて知ることでした。
 一般の文献(学術論文を含む)には,本来「重無期刑」(無期刑)訳すべきものを「終身刑」と訳するものが多く,不適切であるとの指摘は新鮮でした。
 重無期刑とは,無期刑について実施される仮釈放の許されるための要件とされる服役期間が通常より長いもので,一般であれば10年であるものを20年とするものだそうです。
 さらに,諸外国の長期間の服役制度をしらべると,日本の学術論文には「終身刑」を定めているとされるものが,実際には,途中で服役が中断することが認められるものがあり,先に述べたとおり,終身刑と訳するのは不適切であるという指摘も新鮮でした。
 森下忠先生ですら,厳格な意味で終身刑を採用している国が存在するかは不見当であるとの指摘も驚きました。

 ちょっと自分なりに考えさせらたのは,というか,以前から気になっていたのは,森下先生のエッセイでも取り上げられていた「終身刑を科せられた受刑者はいわば飼い殺しの状態におかれ希望を失って機械的人間になったり,拘禁性精神病に陥ることも多い。行刑施設の側でも,改善更生,社会復帰の可能性のない受刑者についてどのような処遇を行うかとまどう」との終身刑に対する批判です。
 
 矯正において,教育をするというのは,市民社会を保護するため有用な手段となりうるのでしょうが,同時に,教育には限界もあります。
 実際に,一般的な学校での道徳教育は上手く言っていないのに,どうして犯罪傾向の強い人に対する教育が成功するのか分かりませんし,また,真の人格改変のための教育をするには,対象者の生育歴,生育環境についての詳細な情報が必要ですが,黙秘権が憲法上の権利であることに疑いのない制度下において,どうやってその情報を取得できるのかにも疑問があります。
 
 そうなってくると,恐怖感が人間の心を制御しうることは経験則上明白であり(したがって,他害的な行為をしなくなる),かつ,少なくとも危険な人物を社会的に隔離するだけでも,公共の利益を満たすのですから,わざわざ教育に重点を置かなくてもよいのではという気がします。
 
 刑事政策の研究者の方が飼い殺しを否定したがるのは,単にそれでは研究者としてつまらないからにすぎないからであるようにも思えるのです。そうでないというのであれば,犯罪を人間が本当にしなくなるような実行可能な具体的な方策を提示すべきでしょう。
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