秋房×竜二

追憶の日々 其の零
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朝靄に包まれた、雨上がりの庭に、背の低い詰襟の学制服姿の少年が、一人で立っている。
少年は、闇に溶け込む、何者にも染まらぬ彼の本質を表したような漆黒の髪と、長い前髪から覗く一筋縄ではいかないと語る鋭い眼光を放つ色の薄い瞳を持っており、その小さな背格好に似合わず、他者を威圧するような風格がある。

「竜二!」

その姿を己の屋敷の庭で見つけた花開院秋房は、ぎょっとし、夜着の白い着流しのまま、縁側から声を掛けた。
少女と良く見間違えられる美しくも優しい風貌の秋房は、肩よりも長い淡い色合いの真っ直ぐに伸ばされた髪を揺らし、とっさに庭に降りようとしたが、花開院竜二はそれを目で制す。

「ここで…何してるんだ?」

いつものように竜二の持つ威圧的な空気に呑まれそうになりながら、秋房は尋ねる。
同じ花開院を名乗り、年も近い二人だが、本家の血筋を引く竜二と、ここ八十家(やそけ)の次男である秋房は、あまり交流が無い。
顔を合わせるのは、秋房が本家に呼ばれた時くらいで、竜二がこちらの屋敷に来ることはなかった。
なのに何故、彼がこの屋敷に、しかも庭にいるのか、秋房の頭の中は、混乱を極める。

「秋房、お前に会いに来た」

ただでさえ、竜二は秋房より背が低く、今は庭と縁側とでは格段の身長差がついた目線のまま、竜二は秋房を見上げ、そう凛と言い放った。

「え…」

次の花開院家の当主は、秋房と竜二のどちらかだと、秋房がわずか三歳で頭角を現わしてから陰陽師達の間で騒がれ、顔を見る前から、その名を覚えてしまうほど比較されてきたため、秋房はずっと竜二を意識してきた。
本家に呼ばれた際は、いつも、竜二の姿を探し、その姿を盗み見る時もあった。
きっと竜二はそれに気付いていただろうが、竜二が秋房に興味を示すことはなく、視線さえ向けてはこなかった。
それが今、射ぬくように真っ直ぐに秋房を見上げ、はっきりと彼に会いに来たと言ったのだ。
思わぬ事態に、秋房は激しく動揺し、その白い頬が赤らむ。

「お前に、頼みがあるんだ」

用件を切り出した竜二の態度は、およそ頼みがあるという人間の態度ではなく、命令に近い横柄さががある。
それが、竜二という、本家の“才ある男子”として生まれてきた男の性格をそのまま浮き彫りにさせていた。

「私に頼み?」

それでも秋房は、竜二が自分に何を頼んでくるのかと心踊らずにはいられなかった。
秋房の心境を知ってか、竜二はほんの少し口元を歪めて笑った。

「ああ、最近、ゆらが懐いてきて困っていてな、秋房に修行がてら、ゆらの面倒を見てもらいたいんだ」

竜二が語った頼みというのは、秋房の想像を越えており、出てきた意外な人物の名前に、秋房は言葉を失う。

「何故…私が?」

竜二の実の妹の面倒を見なければならないのだと、秋房は目で訴える。

「花開院秋房という男は、次期当主として人徳に溢れていると聞いたんでな、そんな人物なら、是非とも我が妹の師範になって頂きたいと思ってな」

そう続けられた言葉は、挑発以外の何物でもない。 秋房の体に、かっと怒りが満ちるが、挑発に乗ってはいけないと、秋房はなんとか自身を落ち着かせようとする。
竜二は、策略家だと聞く。
この話も、何か裏があるのだろう。
秋房はそう自分に言い聞かせる。

「承諾しかねる」

目を伏せ、その圧力で諾、と答えてしまいそうな竜二の視線から逃れた秋房は、乾ききった口で拒絶を口にした。

「何故だ?…自分に、自信が無いのか?」

せせら笑いさえ聞こえてきそうな、そんな竜二の問いに、秋房は、ぎゅっと拳を握り締める。

「そうだ。本家の娘御に何かを教えられる程、私はまだ大成していない。」

今まで、人々に称賛される人生を送ってきた秋房にとって、嘘でも、己が未熟だと口に出すのは、屈辱に近いものがあった。
そうさせるように仕向けた竜二を、秋房はこの時、初めて憎いと感じたのだった。

「…ずいぶんと自分を謙遜するんだな。してみなければわからないだろう?」

血の繋がった妹のこととは思えない、なんとも軽い口調でそんなことを言いだした竜二の神経を、秋房は疑わずにはいられない。
竜二は、自分の妹を愛してはいないのだろう。
何度か本家で見掛けたまだ幼い少女が、秋房は哀れに思えてしまった。

「…報酬の話を、していなかったな」

なかなかうなずかない秋房に痺れを切らしたのか、竜二は突然、そんなことを言い出した。

「もし、ゆらが立派に成長することが出来たら、何か、一つ、お前の望みを聞いてやろう」

報酬などいらないと秋房は断ろうとしたが、その言葉を挟む余地を与えず、竜二はそう続けた。

「私の…望み…?」

思わずそう口にした時、秋房は確かに、胸の高鳴りを自覚した。

「ああ、一つだけだが、お前の言うことを聞こう。なんだっていい、オレに、出来ることならな?」

それは、甘い響きを持った、しかし、何か末恐ろしい不穏さも一緒に兼ね揃えた言葉だった。
それを言い放った竜二の唇は、悠然とした微笑みを浮かべている。
魅惑的、ともとれる彼の不敵な笑みに、いつのまにか、秋房は囚われていた。
秋房の、白い喉が上下する。
竜二に叶えてもらう“望み”を、何にするか明確に決めていなかったが、秋房は竜二と視線を合わせた。

「…わかった。ゆらの面倒を見よう」

それが竜二との因縁の始まりになることを、秋房はその時、まだ知る由もなかった…。




       END

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