序章

□第7話
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「お前、官にならないか」

そう言ったのが、例えばこの茶州の当主であれば、私も多少は迷いを見せたかもしれない。けれど、このタヌキであるならば――

「喜んでお断りさせていただきます」
「早! つか、普通「謹んでお断りさせていただきます」だろうが!」
「そんな言葉、聞いたことありませんが」
「嘘つけ!」

突然現れたかと思うと、前後関係なしに無茶なことを言い出す大人を一刀両断して、惇明は胡坐をかき、手のひら大の木の塊とノミを手にして固まる男に向き合った。
男のほうはどうやら、無茶なことを言い出す人物のおかげで正気づいたらしい。苦笑交じりでそちらを見遣り、少年がこれっぽっちも相手にしていないことに愉快そうに笑った。

「おい、坊主」
「はい?」

後ろでぶつぶつと文句を言い続ける人物を完璧に無視して、惇明は声をかけてきた男と視線を合わせた。男の瞳は、始めに声をかけた時よりもずっと澄んだ色をしている。

「おメェ、名前は」
「氾惇明といいます」

名を教えてもらうときは自分から名乗れ、と大人げないことは惇明は言わなかった。そんなことでとやかく言うほど、惇明は暇つぶしを探してはいないからだ。
男は名前を聞いてにやりと笑って、そうかと呟いた。そこにどんな意志が働いたのかは知らないが、男は満足したようだった。満足した気配を見せないのはもう一人の男である。

「氾家といえば・・・藍州の大商人の家か」

相手をするのは実に面倒であったので、惇明は返事をしなかった。代わりに反応を見せたのは細工師の男である。

「へぇ、そうなのか」
「あぁ。惇明はたしか次男の名だな」
「次男なら、こんな所に居る理由もわかるってもんだな」

細工師の男が楽しそうに笑う。まさか「どれにしようかな」でテキトーに決めたんですとは言えない。惇明は明らかな愛想笑いを浮かべて、話を変えた。

「貴方のお名前は」
「俺か」

細工師が今度は嬉しそうに破願する。

「俺の名は、関飛雲」

その名を2,3度口の中で呟いて、惇明が覚えましたと言うと、関は今度は恥ずかしそうに大きな手のひらで頬を撫でた。職人のクセして、実に素直な反応をする男である。
惇明としてはもう少し話し込んでも構わなかったが、いい加減隣の大人がウザかった。俺の名も聞けと全身で表している。メチャウザい。
惇明は溜息を一つついて、立ち上がった。その身長は胡坐をかく関が少し目線を上に上げるだけで目が合うぐらいであった。隣に立つ男の腹までしかない。

「では、また」
「あぁ・・・また」

笑顔で別れの言葉を言い合って、惇明は歩き出し、そして関は再び手元の「作品」を彫り始めた。今度は魂を籠めて。



「・・・それで? 一体何の用です」
「だから、官にならぬかと」
「それは、貴方がわざわざ6つの子どもに勧めるようなことですか?」

子ども、という部分にわざと力を籠めて言えば、相手は少し目を瞠って惇明を凝視した。しかしすぐににやり、と楽しそうに笑う。あぁ、ほんとタヌキは嫌ですねーと惇明は心中でげんなりと呟いた。子どもらしくないのは百も承知であるが、それをわざと面白がる大人は嫌いである。

「あぁ。俺がわざわざ、子どものお前に勧めるようなことだ」

惇明は盛大に溜息をつく。何でこのタヌキは此処に居るんだろう、と。茶州当主に見つかって、つまみ出されればいいのに。

「お前の「視線」が欲しい。お前が何を見、何を感じるかが知りたい。お前のその考え方は、国に必要なものだ」

まるで本人が優秀な官であるかのように、国のため在れと心から思っているかのように言う目の前の男をひたと見つめて、惇明は

「ハッ」

鼻 で 嗤 っ た 。

「国に必要? 貴方からそんな空言を聞かされるとは思ってもみませんでしたね」

タヌキが目を見開いて驚くのを、惇明――否、志崎 京子は実に冷めた目で見ていた。動物のタヌキは十分愛らしいが、人間のタヌキは鳥肌がたつほど嫌いである。だって、これっぽっちも愛らしくないではないか。さらにこのタヌキは、一つの存在に縛られているのだからいただけない。その至上のもののためだけに生きようとする姿は、実につまらない。

「王の為にしか生きられない貴方と、私は心中する気はないんですよ」









私がもう一度死ぬ時には、せめて何かを残せるように。
20080110up

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