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□もの云わぬ月の誘惑(景虎eyes)
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今度は景虎が眉根を寄せた。
気にくわぬ。なんだその女々しい感傷は。
仕返しとばかりに皮肉った態度の直江をねめつけた。

しかし――…。

景虎は目を伏せた。

(あの物語の姫はいい)

あの姫には地上も天上もあったのだから。
自分を引き止める者、迎えにくる者らがいたのだから。

(俺には――)

何も残っておらぬ。
息子も、妻も、
上杉景虎についてきてくれた仲間たちも、
敬愛する養父と過ごした日々も、土地も……
いまの自分には、

「還る場所など、ない……」

小さな呟きだけがくちびるから洩れた。
そこへ伸びてきた直江の手。

「こんなに冷えてしまって……」

大きな掌が頬を包み込む。
その心地良さに、景虎は静かに目を閉じた。

「――あたたかい……」

思わず口をついてでた言葉。
そのくちびるを、直江の指がそっとなぞる。


「…………」

「…………」

冷えた体と心に浸透していく直江の熱。

「………」

「………」

頬にあてられていた直江の掌に己が指を添えた。
そのまま握りしめ……そうになり、そこでハッとした。
温もりを剥ぎ取る。

(いけない)

自分は何をしているのだ。
今日はおかしい。どんどん脆くなってゆく。
簡単に信ずるな。
惑わされるな。
いくら変わったように感じてもこの男は。

(この男は、怨霊大将を生み出した筆頭だ)

それなのに……

「おまえにも人の体温があるのだな」

刃(ヤイバ)のような視線を投げつけ、景虎は身を翻した。







背後に視線を感じる。
感じ取ろうと、気配をさぐる自分がいる。

(俺が、あの男を必要としているのか……?)

ゾクリとした。
もしや、直江が変わったのではなく自分が変わったのか?
抱いたのはもはや戸惑いとかそんな朧(おぼろ)な感情ではない。
もっと、己の生き方を侵されるような、恐怖――…。

なお強い気配を天からも感じる。

ナニヲ怖レル。
我ノヨウニソノ本性(スガタ)ヲ曝セ。
モット見ヨ、求メヨト叫ブガヨイ。
本当ハオマエモ欲シテイルノダロウ?
欲シイモノヲ欲シイト叫ベ。

なんと甘やかで恐ろしい誘惑。

(そんなことは、――出来ぬ…!)

拒絶するように、ピシャリと障子を閉ざした。




月は――
いつの世もそこに在ってふたりを見続け、
幾億もの夜を照らしだす。





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