番外

□君の泣いた声が聞こえる。(桂)
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 まったく、と愚痴る名無しさんは、昼飯の後も、ずっと俺のそばにいた。止まっていた鼻血がまた出だしたのだ。俺は一人でできると言ったのに、名無しさんは逃がさないように片手をがっちりつかんできた。
 そして俺が逃げないと言えばあっさり手を離して、さっきからずっとちり紙をちぎっている。鼻の穴にちょうどいい大きさを丁寧に。

「大丈夫ヅラちゃん? 晋ちゃん、そんなに強い力で殴ったの?」
「ヅラじゃない桂だ。……強くない。当たり所が悪かったんだろう」

 ちり紙を鼻の穴に入れながら、あんな奴の拳はよわよわののよぼよぼだ、と言い切る俺に名無しさんはくすくすと笑った。その笑いがどうも気に入らない。俺がそっぽを向くと、すぐに謝罪の言葉がふってきた。

「馬鹿にしてるわけじゃないのよ。ただ、ヅラちゃんって見かけによらず負けず嫌いだなあって思ったんだ」
「………」
「晋ちゃんは見かけ通り負けるの嫌いだけど、うん、ヅラちゃんに一々つっかかる理由がわかったよ。類は友を呼ぶってね」
「るいは…とも?」
「あら、まだ早かったみたいね。先生に聞いてみなさい」

 名無しさんに頭をなでられた。俺だけではないだろうが、少なくとも俺は、この手が好きだ。文字通り細くて、冬は所々あかぎれができても、名無しさんの手はいつも温かかった。
 でも。これはたしかに嬉しいけど、恥ずかしい気持ちもあった。
 もし誰かに見られたら……。

「ヅラぁぁぁー、鼻血治ったかー!?」
「!!」

 仲間が勢いよく部屋にやって来た。もしもの状況になってしまい、俺は反射的に名無しさんの手を払った。
 そして、後悔する。

「……あ…」
「………いってらっしゃい、ヅラちゃん」
「………」

 いつものように言い返すことができずに、俺は無言のまま仲間を引っ張って外に出た。あの表情を見るとこっちが泣きたくなる。
 そこで、鼻血がいつの間にか止まっている事に気づいた。
 どうしよう、名無しさんに言いにいこうか。いや、別に報告することでもない。だが、あのままではどうもすっきりしない。それにもしかしたら、まだちり紙をちぎっているかもしれない。それはもったいない。
 結局、迎えにきた仲間に一言伝えて、さっきの部屋に戻った。
 そして完全に閉まってない障子の奥、つまり部屋から、思ってもいない、すすり泣く声がした。それを聞いた瞬間、まるで何かに心臓をつかまれたように、息がつっかえた。まさか。
 顔を半分だけ出してのぞいてみると、彼女は俺に背を向けている状態で、鼻をすすっていた。

「………お兄ちゃん」

 無言で名無しさんの背をなでる先生は、愕然とする俺の姿に気づいているのにも関わらず、どうした、と優しく名無しさんに問いかける。俺は何も言われなかったので、その場にいることにした。
 俺に気づくことなく、名無しさんは苦笑いをする。

「ヅラちゃんに嫌われちゃった。……私、またお節介しちゃったよ」
「ほう」
「ヅラちゃんはね、ちゃんと全部一人でできるのよ。朝一番に起きるから私が起こしに行かなくてもいいし、晋ちゃんみたいに手を焼かせないし、銀ちゃんみたいな一匹狼でもなく、みんなをまとめてくれる。良い子なの」
「それはいい事じゃないか」
「……でも、さみしいのよ」

 さみしい?
 どうして俺がそうするとさみしいんだろう。名無しさんの言ったことがよくわからない俺は、もっと聞こえやすくしようと、耳の外側に手をそえた。

「たまには寝坊してほしいし、手を焼かせてほしいし、悪い子になってもいいと思うの。だって子供じゃない。ヅラちゃんは前、男らしくなりたいって言ってたけど、私は今は、子供らしく、腕白に育ってほしいと思うんだよ。だからつい、他の子たちみたいに世話焼きたくなっちゃうんだけど、本人は一人でできるって言ってるばっかりで……」

 そういえば随分前、名無しさんに将来を聞かれた。あの時はたしかに「男らしくなりたい」とはっきり答えた。
 でも、それは、

「そうか」

 ふっと笑うと、初めて先生が俺と目を合わせた。……何か企んで…。

「それじゃあ、本人に言ってみたらどうだい」
「え?」
「え」

 しまった。
 がちっと石像になった俺を、振り向いた名無しさんが見る。

「……ヅ、ヅ、ヅラちゃ…!!」

 はっとした名無しさんは、すぐに目をごしごしこすった。そして無理矢理笑うと、「いつからいたの?」と聞いてくる。
 対して俺は、手をグーの形にして、名無しさんの前にずんずんと歩んだ。そして、はっきりと言う。

「俺は、名無しさんを守りたいから男になりたい」
「……!」
「名無しさんのこと好きだから。いつも温かくて、大好きだから」

 再びうつむく名無しさんの頭に、俺はゆっくりと手をのせて、ぎこちなくなでてやった。肩が震えてるけど、鼻がぐずぐずいってるけど、全部無視した。ただ、ひたすらなでた。
 いつの間にか、先生は部屋を出ていた。




 
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